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2013年05月10日
青山
東京の青山は徳川家臣青山氏の広大な屋敷地だったことに由来する地名だが、明治期にそこを霊園の地としたのは果たして「人間至る処青山有り」という月性の漢詩に因んだものなのだろうか。
ともあれ今日は青山斎場で河竹登志夫先生のご葬儀に参列してお見送りさせて戴いた。御棺に先生のお好きなカエルの縫いぐるみが添えられているのを見て、ハッと想い出されたのは私が以前ブログでとても失礼なことを書いてしまった件である。爆笑問題の番組に先生が出演されてカエルコレクションが紹介された折に、先生のカエル好きは民主党の岡田氏と同じく、ひょっとしたらお顔が似てらっしゃるせいかも?と書いたら、それをわざわざプリントアウトして先生のお目にかけた方がいらっしゃったらしく、先生ご自身から「顔が似てるせいではありません」として、お好きになられた理由がちゃんと書かれたお手紙を頂戴し、その時はめちゃくちゃ恐縮するはめになったのだけれど、今となっては非常に懐かしい想い出である。本当に茶目っ気のある優しい先生だった。祭壇に飾られた御遺影も先生らしいステキな笑顔で、「怒られた顔なんて見たことがありませんよねえ」と偶然お会いした竹本越京さんも仰言っていた。
越京さんは早稲田OGとはいえ、河竹先生とは一体どのような御縁だったのかをお尋ねしたら、「実は子供の時にお会いして、早稲田に行ったのも河竹先生がいらっしゃったからなんですよ」と私と同じようなことを仰言るので、詳しく話を訊けば、共同通信の記者だったお父様のお仕事の関係で子供の頃をなんと冷戦時代の旧ソ連(ロシア)でお過ごしになっていて、先生が歌舞伎のソ連公演に同行された折に会われたのだという。その際に歌右衛門が「娘道成寺」を演じた舞台もご覧になっていて「ふつう西洋の舞台は縦長なのに、その時は横長に使われているからそれが物凄く印象に残ったんですけど、肝腎の踊りのほうはさっぱり記憶がなくて」とのこと。それにしても、その舞台を見てる日本人は、この世にもう数えるほどしかいないはずなので、今や貴重な生き証人といえるのかもしれない。
ご葬儀のお見送りではNHKの古谷アナともご一緒して、話題が歌舞伎座の開場式に及んだので、先生の奥様から伺ったお話をお聞かせ申しあげた。先生は体調にかなり問題があるのを押して臨まれたので、手が震えて読みあげる口上書きの紙を落とすかもしれないと心配され、懸命に全文を暗記しようとなさっていたというお話だった。御年齢からして、暗記しようと思われること自体がスゴイとしかいいようがなく、古谷アナもすっかり感心してらっしゃった。
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