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2013年04月28日

はなやぐらの会

鶴澤寛也主宰のこの会も今年で十回目だそうで、例年にぎにぎしい会場で橋本治氏や三浦しをん氏とはよくお目にかかるのだけれど、今年はなんと先日Jリーグをご一緒したばかりのコラムニスト小田嶋隆氏とバッタリお会いし、改めて寛也さんのお顔の広さに驚かされた。毎回演奏の前に行われる演目紹介で、今回は矢内賢二氏の柔らかい関西イントネーションによる、そこはかとないユーモアの漂うお話を十二分に楽しませて戴いた。
肝腎の演目は近松の「嫗山姥」で、去年竹本越京主宰の「京の会」10周年でもこの演目が選定されたのは単なる偶然かもしれないが、この作品は文楽で見るよりも素語りのほうが、それも女義で聴いたほうが面白いのかも?という気が今回もした。その理由は共に有名な「廓噺」の件りよりも、それが済んでからの後半部分に比重を置いた演じ方に、女義ならではのリアリティが感じられるからである。「廓噺」はひとりの男をめぐる女ふたりのバトルを狂騒的に展開する一種のホラ話であるからして、やはり男性の語りのほうがユーモラスで面白く聞けるのだけれど、後半は打って変わって、口の達者な女がうだつのあがらない不運な男を愛しながらも、つい理詰めで攻撃してとことん追いつめ自殺に至らしめるといった深刻なストーリーだけに、女性のほうがそうした男女間に流れる機微を生理的に巧く捉えて繊細に語れるような気がするのだった。今回語ったのは現役最高峰の竹本駒之助だけに、語りだしから安定感があったが、伴奏の寛也がいつもより少し緊張してやりにくそうな感じを受けたのは、やはり近松物の演奏がふつうの浄瑠璃と違った難しさがあるせいかもしれない。途中の調弦でかなりの間を取り、太夫がしばしアカペラ状態で語った時は少しひやりとしたものの、伴奏を再開した際の音の入れ具合は絶妙で感心させられたし、その後は迫力ある演奏で語りを最後までドラマチックに盛りあげてみせたのはお手柄である。
帰りは紀尾井ホール近所のカフェで現代人形劇センター理事長の塚田さんと久々に食事をしながら、この間にぎくしゃくした日中韓の問題や天皇の戦争責任問題やら何やら、お馴染みのハードなネタをいろいろと話し合ったのも例年通りでした。


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