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2013年05月01日

海老チリソース

レタスと卵を加えてマイルドに仕上げた。美味しく食べられたけど、適当に作ってるのでまたまたレシピはカットします。
今日は連休中〆切りだった入稿を二本とも無事に済ませて\(^O^)/ホッとひと息しながらも、連休明け〆切りの分に着手。結局やってもやっても終わらないからして、連休後半は馬と過ごす日を二日作るつもりだ。今日もカメと過ごす時間は少しあったのだけれど、気温がまた下がったせいか、♂ガメ俊寛は便秘ぎみのようで、食後にさんざん気張ったあげく、ナントカしてくれ〜という感じですり寄ってきた。私がお湯に浸けてやると血行が良くなって便秘が解消するのを、自分でもちゃんと憶えているんだろうか(!_+) それにしても今年は寒の戻り(って5月でもいうんだろうか? )が頻繁にあるので変温動物は大変である。地球温暖化どころか、太陽の活動が鈍って氷河期になりかけているという説も信じたくなる感じだが、今日みたい気温が低くても、5月になったからクールビズ出勤した人もいるというのだから日本人は面白い。とにかく暦に合わせて衣更えをする習わしが、いまだに続いているのはなんだか驚異的で、一体こんな国ってほかにあるんだろうか?と思ってしまう。日本らしいいえば、シンボルの富士山が世界文化遺産になったというおめでいたいニュースを聞いても、まさか爆発してしまう前に選んでおく気になったんじゃないでしょうね〜と言いたくなったのはちょっとした被害妄想かもしれません(-。-;)


コメント(1)

富士山には結構ゴミがあるそうです。

世界遺産になって、これ以上ゴミが増えたらどうするのでしょう?

日本一のゴミの山なんて、ご免ですよねぇ。

投稿者 hideko mori : 2013年05月04日 01:44



2013年05月03日

生春巻き、青パパイヤのサラダ、ソフトシェルクラブのフリッター、イカのレモングラス炒め、フォー他

池袋芸術劇場で三谷幸喜作「おのれナポレオン」を幻冬舎のヒメと一緒に観てから近くの「フォーベト」で食事。
ハメ書きの三谷が野田秀樹を役者として起用し、他にも天海祐希や内野聖陽、山本耕史といった人気者が出演する話題の舞台だが、何の情報もないまま臨んだために、幕開きはやや戸惑いを覚えたほどのマジな芝居の雰囲気で進行し、途中からだんだんほぐれて、次第に狂躁的なおかしさに包まれていつも通りに笑わせてもらったが、それはどうやら役者たちの奮闘に負うところ大だったようである。ストーリーは野田の扮するナポレオンがセントヘレナで亡くなって二十年後に毒殺の疑いが持たれ、同じ島にいた実在の人びとがそれぞれ当時のことを語って次第に真相が明らかになるというミステリー仕立てで、その中のひとりナポレオンの監視役だったハドソン・ロウ総督が登場した瞬間やっと、ああ、なんだ、これは『アマデウス』のパロディ (というより刑事コロンボと古畑任三郎の関係) じゃないか!と気づいたのは、内野が幸四郎に似せた演技を見せたからである。要するにハドソン・ロウがサリエリ、ナポレオンがモーツアルトの設定で、三谷は野田に貧相な小男にして天才という役をハメ書きし、内野と天海と山本らは野田の小男ぶりを強調するための配役?なのか皆デカイのがおかしい。設定が面白そうなわりに、三谷の筆はイマイチ転がらなかったようで、芝居のほうは野田の例のキレ演技によって転がってはいるものの、内野がせっかくオイシイ役どころでいいセリフもあるのに、幸四郎の真似に囚われたせいか、ちっとも舞台をさらっていないのはどうしたものか。ナポレオンの愛人役の天海はただデカイから起用された?ような感じで、彼女の持ち味が存分に活かされた役には書かれていないのがちょっと気の毒かもしれない。その夫でナポレオンに最後まで仕えた臣下を演じる山本のほうがオイシイ役になっている。他にも演技派の今井朋彦や映像で活躍している浅利陽介を擁した豪華なキャスティングで、とにかく野田の年齢を顧みない超ハードなドタバタぶりが楽しめる舞台といえそうだ。




2013年05月03日

キャベツの酢豚風炒め

QPのレシピ本で見た料理。この時期たくさん食べたい春キャベツ料理のバリエとしてオススメ。キャベツと玉ネギ、ニンジン少々を先に炒めて塩胡椒し、いったん取りだしておき、生姜の薄切りと塩胡椒で下味した豚肉を炒め、合わせてからケチャップ、砂糖、醤油、酢の合わせ調味料に水溶きカタクリ粉を混ぜたもので味付けする。NHK「にっぽん紀行」を見ながら食事。認知症の初期段階にあって自分がご飯を食べたかどうかもわからなくなり、六十年来の弟子の顔さえときどき忘れてしまう日本舞踊の先生が、踊りの振りだけは完璧に記憶していて、その弟子に支えながら踊りの稽古をまだ続けているという、まさにスズメ百までを地で行くようなドキュメント映像に驚きと感動を覚えた。人間の記憶って一体どんな構造になっているのか不思議で、自分もそろそろ不安を覚える年頃だけに、何だか身につまされるものがありました。
ところで今日は忘れちゃいけない憲法記念日とはいえ、これまでは憲法なんてふだんほとんど意識せずに暮らしてこられたのは実に有り難いことだったのかもしれない。一方には何が何でも更改したかった人たちがいて、着々と準備を怠らなかったわけで、その人たちにいきなり更改案を突きつけられたら、ほとんど意識しなかった側はただあたふたとして、一言一句のチェンジにまで目が行き届くかといえば、ゼッタイ無理そうな気がするのは、ネットでたまたま江川紹子氏の記事を読んだからである。9条だけではない、さまざまな改変を施そうとしている自民党案を一度キチンとテェックする必要があるのかもしれない。
それにしても私は別に何が何でも憲法を護りたいとか、何が何でも変えたほうがいいとか、身にしみて思ったことは正直一度も無い人間なので、きっとそういう人が多いんじゃないかと思うのだけれど、にもかかわらず、この間の世論調査で憲法を変えるべきだと思う人が急増しているというのがコワイ。それって東京オリンピック招致を望む人が急増したのと同断で、本当にこの種の世論調査が今の世の中をどんどん悪くしてるんじゃないかという気がするくらいである。たとえば最初から憲法を変えたいと思ってる自民党のオジサンたちは許せても、自分で方向を見ずにただ笛吹きの後にくっついてぞろぞろ歩いてるだけの人たちは困ったもので、そういう人たちは崖から海に落ちて死んじゃっても構わないようなものの、こっちまで巻き添えを喰うのは避けたいので、本当にその手の人たちをどうしたらいいかという問題をいつも考えてしまうのだった。
もっとも憲法の問題を、日本人がなかなか身にしみて感じないのは何も今の憲法が進駐軍に押しつけられたからではなくて、戦前の大日本帝国憲法自体も、日本が西洋的な近代国家に生まれ変わる過程において必要と意識された、いわば借り物文化であったことは否めず、もちろん国内論議も相当に盛り上がった上での憲法制定であったのも事実だが、内側から必要性が湧き起こったというよりも、外を見てどうやら憲法というものが必要らしい、という発想から生まれたものであるのも確かなのである。
西洋の憲法はマグナ・カルタに始まったとされているが、それはやたら戦争をしてその資金集めをしようとするバカな王様に愛想を尽かした人びとが、王様に誓わせた約定だったわけで、つまりは権力者に勝手なことをさせないように縛っておくための掟が憲法の祖型ともいえるのだった。要するにふつうは貴族にしろ庶民にしろ、王の権力に対向する存在を措定するところから国家の形が決まるので、そこから必然的に両者の間の約定としての憲法が生まれるのだろうけれど、日本の権力構造はかなり特殊なもので、歴史的に見てもそもそも絶対的な権力者からして措定しにくいわけだから、憲法も両者の対決姿勢を前提としたものよりも、「和を以て貴しとなす」みたいな歩み寄り路線だったりするほうが実状には合ってたのかもしれない。そんな国で近代憲法の必要性を全員が身にしみて感じるのは無理な話だろうし、今後も身にしみて感じられるかどうかは甚だ不透明ながら、何が何でも更改するという人たちが現れた以上は、こちらはまずその理由をとことん問い詰めた形で賛否を表明するのがスジだろうと思う。笛吹きのあとをくっついてて気がついたら崖の上に立ってた、なんてバカなことだけにはならないように、自らにも周りにも注意を払いたいものであります。



コメント(1)

私も家族でNHK「にっぽん紀行」を見ました。二十歳の娘が「ええ~。食事するのは忘れても踊りは忘れないのねえ」というのを聞いて、身につまされつつ思わず笑ってしまいました。

投稿者 eguchi : 2013年05月06日 10:57



2013年05月04日

すし弁当、オクラと湯葉のサラダ、ぴり辛こんにゃく

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
今日は風も無い穏やかな絶好の乗馬日和とあって新緑が目に染みる馬場で2鞍騎乗。ただし連休中でイレギュラーなレッスンだったため、お相手はお馴染みの馬たちではなく初対面のつぶ嬢と、ずいぶん前にお世話になったラビ嬢、共に牝馬であった。女性会員は大概♂馬好きで牝馬は苦手だという人が多いが、オペラ歌手のSさんからはよく 「ホント松井さんは牝馬好きよね〜」と言われるくらい、私は牝馬を余り苦にしないほうなのだけれど、初対面のつぶ嬢は馬房でこちらの臭いを嗅いで知らないヤツだと思ったらしく、いきなり耳を伏せて後ろを向きそうになったのでさすがに一瞬ヒヤッとした。それでも声をかけてゆっくりなだめながら洗い場に誘導し、馬装中も優しく声をかけていうるうちにやっと気持ちが和んだらしく、騎乗後は全く手間いらずで超サクサクと走ってくれたが、前の馬がバックしたら裏返っちゃうくらい超ビビリ〜な馬と聞いてるだけにちょっとヒヤヒヤものでした(^_^; もっとも久々にお世話になったインストラクターのTさんからは「松井さんは前と見ちがえるほど騎乗姿勢が良くなりましたね〜」とお褒めの言葉を頂戴し、ひょっとして私もこの間少しは上達したのかも?という気になったのは、次のラビ嬢に騎乗した時である。
ラビ嬢はもともと「おとなしいだけが取り柄みたいな馬だもんね」とSさんが言う通りの超マッタリ系で、ときどき自分の世界に入っちゃったみたいにゼンゼン動かなくなるのが困りものだったから、長鞭も用意して臨んだのだけれど、今回久々に乗ったら意外なことに速歩も駈歩もすぐに発進してサクサク動いてくれるので、長鞭どころか短鞭も拍車も全く使わずに済んだのはビックリ\(◎o◎)/ いや〜見ちがえるとはまさにコレよね〜と言いたい今日のラビ嬢で、インストラクターのMさんにも「合ってますね〜」と言われたし、Sさんに は 「たまたま今日だけが良かったのかもよ」とマユツバされつつも、今後のお相手の候補に加えたくなってしまいました。とにかく人類同様♀馬には♂馬以上に優しく優しく接するのがコツかもです。




2013年05月06日

ホースショー

今日は午前中から翻訳家の松岡和子さんと共に世田谷馬事公苑のJRAホースショーの競技を観戦。この時期は毎年のように訪れているのだけれど、今年は乗馬誌「エクウス」の取材もあって来賓席にご招待を受け、障害のコースデザイナー村田氏からいろいろとお話を伺いながら存分に楽しませてもらった。詳しくは次号の「エクウス」誌をご覧戴きたく、映像のみここにアップしておきます。ホースショー観戦後は渋谷のシアターコクーンで「あかいくらやみ」を観劇したが、この感想は明晩アップいたします。


コメント(1)

私も見に行きました。
フリーダムホースショーに出演されたいた方の騎座は素晴らしく、あんな風に馬を推進できたらなあと、心底羨ましく思いました。
エクウスの記事も楽しみにしています。

投稿者 N : 2013年05月06日 08:42



2013年05月06日

あかいくらやみ

阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史作・演出で、小栗旬、小日向文世、白石加代子ら演劇界のスター級をそろえた、このシアターコクーン話題の舞台は「天狗党幻譚」と副題された通り、水戸の天狗党をモチーフにした作品で、概ね山田風太郎の「魔群の通過」に拠っている。ちなみに同一タイトルの小説が三島由紀夫にあるけれど、こちらは別に天狗党とは関係ない。
日本史好きや時代小説好きなら水戸の天狗党の話は大方ご存じだろうが、一般的にはあまり馴染みがないであろうこの話に長塚が興味を持って作劇した背景には、昨今のTPP問題に代表される90年代以降のグローバリゼーションとその影響によって、日本社会における古代から現代に至るまでの大課題「開国か攘夷」かの問題が今ふたたび切実に感じられているという認識があったのかもしれない。ともあれ幕末の水戸藩はカゲキな攘夷派の天狗党と佐幕派の諸生党とが激しい藩内抗争を繰り広げ、諸生党に追われて全国各地をさまようはめになった天狗党はついに追いつめられて降伏したあと三百五十二人が斬首に遭うという日本史上類例のない無惨な結末を迎えた。山田風太郎の原作はこの歴史的事実を比較的忠実に描きつつも、そこはそれ彼ならでは虚々実々の設定を織り交ぜながら、天狗党の人質となった女たちの視点を通して、互いに大義をいい募る男たちの抗争と報復の連鎖がいかに無惨で馬鹿げたものであるかを示した、一種アナーキーな戦後派作家ならではの時代小説といえそうだ。長塚はむろんそのことも承知の上で、舞台を戦後に設定したのだろうと思われる。
風太郎の原作でフィーチャーされているのは天狗党の首領武田耕雲斎の孫金次郎であり、この青年がふたりの人質の女性と性愛、純愛の両面で結ばれながら、幕末から明治初年にかけての日本にとって最も重要な時期を、ただ壮大なエネルギーの無駄遣いとしかいいようのない行動に突っ走って、虚しく亡んでいくありさまが、まさしく戦後派の青春小説とも読めるところがこの作品のキモであろう。長塚の脚色では、この金次郎の子孫が彼の一族を滅ぼした諸生党の市川三左衛門の子孫と結ばれたために、天狗党の亡霊が蘇ってくるという大枠の設定の中で、過去と現在の人びとがさまざまに交錯し、何も「想い描く」ことなく即ち明確なビジョンを持たずに目先のことに追われてただくらやみを動きまわっていたような戦後のニッポンと、今日のニッポンとが透けて見えるような仕掛けにしたかったのだろう、という意図はなんとなくわかったのだけれど、如何せん、原作を知らない観客には果たしてどこまで伝わったのだろうか。もちろん戦後を舞台に現在と過去が交錯する夢幻劇的なこしらえにしてあるわけだから、この際わかりやすさは問題にならないとしても、唐十郎をちょっと想い出させるような舞台だけに、これまた如何せん詩的なセリフを紡ぎ出す筆力にイマイチ乏しいことや、戦後の匂いを肌で感じた経験のまるでなさそうな若さといったアラが目につきやすく、全体にどうしても観念的な産物に見えてしまうのであった。とはいえ役者たちはそれなりに健闘し、白石加代子はまさにこの女優ならではの演技で魅了し、小日向も老人と若者を往き来するせりふ術の巧みさで面白く見せてはくれた。 




2013年05月06日

生春巻き、海老すりみ揚げトースト、タイ風さつま揚げ、青パパイヤのサラダ、トムヤムクン、タイ風焼きそば

バリキャリのOさんと近所の「マリ・タイ」で食事。ここはわが家からとても近いタイ料理店なので却って今まで一度も足を踏み入れなかったのだけれど、最近ネット情報でわりあい高い評価を目にしたので初めて入ったところ、確かにどの料理もそこそこイケて使える店の発見と相成りました∈^0^∋
昼間バリキャリOさんから突然お電話を頂戴して、そういえばお互いダニエル・デイ・ルイスのファンなので「リンカーン」を一緒に観る約束があったのを想い出した。Oさんのほうは私のブログをご覧になって、このところあまりにもバタバタしてたから声をかけそびれていたとのこと。今日ようやくさいたま副都心の映画館で観ることになり、「思えば私たちそっくりさん映画ばっかり観てますよね〜」とOさんが仰言ったのは前回「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」をご一緒したからであろう。で、今回のダニエル・デイ・ルイスももまたメリル・ストリープに負けず劣らずのそっくりさんぶりを発揮して、ことにオープニングはまるで絵画から抜けだしてきたような酷似メイクに驚かされた。映画全体が重厚な史実モノの作りだけに、さすがに他国の歴史にそれほど詳しくない身としては、出だしがちょっと乗れない感じでいささか退屈しそうになったものの、後半はしだいに盛り上がって地味なシーンながらも手に汗にぎる展開となり、エンターテインメント性も存分に窺わせてくれた作品である。日本でいうとちょうど明治維新の直前の出来事で、当時は南北戦争に勝利を収めつつある北米においてでさえ、人類が根源的に平等であるという意識は社会の中にまだきちんと育ってはいなかったのだという事実を改めて考えさせられた。徹底した奴隷廃止法令を何が何でも議会に通したいリンカーンは余りキレイな手段とは思えないやり方で自ら票集めに奔走するといった実にしたたかな面も覗かせるし、家庭内の確執もそれなりに出てくるのだが、全体にとてもストイックな聖人君子といった描かれ方をしており、暗殺後のラストはまるでキリストの生涯を描いた映画を観せられているような厳かな雰囲気だったのは、米国におけるリンカーンの位置づけからすれば当然のことなのかもしれない。もっともその点が他国の人間には少し乗りきれないところでもありました(v_v)




2013年05月07日

追悼

河竹登志夫先生が亡くなられたのを知ったのは明治座の食堂だった。めったに行かない明治座へ今日行ったのは歌舞伎公演の夜の部で「鯉つかみ」が上演されるからで、私はこの芝居をすいぶん前に一度観たきりだったので、久々に観ようと思って珍しく招待状の返信を出したのも、何か虫の知らせのようなものだったのかもしれない。食堂でこれまたつい先日取材をされた共同通信の瀬川記者に偶然お会いして訃報を受け、ただならぬショックを感じつつ、先生の現在のお住まいが近くの新大橋だったのを想い出し、瀬川記者に詳しい住所をお確かめ願って、にわかの弔問を致すところとなったのは、やはり先生に呼ばれたような気がしてならない。
河竹先生は子供の頃から存じ申しあげていて、そもそも早稲田に行ったのも河竹先生がいらっしゃるからだったのに、在学中は残念ながら、さほどの御縁がなかったという話は、NHK出版のWEBで連載中の 『師父の遺言』に詳しく書いているが、卒業後にむしろ御縁が深まったようなかたちで、ことに武智先生が亡くなられてからは後見人のようなこともお願いしたりしていたのだった。
最後にお目にかかったのは二年前の六月三十日で、名著「黙阿弥」が講談社の文芸文庫となる際に、先生のご要望によって不肖私が解説を書かせて戴くことになり、その解説をとても気に入ってくださって、おいしい中華料理をご馳走になったのだった。その時はとてもお元気で、なんと四時間半もおしゃべりをして、面白いお話をさんざん聞かせて戴き、またお会いしましょうと言ってお別れしたのに、去年はとうとうお会いできず、今年は歌舞伎座の開場式が済むまではと遠慮して、3月に京都へ帰った折に先生のご好物がちりめん山椒だったのを想い出してお送りしたところ、いつもは筆まめな先生が必ずご自分で書かれたお葉書を下さるのに、奥様の代筆で頂戴したため、ひょっとしてお具合があまりよくないのではないかと心配していたものの、無事に開場式を終えられたので、今度もまた6月お目にかかって新刊の『壺中の回廊』をお手渡しするつもりでいたのである。先生は拙作をいつもちゃんと読んでくださっていて、『家、家にあらず』なぞはまだ「小説すばる」に連載している時点でお読みくださっていてびっくりさせられた覚えがある。『壺中〜』には先生の御父君と先生ご自身をモデルにした人物を主人公にしているし、『師父の遺言』にもさんざん書かせてもらったので、今年は何としてもお目にかからなくてはならない気持ちだったのだ。
それやこれやで矢も楯もたまらず、奥様がおひとりでいらっしゃるところへ突然押しかけるかたちになり、先生が本当にきれいなお顔で安らかに眠っていらっしゃるお姿を拝見した途端にボロボロと涙が噴きこぼれてしまった。
歌舞伎座の開場式で黙阿弥の子孫として立作者の役目を務めるために、この間の体調維持にどれほど神経を使ってらっしゃったかというお話や、膨大な量の仕事に対していかに隠れた努力が常にあったかというお話を奥様からさまざまに伺って、そうした努力をちっとも感じさせなかったところが河竹先生の都会人らしい素敵なところだったのだと改めて思ったものである。
先生の文章はわりあい平易であるがゆえに、私も若い頃はなんだか物足りなく思っていたし、わざと詩的な言い回しや難解な言語を用いて名文を気取った虚仮威しの評論みたいなものにヘンに感心していた時もあったのだけれど、この歳になるとさすがにわかりやすいことをわざと難しく表現をする人はバカに見えるもので、逆にわかりやすい文章を書くことの難しさが実感できるだけに、河竹先生の解説書の凄味のようなものがじわじわわかりかけてきたところだった。ただわかりやすいというだけではなく、先生は本当の意味での名文家であったことも、自分がいくらか物を書いた上でやっと実感されたのである。
親の七光りでちっとも努力なんかしないで、わかりやすいことだけを研究して、読みやすい文章をすいすい書いている人みたいに思わせ続けた先生のカッコよさは誰にも真似できなかったことだし、今後も誰も真似できないであろう。そういう意味でも、歌舞伎界はまた大きな人を喪ってしまった。新生歌舞伎座の誕生と共に歌舞伎界は今まさに「時代」が変わろうとしているのをひしひしと感じさせられつつ、謹んで御冥福をお祈り申しあげます。



コメント(3)

『作者の家』『黙阿弥』を読んだ直後、河竹家の世界に浸った勢いで<松濤の家>を探したら、主が変わった後も、(多分)当時のまま残っており、たまたま開いていた木戸から庭と母屋が垣間見れたのを思い出します。時々ロビーでお見かけしましたが、新生なった歌舞伎座を見る事ができて、黙阿弥ゆかりの石灯籠を屋上庭園に納められたのは、お幸せなことだったと思います。
文中、「御父君」のところ、誤記になっておりました。

投稿者 ウサコの母 : 2013年05月08日 11:45

河竹先生とは、時々お寿司屋さんでご一緒になり、見ず知らずの私たち夫婦に優しい目線を送ってくださり、時にはお声をかけていただいた思い出があります。
大きめに握られた昔ふうのお寿司を、うれしそうに頬張っていらしたお姿が忘れられません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿者 ヒロコ : 2013年05月08日 12:51

河竹先生のダンディでいながら、眼鏡の奥の人懐っこい優しい眼差しを憧れのように慕っておりました。

昔に「河繁」でたまたまお会いして「飛鳥」「幟」のバーと「輪違屋」の傘の間へとはしごしたことを  
いつも思いだしながらテレビでお話になるのを拝見しておりました。

先日の「にっぽんの芸能」のお姿が最後になりました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿者 杓庵 : 2013年05月09日 00:41



2013年05月08日

柿葺落五月大歌舞伎第二部

今日は午後から元米朝事務所の大島さんと歌舞伎座の楽屋を訪ねてから公演の第二部を観劇し、そのあと近所の「天壇」で食事。
今月の第二部は時代の『伽羅先代萩』で幸四郎・吉右衛門の兄弟対決や、世話の『廓文章』で久々の孝玉コンビ復活があったりと、なかなかに興味深い主配(おもはい)の狂言建てだった。「先代萩」はとにかく並び腰元に至るまでベテランの名題クラスが務める豪華版で、主役政岡の藤十郞以下いずれも気の入った演技で緊張感のある舞台に仕立てている。藤十郞は竹本の語りが自然に観客の耳に入ってくるような浄瑠璃の文句に忠実な演技を丁寧に見せているものの、如何せん、政岡の息子千松少年の喉に悪人八汐が懐剣を突き立ててえぐるシーンでは、観客がさあっと引くのを感じてしまい、大島さんも「この芝居はもうギリギリだよね」と言われたほどで、芝居自体の寿命がいつまで保つかが心配されたものである。私が歌舞伎を見始めた頃は子殺しの芝居が今よりもっと多くあったのだけれど、半世紀以上たてば人間のメンタリティも相応に変化を遂げて、いかにリアルな演技ではないとはいっても、子供をなぶり殺しにするシーンを眼前に展開されたら、戸惑いを覚える観客が増えたのはやむなしといえよう。思えば亡き六世歌右衛門の政岡は、子供を眼前で殺されるシーンは全くのノーリアクション、悪人の栄御前を見送るシーンではにんまり笑うという不可解なまでの怪演を披露しながらも、次のクドキが狂気の爆発として却って生々しいほどのリアリティを感じさせたもので、子を殺されたあとの母親は全体にそうした狂気が漂わないと五十年前でももはや成り立たない芝居だったのかもしれない。藤十郎は「でかしゃった!」のセリフに一瞬狂気が窺えたものの、あとは浄瑠璃の文句に忠実な分、意外と冷静に嘆いているように見えてしまうのだからなんとも厄介な芝居である。八汐役の梅玉が子供をなぶり殺しにするシーンもあっさりし過ぎているように感じられたが、今どきはこれくらい淡泊にしないとますます観客が引いてしまうのかもしれない。とにかく床下では荒獅子男之助とほぼ同等の拍手がネズミに対して与えられるのだから吉右衛門も気の毒で、歌舞伎の客層というものがすっかり変わったことを痛感させられたのだった。とはいえ床下がこれだけの豪華配役で上演される機会は今後まずないだろうし、芝居全体にそうしたゴージャス感があったという点で、続く『廓文章』と併せて今月の柿葺落興行の中では第二部が最もお見得な印象を持たせた。
『廓文章』の夕霧を演じる玉三郎は登場の瞬間、三、四十年前にワープしたような美しさをキープしている点に驚嘆させられたものの、芝居は仁左衛門のいわば独壇場で、全体にコミカルさを漂わせつつも伊左衛門の心情を一瞬はらっと強く滲ませる気の入った演技に魅了された。「先代萩」で栄御前をそこそこ公演した秀太郎もやはり吉田屋の内儀が本役といえて、兄弟で活き活きとしたやりとりを見せるが、何より感心したのは踊りに絡む幇間役の千之助で、実に子役とは思えないような達者な演技を披露している。ともあれ賑やかでコミカルさを身上とする松島屋型の『廓文章』はめでたい柿葺落興行にぴったりといえるのかもしれず、男の可愛らしさを強調した芸風で女性客のハートを射止めるのが今の松島屋カラーなのかも?と思ってしまったのは昨日たまたま明治座で愛之助の『鯉つかみ』を観たからでもあろう。深刻な芝居で暗いシーンに終わる「先代萩」の直後に『廓文章』を上演することで、観客はほっとした気分も手伝って大いに盛り上がり、結局は松島屋においしいところをさらわれちゃったという第二部でもあったような気がしないでもありません。




2013年05月09日

肉じゃが

今週はいろいろとあって、明日までの〆切りが綱渡り状態なのでブログを書く余裕がありません。悪しからずご了承下さいm(__)m




2013年05月10日

青山

東京の青山は徳川家臣青山氏の広大な屋敷地だったことに由来する地名だが、明治期にそこを霊園の地としたのは果たして「人間至る処青山有り」という月性の漢詩に因んだものなのだろうか。
ともあれ今日は青山斎場で河竹登志夫先生のご葬儀に参列してお見送りさせて戴いた。御棺に先生のお好きなカエルの縫いぐるみが添えられているのを見て、ハッと想い出されたのは私が以前ブログでとても失礼なことを書いてしまった件である。爆笑問題の番組に先生が出演されてカエルコレクションが紹介された折に、先生のカエル好きは民主党の岡田氏と同じく、ひょっとしたらお顔が似てらっしゃるせいかも?と書いたら、それをわざわざプリントアウトして先生のお目にかけた方がいらっしゃったらしく、先生ご自身から「顔が似てるせいではありません」として、お好きになられた理由がちゃんと書かれたお手紙を頂戴し、その時はめちゃくちゃ恐縮するはめになったのだけれど、今となっては非常に懐かしい想い出である。本当に茶目っ気のある優しい先生だった。祭壇に飾られた御遺影も先生らしいステキな笑顔で、「怒られた顔なんて見たことがありませんよねえ」と偶然お会いした竹本越京さんも仰言っていた。
越京さんは早稲田OGとはいえ、河竹先生とは一体どのような御縁だったのかをお尋ねしたら、「実は子供の時にお会いして、早稲田に行ったのも河竹先生がいらっしゃったからなんですよ」と私と同じようなことを仰言るので、詳しく話を訊けば、共同通信の記者だったお父様のお仕事の関係で子供の頃をなんと冷戦時代の旧ソ連(ロシア)でお過ごしになっていて、先生が歌舞伎のソ連公演に同行された折に会われたのだという。その際に歌右衛門が「娘道成寺」を演じた舞台もご覧になっていて「ふつう西洋の舞台は縦長なのに、その時は横長に使われているからそれが物凄く印象に残ったんですけど、肝腎の踊りのほうはさっぱり記憶がなくて」とのこと。それにしても、その舞台を見てる日本人は、この世にもう数えるほどしかいないはずなので、今や貴重な生き証人といえるのかもしれない。
ご葬儀のお見送りではNHKの古谷アナともご一緒して、話題が歌舞伎座の開場式に及んだので、先生の奥様から伺ったお話をお聞かせ申しあげた。先生は体調にかなり問題があるのを押して臨まれたので、手が震えて読みあげる口上書きの紙を落とすかもしれないと心配され、懸命に全文を暗記しようとなさっていたというお話だった。御年齢からして、暗記しようと思われること自体がスゴイとしかいいようがなく、古谷アナもすっかり感心してらっしゃった。




2013年05月11日

カレー炒めうどん

今日は土曜日とはいえ朝からずっと根を詰めて執筆し、夕方一段落したところで買い物に出かけ、簡単な料理をして食事を終えてから留守電を聞き、観劇の予定があったことにやっと気づいて真っ青になった。週末はいつも疲れてぼっとしやすいのだが、今週はいろいろとあって来週15日の〆切りが二本重なっているために疲労度も大きいようで、この間に改憲に関する問題やら何やらブログに書きたいこともいろいろあるのだけれど、それを書く気力のほうがありませんので(×_×)またにいたします<(_ _)>




2013年05月12日

麻婆豆腐、椎茸と筍の炒め物、餃子、ぴり辛こんにゃく

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
昨日の雨で最初のレッスンは馬場がぐちゃぐちゃだったのに、次のレッスンではもう乾いていたという強い陽射しの下で、騎乗したお相手は、お馴染みアラブ鹿毛の紳士スーパー氏と、ハイセイコーのお孫さんという、お爺さんお婆さんコンビだったが、両馬とも高齢にもかかわらずけなげに走ってくれて、ああ、これだからどんなに忙しくても、乗馬だけは欠かせないのよね〜と幸せな気持ちに(^ニ^)
ことにお孫さんは、馬房から連れ出そうとした時は後ろを向いて寝ていたために、いかにも迷惑そうな顔でキッと振り向いたのだけれど、こちらが誰かわかったあとはさんざん匂いを嗅ぎまくって頭絡のハミを自ら口にくわえようとするのだからカワイイ!お婆さんである。馬場では相変わらず常歩段階の始動が悪いのでつい腹に蹴りを入れてしまい「松井さん、蹴っちゃダメだよ! 」とベテランインストラクターのIさんに注意される始末だったが、そのあと馬上で腰をあげてまっすぐ立ちながら速歩をするエクササイズを繰り返したせいか、駈歩の発進が巧く行き、お孫さんは近ごろにない快走をして非常に気持ちがよかった。「いかにさりげない合図で動かすかが乗馬の基本ですからね。相手も生き物なので、こっちが動かしてやろうというような気持ちが強いと却ってダメなんですよ。障害でも、騎手が跳んでやろうという気持ちが前面に出ると、結構失敗したりするもんなんでねえ」とミーティングでも教わったが、考えてみれば、そうしたお互い生き物同士というところが乗馬の何よりの醍醐味ではなかろうか。どんなに精巧に出来ていてもロボット馬じゃきっとここまで面白くはならないはずで、さんざんこっちの匂いを嗅いでくれたり、人の服に鼻汁をこすりつけてくれたり、ボロしてこちらに掃除をさせたりするのも含めて、馬たちの愛すべき点と思えるようでなくっちゃあ乗馬はそんなに長続きしません。ところで生き物には好き嫌いが当然あって、黒砂糖が大好きなお孫さんが白い角砂糖には見向きもなさらないのは知っていたが、今日は同じくお孫さんびいきだったTさんが「あの子スイカは食べないはずだったのに、こないだ美味しい小玉スイカをやったらバクバク食べるんですよ。私は違いが分かる女なのよ、って感じなんですかねえ」と笑わせてくださった。そういえば、わが家の♂カメ俊寛もイチゴはあまおうしか食べない時期がありましたっけ(笑)


コメント(1)

バナナはいかがですか?
我がクラブの9頭の馬のうち
8頭は嫌いです。
トマトも同様です。

投稿者 小山 雅子 : 2013年05月13日 22:53



2013年05月13日

中華総菜三点盛り、焼き野菜のサラダ

近所の美容院の帰りに近所の高島屋でゲット。
近所の美容院にはドコモの電子書籍端末が置いてあるので今日はそれを手に取って「ブラックジャックによろしく」をシュッシュッとめくってみたが、現行マンガのコマ割りはやっぱりペーパーの冊子に対応したものであることが妙に強く感じられて、マンガのみならず雑誌のレイアウトにしても、間に合わせじゃなくて電子書籍にきっちり対応したものがもっと現れるべきだよな〜とか思いつつ、一方で女性誌なんか美容院の購入率が高かったはずだから、電子化をもっと急いでもよかったし、新聞業界も出版業界もいっそ紙を全部棄てるくらいの覚悟で臨まないといずれ一般社会から置いてきぼりにされちゃうんじゃないだろうか?とまで思ってしまうのは、無責任なネット情報が氾濫していて、この分だといずれ完全な文化的断絶が起きかねない事態を憂うからだが、電子媒体の困ったところは次々と現れては消えて行き、一体どこまで行ったら止まるのかもわからないところだろう。タブレット型の端末をいじってる私に美容師さんが「どんどんベンリになりますよねえ。メガネ型で目を動かすだけでページが繰れるようなものもきっとすぐに現れますよ」と仰言ったので、ホント出版界も対応が追いつかないのは無理もないよな〜という気がした。コンピュータのおかげであらゆる分野のイノベーションが加速するなか、昨夜のNHK番組では3D プリンターが詳しく紹介されていて、こんなものが現れたら金型を作る職人さんもオリジナリティーのある人しか生き延びられないよな〜と思い、続けて介護ロボットが紹介されて、人間のすることがどんどん無くなっていきそうな現実に、明るい未来ばかりを想像するわけにはいかなかった。とにかく人類はコトバと文字で創りあげてこれまで延々と続いてきた文化とはまったく別次元の世界に移行するのかもしれない。今がその移行期だとすれば、人類全体が野蛮な精神に支配される恐れも十分あるわけであります(v_v)




2013年05月14日

鶏肉とチンゲンサイの塩炒め

QPで前に見た料理。鶏もも肉を酒醤油で下味し、カタクリ粉をまぶして、潰したニンニクを入れた油で炒め、いったん取りだしておく。残った油に斜め薄切りにした長ネギとチンゲンサイの茎、葉を入れて炒め合わせ、鶏肉を戻して、鶏ガラスープに酒、塩、カタクリ粉を混ぜ込んだ合わせ調味料を加え、仕上げに粗挽き黒胡椒を振る。
急に暑くなったせいか、♂カメ俊寛は早朝からカッカして♀カメ千鳥に襲いかり、けさはベランダに降りた私の足にまでまとわりつくのでウザイから蹴飛ばしてしまった。俊寛がカッカして排泄したがってるのを見るたびに、ああ、動物の♂って実に哀れなほどバカバカしい存在だな〜と笑っているのだけれど、ハシモトのウザイ発言は立場上あまりにも節度を欠いているためにちょっと笑えなかった。いくら本音をポンポン言うのが受ける大阪でも、市長のああいう発言を歓迎するようでは民度が疑われるし、ハシモト自身、ひょっとしたらもう維新の会がすっかり嫌になっちゃってて、やけくそで自爆テロ風に暴言を吐き散らかそうとしてるのかも?こないだの猪瀬都知事みたいに……とすら思えてしまう私である。戦前の政治家でさえ、記者のいる公的な場で、堂々とああした発言をした例はほとんどないのではなかろうか。
私は吉原物を書いているくらいだから、かつての婦人運動家みたいな堅いことを言うつもりはさらさらないが、戦時中の従軍慰安婦問題が取りざたされるたびに、これは日本の軍隊の問題ではなく、近代以降も公娼制度を残存させていた日本という後進国の特殊事情がからんでいるように思われてならないのである。日本の兵隊が現地の女性をつかまえて慰安婦にしたなどということはいくらなんでも有り得ない気がするが、公娼制度を残していた国においては、かりに自由意志でなったとしても、借金を残して自由意志で止めるわけにはいかない場合、国家権力が妓楼の側につくという事情の下、女性たちにさまざまな形で不当な圧力がかけられたであろうことは容易に想像がつくのである。とにかく日本に長らく公娼制度が残ったことは、鶏と卵よろしく、この国における男女関係の歪さにも反映しているであろう。ハシモトのような赤線も知らない若僧の政治家が公的な場で今どきああした発言を平気でしてしまうこと自体、本当にどうかしているとしかいいようがない。それにしてもハシモトとかイシハラとか子供をいっぱい生ませている♂はもはや旧人類なのかもしれないと思うくらいに、昔に比べて今どきは「ホンマにあかんで〜女の子と男の子といっしょに泊まっても何にもしはらへんらしいで〜」と京都の妹はよくいうのである。人類のやるべき仕事がどんどん減っているのに、人類自体は高齢化して減りにくくなっているし、地球規模では増えすぎているわけだから、それに応じてカッカするのが収まってきたということは大いにあり得る現象なのであろう。カッカして戦争なんかしでかしそうな♂をなるべく減らすようにすることこそが、今後の人類には必要なのかもしれません。


コメント(10)

文楽の助成金問題で去年倒れる前に住太夫さんが橋下市長に会われた時に「最近初めて祇園に連れて行ってもらったら非常に面白かった。文楽もあんな風に面白くできないですかねえ」と言われたと住太夫さんが週刊文春の「阿川佐和子のこの人に会いたい」の頁で述べておられます。
仮にも大阪の府知事や市長になった人が自前で祇園にも行った事が無いとは!と思いましたが、こんな人では歌舞伎も文楽も、いや文化とは国にとってどのような物か、又なぜ必要か判らないと思いました。
今回の発言もただ石原の老害の言う事を鵜呑みにしたような気もしますが、まあ、あの男なら言いそうですわ。
大阪の人間として恥ずかしい。もっと恥ずかしいやろと思うのは橋下さんの奥さん、「7人も子供作ってまだ処理に困るようなおっさんと夫婦ですねん」なんて恥ずかしいて表に出られへんと思いますけど、夫唱婦随なんですやろか?

投稿者 お : 2013年05月14日 23:07

ハシモトさんの今回の全発言を知っているわけではないので、狭い了見かもしれませんが、私は言っても良かった発言だと思っています。売春やら買春やらとぼかして現在では言われますが、どこの国でもそれの無い国は無いような気がしています。
 従軍慰安婦の問題は国が強制的に日本の女も朝鮮半島の女も関係なく兵士のためにセックスをさせたことが一番問題のように思うのですが、政治家がそのような発言をすることは恥みたいに触れずに済ませることが一番良くないことだと思います。
 アメリカの強姦だって特殊な強姦を好む人以外は、性的衝動をお金を払うことで処理できるなら少しは減るかもしれないと思います。私もどうかしているのかもしれませんが。
 今回のマスコミのハシモトクンの報道は一部を切り取って囃し立てたり、非難している雰囲気が漂っています。

投稿者 nao : 2013年05月15日 00:55

naoさまへ
>国が強制的に日本の女も朝鮮半島の女も関係なく兵士のためにセックスをさせたことが一番問題のように思うのですが、

こうした事実があった証拠はないという主張があり、恐らく実際そうなので、この問題はそこが大変に厄介なことを承知しておいてください。
国家が強制した事実は断じてなかったが、公娼制度下におけるシステムが、現場レベルにおいて、強制のような雰囲気を作りあげていたというのが実態だろうと思いますし、そこを安易に強制という言い方をすることによって、いつまでたってもこの議論が終わらないのが一番の問題なのです。今回のハシモト氏にしても、簡単にものを言いすぎることが、こうした問題をどんどん厄介にしてしまいます。日本の公娼制度は、安全な性処理のできる場を国家が提供していたとして肯定し、復活すべきだと主張する人たちもいますが、私は残念ながらその立場を取っていません。さざまな点で、そのことが今日にもたらした悪影響のほうがやはり大きいように思うからですが、詳しく説明している時間までは無いので悪しからず。

投稿者 今朝子 : 2013年05月15日 06:32

お答えありがとうございます。公娼制度は肯定してはいけないことだと思っているのに読み返すと肯定したような主旨になっていたので反省しています。
 しかしそういう事実があったことを避けたり無かったことのように振舞うのも良いことでは無いように思っています。事態は私が考えるよりかなり複雑そうですね。

投稿者 nao : 2013年05月15日 09:16

naoさんの発言にびっくり!!女性でもこういう人がいるんですね。あなたの家族が従軍慰安婦に徴用されたら……娘が風俗で働きたいといったらどうしますか?あなたのコメントを家族や友人に見せて反応を確かめてみましょう。

投稿者 びっくり!! : 2013年05月15日 10:04

びっくりさまへ
 言い訳がましいですが、公娼も私娼もいいことだとは思っていません。しかし何時の世にも存在しています。子どもが風俗で働きたいと言ったらショックですが本人の気持ちをまずじっくり聴きたいと思います。
 しかし、少し論点がずれていてうまくいえませんが、私は強姦事件や犯行者を憎悪しています。

投稿者 nao : 2013年05月15日 10:42

naoさま

追い打ちをしたい気は全くないのですが、慰安婦問題は、特に海外の被害者の方たちにとっては強姦そのものです。
だからこそ、海外では、日本の公式訳"comsort women"ではなく、性的奴隷(Sexual Slavery)と言っています。
数少ない日本人慰安婦の方たちは、自分が防波堤に、というお気持ちがあった方もいらしたようですが。。。
女性=自分の身体を、男が働くために差し出すことが必要、というお考えは一体、どこから来るのでしょうか。。。

投稿者 mm : 2013年05月15日 22:01

私は、62歳の男ですが橋下知事の発言は、いいにせよ、
悪いにせよ、国民1人1人が考えるいい機会だと思います。 たしかに海外マスコミの慰安婦の英訳は、問題ですね。

投稿者 ラスヴェガス : 2013年05月15日 22:42

海外マスコミの英訳が問題なのではなくて、男が欲望をみたすのに女性を道具のように扱ったことが問題なのです。
そして過去において当時許されたことでも現在ではそれは許されないというのが世界の常識です。
過去におきた不幸な出来事は仕方なかったという言い訳は通用しないのに、いつまでも言い訳ばかりしている日本の政治家はどこへいっても尊敬されないと思うし、こんな国益を損なう輩に一票投じてしまう有権者も問題だと思います。

投稿者 keiko : 2013年05月16日 08:55

 mmさまへ
 あまり詳細に言い訳すると言いたい事が伝えられないと思い前回は書いていませんが慰安婦問題も私は一種の強姦だしそれを斡旋した人も強姦の補助をしたと思います。それに誤解を与える内容だったかもしれませんが、男が働くために女性が身体を差し出すことが必要とは全く思わずそういう考え方は大嫌いです。
 書名を度忘れしていますが東南アジアで子どもが性奴隷にされた内容の本で何年か前に衝撃を受け、性の商売は全て無くなってほしいと思っています。しかし色んな形でありなかなか無くならないのが実情で、根絶はなさそうだと思っているのが誤解を受ける文面になったのかもしれないと思います。私のコメントで不愉快なお気持ちにさせたと思います。すみませんでした。

投稿者 nao : 2013年05月16日 10:10



2013年05月15日

キャベツとひき肉のカレー

QPのレシピ本で見た料理。豚ひき肉とニンニク、生姜、玉ネギのみじん切りを炒めてカレー粉を振りかけて炒め合わせ、トマトの水煮缶、プレーンヨーグルト、ケチャップ、塩胡椒で調味してしばらく煮込んでからキャベツを入れて火を通す。意外と簡単に且つ安上がりに出来るのでオススメ。
バンザーイ\(^O^)/今日やっと2本の入稿を済ませてホッとひと息(*^^)vここにたどり着くのが大変でした(^◇^;) 2本の〆切日が重なるとさすがにグッタリなので、ブログも今日はゆる〜い感じさせてもらいます。夕方買い物に出かけたら、一番近所にあるスーパーが今月から建て替えに入るというポスターが目に留まり、当然その間は閉店になるわけだから「いつ再開するんですか?」と訊いたらなんと二年後!という話で、どうやら近所のビルと併せて高層化し、その一角でリニューアルオープンするのだとか。二年後と聞いて、以前ならあっという間のような気がしたのだけれど、二年間もあれば、そのあいだに何が起きるかわかったもんじゃない(¨;) という気にさせられてしまった今の日本に住む私である。 あちこちの原発にNGが出ても、それから一体どんな手を打ってるのか全然わからないまま、とにかく何事も起きませんように!と氷川神社に祈るしかないのでしょうか(×_×)




2013年05月16日

鴉よ、おれたちは弾丸をこめる

さいたま芸術劇場で、もはや見逃せない感じになってきたゴールド・シアターは、旗揚げ直前に上演した同作品を七年ぶりに再演のかたちで第六回公演を迎え、これが続けてパリ公演も予定されているというのだから大変なもので、初日の今宵は土砂降りにもかかわらず客席は満杯だった。
私は残念ながら七年前のゴールド初演も見逃しているし、ましてや1971 年に現代人劇場が初演した時はまだ京都の高校生だったので見ているはずもないのだけれど、70 年安保闘争前後の雰囲気はなんとなく知っているので、この作品にある種ノスタルジーを覚えるというか、ああ、こんな時代もあったよねえ、と感じるかと思えば全然そうでもなくて、むしろ現代おいてこそ妙にリアリティがあるように感じてしまったのは、ひょっとしたらこのところのハシモト発言騒動に代表される一部日本人の右傾化風潮による余波なんだろうか?なんて思ったりもしたくらいである。
とにかくお婆さん集団が法廷を占拠し、裁判関係者の男たちにどんどん死刑宣告をして殺していくというカゲキなストーリーの不条理劇だが、一体その目的は何かと問われたら、目的を考えるところから堕落が始まるという、当時の過激派を彷彿とさせる返事をよこすお婆さんたちであり、過激派の学生ならまだしも、人生の海千山千越えた分別あるお婆さんたちがそうした行動を取るのはまったく不可解の一語に尽きる、と男たちは考える。しかしながら、彼女たちは関東大震災にも戦争にもびくともしないで自分たちはずっと変わらずにこの土地で生きてきたし、太古の昔から男たちの作りあげたものを何もかも疑い続けきたんだと主張する。自らの内側でずっと鋭い声をあげながらもコトバにはならない怒りを爆発させて、彼女たちは男たちをこの世に誕生させた自分の子宮で絞め殺してやりたいと思うくらいに絶望し、体制を守る番人の検察官や裁判官らを血祭りあげる一方で、革命を唱えるばかりで現実をちっとも動かせずに彼女たちを失望させた学生闘士の孫たちをも自らの手で屠るのだ。
成田空港用地買収に際した三里塚闘争における農民の反対運動で実際に当時のお婆さんが闘った姿に着想されたと思しきこの作品が、今日に妙にリアリティがあるように感じられたのは、ちょうど70年代に学生運動をしていた世代がお爺さんお婆さんになって、たとえば原発反対運動等に参加している人たちも沢山いるだろうと思われる一方で、この国にはとんだアナクロ発言が飛びだすような変わらなさがいまだにあるせいなのかもしれなかった。かつて左派にもっと勢いがあった昔を知る身としては、経済的なプチ成功にあぐらをかいて堕落しきっちゃった全共闘爺さんたちがまったく頼りにならなくなった今、あの頃と少しも変わらない婆さんたちが右傾化した孫なんかぶち殺しちゃうくらいの気概を持って総決起しないと、原発を含めたこの国のヤバイ現実や雰囲気は解消できないかも、なんてことまで考えさせられてしまったこの芝居。幕切れは非常にドキッとさせられて、これぞ蜷川演出とゴールド&ネクストシアターのコラボでしか味わえない感動がもたらされたのだが、これから観る方のためにそのことは敢えて詳しく書きません。




2013年05月17日

たけのこと牛肉の炒め物

昨日のQPで見た簡単な炒め物。筍とニンジンは先に蒸し炒めにしておく。牛肉は塩胡椒酒で下味してカタクリ粉をまぶし、ニンニクを潰し入れた油で炒め、筍とニンジンを炒め合わせて豆板醤、砂糖、酒、醤油を混ぜた合わせ調味料で味付けする。
NHKの特報首都圏でグローバル社会で生き抜くための教育についての特集を見ながら食事。子供をインド人学校に通わせる両親もあれば「世界に勝つ」成長戦略第2弾を発表したアベボンもいて、日本は今や官民一体となって、失われた二十年を取り戻すべく、必死に巻き返しを図ろうとしている矢先に、あまりにも国際感覚と隔たりのある政治家の発言が相次ぐことで、アタマの痛い思いをしている人も多いかと思われる。それにしても西村代議士の問題発言を BS フジで全部聞いたらさすがにアゼンボーゼンとしちゃいまして、イシハラはもとより、こうした右寄りの人ほど国難を自ら招き寄せちゃう感じなのは、なんとも皮肉な話というしかない。存在自体が国辱モノであるこの手のオッサンは、ズボンをずり降ろして竹刀で尻をぶちすえるしかないのかも?てな発想になるのは昨日の芝居を観たせいだろう。
ともあれ日本は明治の開国直後に外国人目当ての遊廓を築地に作ったものの、外国人には見向きもされずに顰蹙を買うばかりで、すぐに閉鎖に追い込まれているし、明治五年にはペルーの船で奴隷状態にされていた清国人を人道上の理由で解放するよう求めたところ、ペルーから「お前の国にだって娼妓という女奴隷がいるじゃないか!」と突っ込まれてようやく、えっ!これってマズイの…と気づいたくらいに当時は国際感覚とかけ離れていたのは仕方がないとしても、二十一世紀に入ってもうかなり経つのに、この手の問題に関してのセンスが当時とほとんど変わっていない政治家の存在を容認している点において、経済的発展はそこそこ遂げていても、民度まだけっこう低い国なんだよな〜という認識がなされているにちがいないのは非常に腹立たしいかぎりであります(-_-#)


コメント(2)

ただただ大阪に住む者として恥ずかしい
西村代議士は確か尖閣諸島にも国旗を立てに行ったような気がするのですが。あの時には石原都知事も行くとか言ってましたから、やはりあの二人も連絡取り合った仲なんでしょうね。
西村代議士の顰蹙を買う発言は数年に一度繰り返されて、今までにも除名された事があると思うのですが、何故あの方政治家で居れるのか判りません。
橋下市長は依然ツイッターで自分の不適切は発言を弁護するような言葉を連ねてます。一種のネット馬鹿のようにも見えます。ネットは書きなぐる感覚で書き続けられますが、文章として考えながら書く(ワードを使って)と考えて言葉を選びます。ツイッターの恐い所は常に書きなぐっているので人前の発言も考えて言葉を選べなくなる処じゃないでしょうか?

投稿者 お : 2013年05月17日 23:42

20年くらい前、新聞の投書欄の「花魁道中をやめて、子供に花魁を説明できない」という主婦の意見に「うーん」と思ったことがあります。
即座に「まったくだ」と思わなかった自分にも、遊郭文化というのか、歴史的なものならと性奴隷を容認する意識があったと思います。
男の人が女遊びをすることを「甲斐性」と持ち上げたり、社員旅行で韓国や東南アジアに買春ツアーに行くのを奥さんたちが気持ちよく送り出したりしていたのはつい最近まであった話です。
揉め事を嫌がり、男たちに正面から向き合うことを避け、自分が楽をするために弱い立場の女性に苦しみを押し付けて見ない振りを続けてきた女たちにも責任はあるだろうと思います。

投稿者 ぷみ : 2013年05月18日 07:35



2013年05月18日

高野豆腐の肉巻き照り焼き

QPで見た料理。もどして拍子木状に切った高野豆腐に豚バラ肉を巻きつけて焼き、醤油、砂糖、味醂の合わせ調味料で味付け。肉を巻きつけたあとのり付けのために小麦を少々振っておく。簡単にできて意外とオイシイ。私はこれにアスパラガスの肉巻きを加え、こちらは塩胡椒で味付けした。
今日は久々に仕事を早めに済ませて、日用品の買い物にまわった。とにかく今月末から近所のスーパーが長期休業に入るので、保存のきくものは買い込んでおこうと思ったのだけれど、誰しも考えることはいっしょで品切れが続出。近所にクインズ伊勢丹や高島屋の地下もあるので日々の買い物にはまったく困らないのだけれど、シマッタ、調味料がキレてる!みたいな時がちょっと厄介で、やっぱり徒歩一、二分で24時間営業のスーパーがあるのはベンリっちゃあベンリなのである。
ところで昨日これも久々に電話をした京都の妹に「なんかのTVで見たんやけど、大宮は地価が騰がったらしいなあ」といわれて、へ〜そうなんだ〜と思いつつ、さすがに関西人らしい目配りというか、それにしても関西の番組で埼玉県の土地を取りあげるなんて珍しいこともあるもんだという気がしつつも、「そら賑わし神の私が引っ越してきたら土地は騰がるわいな。三軒茶屋も、事務所置いた渋谷の神南も、私が行ってからどんだけ賑やかになったか〜」な〜んてこっちは自慢たらたらf(^ー^; 「京都から行くのにも、前の家よりもベンリええしなあ」と妹がいうのは新幹線が停まる駅だからで、しかも町がコンパクトだから歩ける範囲でほとんどの買い物が済ませられるのは、私みたいな運転をしない人間には実に有り難いことだと、今日も夏の普段着をユニクロでまとめ買いして思ったものである。その割に、辺鄙な場所に引っ込んだように思われてもいて、出て来られるのはやっぱり大変ですよね〜とか言われるのをもっけの幸いに、苦手なお誘いをネグったりできるのがまた、なんて素晴らしい町なんだろう!という気持ちにさせられるわけであります(笑)。
もっとも、私的には今ぐらいがちょうどイイ感じなのに、長年凍結状態だったらしい駅東口側の再開発がいよいよ始まっちゃうらしいのは、何だかな〜なのである。町には必ず消長があって、三茶もちょうどイイ感じになり始めたのは私が引っ越して十年くらい経った頃で、それから十年間がピークだったような気がしたものだ。やっぱり町はピークの来る寸前あたりが楽しい。
私が昔ハマッたシムシティーという街作りをするコンピュータゲームでも、家を建てて設備を充実させるにつれて人口がどんどん増えていくのだけれど、整然と高層マンションが立ち並ぶあまりにも立派な町にし過ぎてしまうと今度は逆にだんだん人口が減少モードに入るので、ちょうどいいくらいの感じに留めて人口を増やし続けるのが結構むずかしかったように記憶する。経済なんかも同様で、中流の人が占める割合の多いのが発展の条件だといわれるのは本当なのだろう。さて、アベボンの経済政策は結果的に中流層を増やすことにつながるのかどうか、今はまだ口先段階だから、耳障りのいい話が聞こえるばかりで、実際はフタを開けてみなければ何ともいえません。




2013年05月19日

中華総菜セット

乗馬の帰りに近所の高島屋でゲット。
昨日クラブから電話があって、フロントのNさんが暗ーい声で、あのー実は……と話しだされた時は一瞬ドキッとして、わが愛馬ハイセイコーのお孫さんに何かあったんだろうか(__;)と心配したが、今日の最初のレッスンで専用馬にしていた青毛のリー君がダブルブッキング状態になったお詫びのお電話だったのホッとした私。で、代わりの馬は、インストラクターのHさんに「今日は先に謝っときますね」と宣言したくらいに巧く動かせない超ヘビー級のベリー君で、それでも今日は乗り慣れているお二人の方からアドバイスを伺って、速歩まではなんとかサクサク動いてくれたものの、駈歩の段階になると発進時に手綱を引く悪いクセが出てしまい、合図を出した途端にぴたりと停まってしまういつものパターンで 、いや〜〜 マイッタ、マイッタ (*_*) 発進時に手綱を引くクセは、前のめりに走る高齢馬のお孫さんを駈歩発進時に踏ん張らせるためについたもので、なかなか直らないのは困ったもんなのだけれど、それでも懲りずに次のレッスンで彼女に乗ってしまったのは、昔なじみのわりにさほど年齢を感じさせない走りをしてくれるからなので、とにかくまだゲンキなのが何よりである。今年になって彼女よりも若いベテランの馬たちがバタバタ倒れており、今日もまた以前よくお世話になったハッちゃんが亡くなったのを知らされて、厩舎に設けられた祭壇に冥福を祈った。ハッちゃんは大柄な姐御風の牝馬で、私が騎乗している最中に彼女が発情してセン馬君に言い寄ったことが二度もあった!のは忘れがたい想い出だ。晩年は全身が神経痛みたいな状態だったようにオペラ歌手の S さんから聞いた覚えがあり、とても可哀想な気がしてたのだが、とうとう逝ってしまった。人間よりも寿命が短いのだから仕方がないとはいっても、お世話になった多くの馬たちとお別れするのはやはり辛いものがある。
ところでお孫さんに乗ったレッスンでは、今日も事前のエクササイズが功を奏して部班の全頭が駈歩で快走し、インストラクターの ISさんからは馬のテンションをあげて集中力を高める方法を習い、乗馬は馬に乗った人間がいかに動かずに、いわば馬の気持ちを乗せて動かすか、というスポーツであることを、前回に引き続いて教わった。過去の歴史で洋の東西を問わず乗馬は人の上に立つ人たちにとって必須の心得だったのもむべなるかなという感じで、部下が思い通りに動いてくれないことにお悩みの管理職の方は、いっそゴルフより乗馬をやったほうがいいかも。な〜んて思っていたら、今日は三ヶ月ぶりに人事部のSさんをクラブでお見かけし、この春ご自身の人事異動で上級管理職になられたことは知っていただけに、「どう、やっぱり大変?」と訊いたら、今まで女性の上司を持った経験が全くない、自分よりはるかに年上の男性を部下に持ってしまった御苦労をお聞かせ戴いたので、「そりゃやっぱり肩を叩いてねぎらったり、ニンジンやったり砂糖やったりするしかないわね〜(笑)」とお慰め申しあげたのでした(^^ゞ




2013年05月20日

タイ野菜とカリカリ豚の炒めもの、タイ風さつま揚げ、パパイヤのサラダ、生春巻き、鶏肉とガーリックライス

ポプラ社の倉澤さんと近所の「マリタイ」で食事。
「今朝子の晩ご飯」の担当編集者だった倉澤さんとは長らくお目にかからなかったが、面白そうなご本やお手紙やメールはたびたび頂戴していて、今日は仕事のご相談でお越しになったものの、お互い仕事そっちのけで近ごろ世間を賑わす四方山話に楽しい時を過ごさせてもらった。このところ伊勢神宮と出雲大社の本を立て続けに編集刊行なさっている倉澤さんは、お母様のご実家があった関係で、子供の頃よく訪れていた大宮なのに、おうちが反対の西口側にあったせいか、氷川神社にお詣りした記憶はない!と仰言るので、さっそくご案内したところ、ブログで読んではいましたが、ホントに立派な神社ですよね〜お詣りした記憶がなんでないんだろう?と感心しきり。引っ越してきたばかりの私のほうが、ほら、やっぱり素敵な神社でしょう!な〜んて自慢しているのだからおかしいσ(^^)




2013年05月21日

キャベツと鶏胸肉の梅味噌蒸し

QPのレシピ本で見た料理。削ぎ切りにして酒を振った鶏胸肉をフライパンで両面しっかり焼いて、ちぎったキャベツを加え、味噌味醂出汁を合わせた調味料とちぎった梅干しを加えて十分分程度蒸すだけ。簡単に出来てさっぱりして美味しいのでオススメ。
食事しながら見たNHK「クローズアップ現代」では最近日本の経済界も提唱しだした「ギャップ・イヤー」という概念が紹介されたが、要するに学生が休学して海外旅行したり、ボランティアをしたりと、途中で寄り道して、さまざまな社会経験を積んだほうが、効率よく進学するよりも、グローバル化した社会では長い目で見て役立つという考え方のようで、それって私たちの若い頃にいわれた「モラトリアム」と違うの?もっと昔はただ浪人って呼んでたんじゃなかったっけ。もっともモラトリアムや浪人は経済界が提唱したりはしなかったような…。経済界が提唱しだすと、それはそれで、そのことに経済的価値がついちゃうから、本来的な意味でのギャップ・イヤーから変質したりしないんだろうか?な〜んて思いながら見てしまった。思えば私はギャップだらけの、モラトリアムのカタマリのような人生を送ってきたことが、NHK出版 WEB 連載『師父の遺言』を書きながら改めて痛感されるのだけれど、人間どんなに効率よく生きたって、というよりも、効率よく生きれば生きるほど死に向かって一直線の人生を送るみたいで、それって怖くありませんか〜?と逆に思ってしまうのだった。生涯賃金とか何もかもみんなわかっちゃってたら、改めてそれをなぞるような人生を送るのって一体どんな気持ちなんだろうか?想像もつかない。まあ、今はそれほど世知辛い世の中になってしまっているんだろうけど、なぜそんなに世知辛くなったかといえば、要するに科学が発達して何もかもわかり過ぎちゃうからなんだろう。何しろ遺伝子で癌になる可能性が高かったら、なる前にさっさと切っちゃうというほどのお先走りのご時世だからして、自分の人生の先なんて見ようと思えば簡単に見えちゃうのかもしれないけど、見えたら見えたで、ゼッタイそんな風になってやるもんか!と私だったら今の時代でも思うかもしれない。人間わかってるのは最後死ぬということだけで十分な気がする。




2013年05月22日

新じゃが、新玉ネギ、アスパラガスのスクランブルエッグ

QPで見たこの時期ならではのカラフルな超シンプルな料理。上に書いた具材にソーセージをプラスしていずれも細かくして、オリーブ油で炒め合わせ、塩胡椒で味付けし、仕上げに溶き卵をまわしかけるだけ。新じゃがはサイの目に切ってから電子レンジにかけ、そのあとフライパンでこんがりと揚げ炒めすること。溶き卵は卵一個につき塩ひとつまみで味付けするといい。
食事しながら例の如くNHKのクローズアップ現代を見て、思わず泣いてしまった。この番組を感心して見ることはあっても、泣いたのはさすがに初めてである。終末医療に当たって、一週間に一度、患者さんのリクエスト食を出す取り組みをしているホスピスが大阪にあるという紹介を聞いて、最初はさすがに食い倒れの町だと思っただけだったのだけれど、末期癌の患者さんに鰻重やステーキや握り鮨やバッテラやスキ焼きといった驚くべきメニューが用意されていて、それぞれのリクエスト食にその人の人生の想い出が詰まっていたり、残された家族にその人が最後に示した思いやりだったりする映像が流れ、人間にとって食べるという行為はやはり最後の最後まで最も重要なのだと改めて教えられた気がした。加えて昔お世話になった大変なグルメの方で、三十年以上も前に私を初めてマキシム・ド・パリに連れて行ってくださったり、初めてオッソブッコや酸辣湯なるものを食べさせてくださった方が、胃癌になられて余命三ヶ月と告げられてからも美食を止めずにいたら一年以上も存えらることができて、入院されてからも病室は常にゴディバの匂いが漂っていた、というような話をお身内の方にお聞かせ戴いたことを想い出したものである。




2013年05月23日

イカと新じゃがの煮物、万願寺トウガラシの塩焼き

今日のお昼は「魔の二歳児」を抱える文春の内山さんがお一人でわが家へお越しになったので、近所の「マリタイ」でランチをしたあと、久々に楽しく色んな話をさせてもらった。まずはガタガタする物音でベランダをご覧にになると、そこには下半身を♀の甲羅に押しつけながらアッアッとひわいな声をあげる♂がいて「ああ、俊寛はちっとも変わりませんね〜」と笑われたら、飼い主としては何とも言えません(-.-;)y-゜゜
今日の話題、三浦雄一郎さんのエベレスト登頂が話題になったのも、お互いガラパゴス旅行をした際に立ち寄ったエクアドルの首都キトで高山病になったため「三千メートルであんなに苦しかったんだから、八千メートルなんて信じらんないよね〜」と意見が一致。株価の話にもなって、お互い売り損ねた株は今のうちにさっさと売っちゃったほうがいいのかもね〜なんて言ってたら、私たちのような人間でさえそう考えるくらいなのだから、これはもう当然のごとくというべきなんだろうか、NHK7時のニュースのトップは東京株式市場の大暴落だった(@_@;)
このところ相次いだ政治家の乱暴な発言についても話題になり、「ああいう発言が許されると思えるような雰囲気を、私たちがいつの間にか作っちゃってた、てことなんですかねえ」と内山さん。「政治家に限らず、何かを発信するなら乱暴なくらい短くてインパクトが強いコトバを使わないと効果が無いというような雰囲気が醸成されちゃってるのは確かかもねえ。なんだか世の中全体がどんどん乱暴な方向に突き進んでるという感じで、これもネット文化の影響に拠るところがあるのかもね〜IT革命はもちろん産業革命的な側面が大きいけれど、一方で思想的な革命という側面もあって、ネットはいわば究極の平等主義を実現しようとするツールでもあるわけでしょう。理想としてはステキだと思うんだけど、平等主義を実現する過程においては当然さまざまな問題が出てくるわけで、人類は本当にそんなことを実現できるのかどうかということが、またしても問われる事態になっていくのかもね」と私。「ツイッターとかって、あれは誰に向かって発信してる行為なんでしょう?受け取り手を想定しない発信ってあり得るんでしょうか?」と内山さん。「むしろ受け取り手を想定せず、誰の発信も平等化されるというところが斬新だったからこそ流行ったんじゃないの。それはそれでいいと思うんだけど、問題はそこからこぼれ落ちてゆく多くのことに気づかなかったり、それまでのコミュニケーションがどんな風に成り立っていたかもだんだんわからなくなっていってしまうことだろうねえ。ひょっとしたら人類はあらゆる面で、これまでに培ってきた多くの叡智を喪うようなことにも
なるのかもねえ。そして結局は平等化どころか、果てしない二極化を人類にもたらす可能性のほうが今は大きいような気が私はするんだよね〜」てな具合にいささかマジな話もしておりました(v_v)





2013年05月24日

肉団子の甘酢炒め定食

整体治療に行く前に大宮ルミネ内の石庫門で食事。ここの日替わり定食はリーズナブルで結構おいしいからよく利用するのだけれど、そういえば昨日は内山さんから「私が一番デフレを実感したのは会社の近所のランチでしたね〜」と聞かされたのを想い出したものである。何しろ超物価高の土地に会社があるので新入社員の頃は昼食を取ると大散財になったそうで、同じ土地でも今は千円以上のランチを探すほうが難しくなったとか。デフレ解消が飲食店に及ぶまでにはまだまだ時間がかかるのかもしれない。景気回復が本格的なものになってきたという実感もイマイチないままに、なんとか株を巧く売り抜けたいという人も国内外共にまだまだ多そうだから、アベボン政権が選挙までは景気のテコ入れに必死になるだろうし、そうすると株価も乱高下しつつまだ当分は上昇傾向にあると見てよいのだろうか。けど本格的に回復なんてするの?結局は口先ばっかで終わっちゃうんじゃないの?というような雰囲気の報道が今のところは主流な感じなので、選挙まではなんとか保っても、その後は自民党が勝とうが負けようが株価は急落するという局面を今のままだと迎えそうな感じなんじゃなかろうか。少なくとも消費税増税を決める秋までにはナントカ売り抜けたいと考えてる人が多いのではなかろうか。な〜んてことを肉団子を食べながら思っていた私であります(^^ゞ


コメント(2)

そろそろアベボンという表現をやめられたらいかがですか。
第二次安倍政権になって半年がすぎましたが、日本を復興させるための首相としての涙ぐましいまでの努力に揶揄するような言い回しは、尊敬する直木賞作家としてマイナスのイメージしか湧いてきません。

投稿者 吉村翠 : 2013年05月27日 21:03

アベボンって全く言いえて妙だと思っていました。
 日本を復興させる努力をしていないとは言いませんが、今は腹黒い政治をしていますね。前回はこんなにコテコテに本音を隠していませんでしたので好感が持てましたが、今は本音を隠蔽して票を集めるために反対勢力を取り込みたいだけではないのでしょうか?
 今まで普通に流通する情報誌を見てきた限りでは、原発に関していい策は起こしておらず、責任逃れと東電の優遇策しかしていないと思いますが。
 私の個人的感想ですが自民に戻ってから何もかも隠蔽に走っているような気がします。

投稿者 nao : 2013年05月27日 23:01



2013年05月25日

麻婆豆腐、アスパラガスの練りゴマ和え

麻婆豆腐はニンニク、ネギ、生姜のみじん切り、豆板醤、甜麺醤、トウチ、酒、醤油、花椒を使って適当に作ったら結構おいしくできた。豆腐はサイの目切りにして電子レンジにかけてから加えるといいかも。
今日は先週に引き続き仕事を早く終えて近所で買い物をしようと思ったが、執筆が意外と長引いて、気がついたら夕方でした(^_^; 明後日からとうとう一番近いスーパーが長期休業に入るのはまことに痛い(>_<)話で、食料品はともかくも、ペーパー類とかさまざまな日用生活雑貨を頼りきっていたし、二階は百均だったので、あっ、電池切れだ!ファックス用紙が無い!これは修正液が要る!な〜んて急場しのぎにも間に合ったのだけれど、そうした事務用品文房具の類もどこで手に入るのか近所のコンビニなんかの品揃えをリサーチしておかなくてはならない。これまでなまじ非常にベンリだった分、今後しばらく色んな点で不自由な思いをしそうで、買い物難民という事態がどれだけ大変なものなのか、少しは想像がつくようになるのかもしれない。それにしても、思えば買い物に限らず、私たちは日頃いかにベンリなことに寄りかかって生きているかを改めて考えさせられてしまう。ベンリさに寄りかかることで、逆にそのベンリさに束縛された生き方をしている点もあるのではなかろうか。マイナンバー法案があっさり通過して別に目立った反対運動が起きないのも、ベンリさを何よりも優先する社会になったからだろうし、ベンリさと自由さが二律背反するというような認識を持たされる機会がふだんはほとんどないからであろう。しかしベンリさを得るためには、たとえばベンリでない場所には住めないとかいった、さまざまな自由が奪われてしまうのである。停電で初めて今やガスも水道も電気に縛られていることがわかったように、ベンリさと引き換えに私たちは多くの自由を喪ったり、喪いつつあったりするに違いないのである。それでもベンリさはもはや捨てがたいところにまで私たちを追い込んでいて、それに縛られているというような感覚すら持ちようがないくらいに縛りつけているのかもしれなかった。 


コメント(1)

マイナンバー法案通過全く苦々しいです。前回、橋下さんの言っていることに70%くらい賛同できなくてもあまりに非難しすぎではないかと思いコメントしたら、こてんぱんに非難され少し怖気に支配されています。
 つるし上げてもいいのはこのマイナンバー法案通過だと思うのに、マスコミさんの考えていることは全く私にはわかりません。

投稿者 nao : 2013年05月26日 00:55



2013年05月26日

洋風総菜セット、ズッキーニのサラダ

乗馬の帰りに近所の高島屋地下でゲット。
今日は曇りの予報の割に晴れたおかげで騎乗している私と同様、馬たちも汗びっしょりにもかかわらず、お馴染みの高齢馬ハイセイコーのお孫さんは思いのほか快走してくれて、インストラクターのIS氏からも「今日は余裕ですね〜こんな風にいつも乗れたらいいんですよ」と褒められたのでした∈^0^∋その前のレッスンで乗ったのは、サントリーの回し者みたいな名前の文字通りゴマゴマした斑点のある芦毛の牝馬で、このゴマ嬢もウォーミングアップの輪ノリではサクサク駈けてくれたのに、途中でへばったのか肝腎の経路になったら駈歩が出なくなったのは残念でした。
ところで私は一時スノーホワイトという芦毛の牝馬を愛馬にしていたせいか、どうも芦毛好きだと思われていたらしく、ずいぶん前にゴマ嬢も一度オススメされて騎乗したことがあるのだが、その時はとてもビクビクしていた彼女もさすがに場馴れしたせいか、人なつっこくなっていたのは何より。とはいえ厩舎に帰す際はクラブの職員にお任せ状態になるのは相変わらずで、どうも他の馬と揉め事を起こすらしく、「芦毛は可哀想に、必ず他の馬から威嚇されるので、自分も他の馬と喧嘩しやすくなるんですよね〜」と今日は弁護された会員さんがあった。芦毛が栗毛や鹿毛から非常に嫌われるのは、自然界だと群れの中で白い色が目立って敵に襲われやすくなるからだと聞けば、なるほどな〜と思うしかない。一方で人間はけっこう白いのが好きらしく、某国の将軍様も必ず芦毛に騎乗してらっしゃるし、わがクラブとイケイケになっている動物園では、この春ホワイトタイガーの子供(写真中段はガラス越しに写メしたもの)が4頭も誕生したおかげで、毎日曜日にはど〜っと人が押しかけているのだった。とにかくこの動物園はよほど環境がいいのか、毎春いろんな動物の赤ちゃんがぞろぞろ生まれていて、ジミ〜なダチョウの赤ちゃん(写真下段)なんて誰も見向きもしないようだけれど、さすがに虎の子で、しかも白虎の子ともなれば、人間のハートをわしづかみにしちゃうのであった。ホワイトタイガーは別にアルビノというわけではなく、芦毛と同様ただ白っぽく生まれた虎のようで、自然界には少ないらしいけど、虎は群生動物ではないから別に他の虎からイジメられたりはいないのだろう。それにしても同じ種で色違いが生まれてしまうといえば、人類なんてまさにそうなわけで、環境に適応して色違いになっているのだと思っていたが、考えてみれば、どういう経緯で色違いになっちゃったのかをきちんと教わったことはないような気がする。進化の過程では確か適応に先立って変異があるはずで、ひょっとして人類も群生動物だから、芦毛は邪慳にされて北へ北へと移動せざるを得なくなった結果、紫外線の少ない土地に適応してその形質を固定させたんだろうか?てなことを、つい馬たちの色を見ながら考えてしまい、イカン、これって無茶苦茶サベツ的な発言に受け取られかねないよな〜別にヘイトスピーチってわけでは全然ないんですけど、な〜んて言い訳しちゃうとますますマズイのかもしれない。とにかく私は人類も別に神に創られたアダムとイブから始まってるわけではなくて、動物の一種だとしか思えないので、動物として見た時にどんな風に考えるのが最も自然なのか、そしてどんな風にすれば種を長続きさせることになるのか、というようなことを常に意識してしまうのでしたf(^ー^;




2013年05月27日

豚肉と茄子とミョウガの味噌炒め

オリジナルメニュー。豚肉を炒めて軽く塩胡椒し、いったん取りだして残った油で茄子、ミョウガの順に炒め、炒め合わせて味噌、砂糖、醤油、味醂を混ぜた合わせ調味料で味付け。茄子と豚と筍を炒め合わせるときは茄子を乱切りにするが、ミョウガの時は縦ふたつ切りにしてから斜め薄切りにする。
日が長くなったせいで、仕事もついつい長引いてしまうのは良いような悪いようなもんで、今日も集英社の伊礼さんから電話を頂戴して、ええっ!もうこんな時間なの(!_+)と慌てたのでした。
執筆も調べ物もPC上ですると余計に時間の経つのが早く感じられるのだけれど、今日は国立国会図書館所蔵雑誌の記事検索をしたら、一応それらが年代別になっており、1995 年を境にして以降は五年ごとの小刻みな分類になっているにもかかわらず、それ以前は1000年〜 1995年が大きく ひとまとめにされていることにちょっと驚いてしまった。これって要するにウインドウス95の出現以前と以後という分け方なんだろうが、ひょっとして以後は情報が爆発的に増えているのかも?という不安を感じさせる分類でもあった。かくして以前の知識や情報はすべて埋没しちゃうのかも?という不安まで生じさせる。それにしても、昔は文献等の情報そのものが少ないために、デジタル化もあまり洩らすことなく行われる可能性が大きいが、問題は近過去の情報で、とても全部を完全にデジタル化できるとは思えないし、その過程で色んな物事がごっそりと抜け落ちてしまうような気がしないでもない。マニアなものは誰かが責任を持つような気持ちで必ずフォローしようとするだろうけど、あまりにもフツーのものは逆に誰にもフォローされず消えてしまう公算が高いような気もするのだった。たとえば芝居でいうと、歌舞伎とか新劇とかの知識や情報は一応残ったとしても、当時は多くの人が観ていたと思しき商業演劇の類が一番わからなくなっちゃんじゃなかろうか?と思ったりする。一家で一台のテレビを観ていた私たちの世代くらいだとまだ情報を縦の関係で共有できたところもあったわけだが、そういうことをあまり期待できなくなった時代だけに、思ったよりも多くのことが喪われそうでもある。まあ、喪われたら今後ゼッタイに困るかといえば、別にそうともいえないような感じのものが圧倒的といえるのかもしれませんけど。ただ、過去のマズイ情報が意図的に消される恐れもあることは懸念されます。




2013年05月28日

鉄板焼き

今日は北海道旅行中の妹から現地の野菜等が送られてきて、午後は園芸ライターの光武さんがお越しになったので、鉄板焼きにしてみました∈^0^∋
光武さんは去年に引き続いてわが家のベランダに置いてあるプランターの植え替えをしてくださったのだけれど、ベランダで色んな話をしながら「男の人って、ホンネではみんなハシモトみたいに思ってんですかねえ。その件でうちのダンナと話してたらケンカになっちゃって」と仰言るのがちょっと意外なくらい、以前お会いしたダンナ様はとてもリベラルな雰囲気で、どちらかといえば軟派系の男性にお見受けしたのだった。でもって尖閣問題やら原発問題やら色んな話をしながら、大体そういう問題起こすウヨクって男なんですよね〜と仰言るから、「いや〜そうとも限らないんじゃないの。高市早苗とか稻田朋美みたいな人だっているわけだし」と私。それでも縄張り意識の強さというような点では、やっぱり男性のほうに軍配が揚がるのかもしれないね〜なんて話してるそばから、サカリまくって光武さんの足にまとわりついて噛もうとした♂カメ俊寛は「お前だ!今お前のことが問題になってるんじゃないか!!!」と敢えなく蹴飛ばされてしまったのでしたσ(^◇^;)


コメント(4)

今夜はある女子会(飲み会)があり、私たちもこの話題で大変盛りあがったのでした。酔ったついでにご報告しちゃいますと、どうしてあのような発言を得意げな顔でしちゃったのだろうという所で、ハシモトさんの近現代史に関する知識は無知に近いのだろうという結論でした。また発言した後の世間の反応を予想できないようでは政治家としては出直してほしいという事。はたまた、問題はハシモトさんに留まらず、日本の近現代を通して、もしかしたら大方の日本人男性の性意識ってずっと変だったんじゃないの?っていう私たちの仮説。つい20年~30年くらい前まではアジアの国々に男性が団体旅行!してました。ほんと、恥ずかしい限りですよ。ああアベポン、美しい国なのではなくて恥ずかしい国なのかもしれないよ。

投稿者 ツブ : 2013年05月29日 00:59

最後の三行に久々に大笑いしました。
 男の人の過半数は口にはださねど似たような考えで、「橋下くんそれは禁忌だよ」と思っていると思います。

投稿者 nao : 2013年05月29日 10:21

この話題で、かなり前に亡くなった女房と話をしていて、だんだんとエスカレートして大口論になってしまいました。 そして何日も口を聞かなかったのも、いい思い出です。 橋下さんが、意見を訂正した後も非難が続いていますが、これはまさに自民党が言いたかったことを橋下さんが先に言ってバッシングを受けたのでしょう。 自民党の議員たちは、ほっとしていると同時に考えを修正するでしょうね。 終戦後の日本や、沖縄で占領中に米軍が何をしたかを記した本や、写真集が海外で出版されていないので、欧米人は真実を知りません。 まさに海外に対してロビー活動をもっと活発にして、英文での出版も必要ですね。

投稿者 ラスヴェガス : 2013年05月29日 23:18

男性の大半が同じ考えであるとは思いません。  友人が「お前がゲスだからといって、俺も同じ(ようなゲスな考えの持ち主)だと思うな」と激高していました。  今回、大阪市か府か、男性議員数名が「男性の名誉も傷付けた」と抗議文を提出していました。 橋本氏は「誰でもそう思う」と発言していましたが、これは「私はそう思う」ということです。  なんだかんだ言ってはいますが、橋本氏自身の思考・嗜好を暴露しただけの発言だと思います。 (歴史認識や女性への尊厳は欠片もなく、コメントしようがありません。)  

投稿者 ゆう : 2013年05月30日 00:33



2013年05月29日

ホッケの干物、アスパラガスと椎茸の塩炒め

昨晩に引き続いて、椎茸以外は北海道旅行中の妹から送られてきた食材です。
ところで昨晩は光武さんといろいろ話した中で、「円安になっても日本の輸出は別にそんなに伸びてないという話じゃないですか〜」と言われて、そこから彼女が園芸ライターとして以前取材に行ったオランダでの話になった。 「ちょうどソニーのMDが出たばっかりの頃で、持っていって自慢したんですけど、向こうの人はゼンゼン興味を示さないで、僕らは別にカセットで十分ですって言ったんですよ。だからこっちが思うほどに、日本の技術が必要とされてるんじゃないんだな〜って思っちゃったんですよね〜」とのこと。「まあ、だからガラパゴス化なんて言われだしたわけだし、確かに多くの人間が望むベンリさや快適さみたいなもんには限度があるのかもね〜たとえばテレビでもカラーテレビまではみんな欲しかったけど、3D とか4K とかになると、高いお金払ってでもそれをどうしても欲しい人っていうのはやっぱり限られてくるよね〜しかし今はもう別に誰が望んでるわけではないモノでも、人間はそれを作って売るか、ただお金を右から左へグルグル回すとか、何か余計なことをしてないと、増えすぎた人類全体が生きていけなくなっちゃってるように感じられてて、その結果、とにかく人間の欲望を増大させることで、それらが余計なことだと思わせないふうに社会全体が誘導される方向にあって、それに何ら疑問を持たずにうかうか流されている人もいるんだろうし、疑問を持っていても流されるしかないという無力感に苛まれて生きている人も多いんだろうね〜けど、このまま人類は滅びに向かって加速するという悲観的なシナリオもあれば、ある時を境にガラッと世界中のメンタリティが変わるという楽観的なシナリオだってあり得るかもよ〜ただしその前には何か人類のメンタリティを変えさせるような、ああ、もう、こんなことはコリゴリだ!と思わせるようなヤバイ何かがが起きる可能性があるんだろうなあ。なるべくなら、それを見ないで寿命をまっとうしたいもんだけどね〜」てな話をしておりました。




2013年05月30日

肉味噌のレタス包み

クインズ伊勢丹で長野産のレタスがメチャ安かったのでコレにした。肉味噌は生姜とニンニクのみじん切りと豚ひき肉と、茹で筍と干し椎茸のみじん切りを炒め合わせ、甜麺醤とオイスターソース、塩と豆板醤少々、酒、ゴマ油で適当に味付けして水溶きカタクリでまとめたが、結構おいしくできました∈^0^∋
久々に梅雨らしい梅雨入りになった今週ず〜っと私は喉が痛くて、特に朝起きた時が痛く、昨日からうがいをすると血が出るので、これはまずいと思って今朝は近所の耳鼻咽喉科をネットで探し、木曜に限ってほとんど医院が休診するなか、診療している医院を大宮駅の西口側に見つけ、わざわざ足を運んだのにやっぱりそこも休診でした(×_×)
痛みの原因は最初風邪だと思ったのだけれど、そうではなさそうで、どうやら舌の付け根のあたりが傷ついていて、寝ている間にほかの粘膜とくっついてしまい、朝それがはがれる際に出血するのではないかと思われるのだった。で、なぜ傷ついたのか、最初は日曜日に乗馬クラブの厩舎で藁の粉塵をまともに浴びて咳き込んだ際に粉塵で傷ついたのかも?という気がしたが、前に舌の付け根を噛んじゃった記憶があって、どうやらそこが口内炎になっているのかもしれないと、ようやく思い当たった次第。とにかく明日は仕事が済んでから何が何でも耳鼻咽喉科に飛び込むべきか、それとも口内炎なら馴染みの歯医者さんに駈け込もうか、と迷ってるところであります。
そんなわけで今日は大宮の中でもこれまで知らなかった地域に足を延ばしたのだが、この町は巨大な駅を中心にイースト&ウエストサイドに市街地が広がる、要は鉄道城下町といった雰囲気で、もちろん有名な鉄道博物館もあるけれど、ふつうに歩いていても電車の修理や塗装をしている現場がもろに見えたりして、鉄ちゃんにはホント堪らん町だよな〜思われたのだった。とにかく日曜日の駅は撮り鉄がイッパイいて、ただふつうに停まっている貨物車を夢中で撮ってたりするから面白い。先週の日曜日は女学生が線路に落としたケータイを駅員さんが長い棒状の器具を使って拾いあげている現場にたまたま居合わせたら、案の定あちこちにバシャバシャとシャッター音が響いてました(^o^)




2013年05月31日

中華総菜3点盛り

某耳鼻咽喉科医院の帰り高島屋でゲット。
昨日の続きでまた健康状態の話になりますがf(^ー^; 喉の痛みが増して、モノを呑み込むのもつらい感じになってきたので、今日は仕事が一段落してから、まずかかりつけの歯科医院で「たぶん口内炎だと思うんですが〜」と言って診てもらうことに。その結果、舌の付け根は確かに白っぽくなっているものの口内炎だとしたら治りかけだし、むしろ喉の炎症のほうがひどいと言われたので、近くの耳鼻咽喉科に直行した。そこは歌舞伎町みたいな盛り場の一角にまったく場違いな感じでぽつんとある古色蒼然とした病院だった。恐る恐る中に入ってみると、先生が二人、看護士さんが二人いて、患者はなんと私ひとり!!!というありさまに何やらイヤ〜な予感が(@_@;) 一応ネット調べたら、先生は昔評判の名医だったが、今はお爺さんだから、お嬢さんが手伝っていると書いてあったので、てっきりそのお嬢さん(といってもそこそこ年輩の方)のほうに診てもらえるものと思いきや、患者がひとりだったせいか、はたまたいつもそうなのか、お嬢さんはお爺さん先生のそばにずっと腰かけてまっすぐこちらを見ているだけど、昔懐かしの穴の開いた額帯鏡を付けたお爺さん先生が私の口の中を覗き込んで、「痛いのどこ?」と訊くのはひょっとしてゼンゼン見えてないのかも?と心配されたのは、ちょっと白内障っぽい眼をなさっていたからである。私は以前、三軒茶屋に住んでいた時にも近所の古色蒼然とした病院に行って、そこで腰が九〇度近く曲がったお爺さん先生に無茶苦茶レトロな器具を使って恐ろしい検査をされた経験があり、それ以来の恐怖に襲われたものの、今日は脱脂綿のついた鉗子を強引に動かして、これまた昔懐かしのルゴールを塗られただけで助かりました(^_^;) 結局喉の炎症ということで、歯医者さんには体調はどうなのかしつこく訊かれたものの、風邪を引いたとか熱があるとかいうわけではゼンゼンなくて、咽喉科でも結局のところ原因は不明のまま抗生物質とうがい薬を出されただけだった。で、待合室で薬が出るのを待っていたら、子連れの若いお母さんが訪れたので、へ〜こんな若い人でも来てるんだ〜と思ったところ、そのお母さんが私に「わたし初めてなんですけど、ここの病院によく通ってらっしゃるんですか?」と訊くではないか。「いや〜私も初めてなんで〜」と答えても、彼女が「この辺で一番近い耳鼻咽喉科っていうと、やっぱりここですよね〜」とか、とにかくしきりに話しかけてきたのは、やっぱりちょっとただならぬ雰囲気を感じ取って不安だったせいでしょうか(^◇^;)


コメント(1)

野口晴哉著『風邪の効用』に足湯、脚湯、肘湯で風邪を経過させると体が治るようなるとあります。活元運動でもよくなります。お試しになったらいかがでしょうか。

投稿者 加藤 : 2013年06月01日 09:43