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2013年03月11日

3.11に思ったこと

 あれからちょうど二年。身内や親戚や親しい友人を亡くしたわけではない私でも、やはり震災後から今日までのことはまだ考えずにはいられません。この間、気仙沼の巨大堤防や仙台市のかさ上げ住宅のことが報道されると、そのつど現地ではそれぞれの立場の人たちがどのように受け取られているのだろうか?と気になったりするのだけれど、やはりいまだ多くの方々が避難を余儀なくされている福島の現実を思うにつけても、原発の問題は他人事ではなく気になります。
 不測の事態がいっきに起こった時には関係者のあらゆる努力も虚しくメルトダウンが連鎖したという現実を、昨夜のNHK報道番組でまざまざと突きつけられて、今後の廃炉に至る過程も希望的観測以上のものが示されない中で、どうせ止めても事故が避けられないのなら再稼働して経済を回しながら行けるとこまで行ったって同じじゃないか、というヤケクソ的な前向き気分になるのも満更満わからないわけではありません。とにかく歴史的に見て戦争が科学技術を飛躍的に発展せしめたように、原発事故により今後の日本は科学技術立国の面目を大いに施して、廃炉ビジネスで世界に冠たる国になる可能性だってなくはないでしょう。しかし、だからといって、それがどうなんだ、という見方も一方でないわけではないのです。
 原発事故が起きた直後に、私は当時まだ米国にいた旧友のモリと電話で話して、今でも忘れられない彼女の言葉があります。彼女は原子炉建屋の上空からヘリコブターで水を撒いている映像を見て驚き呆れたらしく、「あそこで何とかしなきゃダメだったのに。ああいう時にアメリカなら死んでも何とかする人が絶対に出てくるってみんな信じてるのよ。それが戦争をやってる国なのよ」と言って、日本の原発対応が海外からどんな風に見えていたのかをいみじくも語ってくれたのです。それを聞いて私は「あの時死んでも止めようとした人は日本にもいたんだろうけど、部下に対してお前が行って死んでこいと命令できる人はもういなかったということなんじゃないのかなあ」と応じながら、かつてはカミカゼ特攻隊を擁したこの国が、戦後の長い時を経て、すっかり様変わりしていたことを改めて強く感じたのです。もっとも、その変わり方を否定する気持ちが私にはさらさらないことは念のためにあらかじめ申しあげておきます。
 ただ比喩的にではなく、お前が行って死んでこいと命じることのできる人間がいてこそ、国は初めて原発を持つ資格があるんじゃないのだろうか?という風にも私はその時思ったのでした。それを前提として、日本はその資格をちゃんと得るべきだと考えている人たちも今やこの国には沢山いらっしゃる現実を知った上で、自分は一体どういう考え方に立つのかを、もうそろそろ日頃からきちんと意識しておいたほうがいいような気がしています。
 で、戦争といっても、これからは第二次大戦のように国々が総力を挙げてぶつかり合うなんて、互いにダメージが多い方法を再び採るほど人類はおバカさんじゃないので、局地戦に経済的弱者が駆りだされて特定の地域に負担を押しつけながら、経済的に豊かな人は豊かさをキープするどころかレベルアップさえするというふうになるでしょうし、それなら結構じゃないかと思う人だって沢山いるだろうと思われます。世界のそこら中で規模の大小を問わずそういうことが今も常に起きているわけだし、もちろん今度の原発事故だってその一端といえるわけです。果たしてそれをよしとするかどうかは、もはや個々人のセンスの問題なので、誰に決めてもらうのでもなく自身が決めるよりほかはありません。
 ところで構造主義に影響を与えたとされるアレクサンドル・コジェーブが日本の江戸時代を「歴史の終焉」後の世界に比して、ある意味で理想的に語ったあたりから江戸ブームは起こったような気がするのだけれど、彼の江戸時代に対する認識の是非はひとまずおくとして、江戸時代には少なくとも原発が無かったことだけは確かです。そしてそれが良かったかどうかは措くとして、経済的な豊かさの追求を第一義とする社会では断じてなかったこともまた確かなのです。


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コメント (3)


江戸ブームとも東北大震災とも関係無いかも判りませんが、私は最近明治維新って何だったんだろうか?又、あの騒動は革命と言えるのだろうか?明治維新であの頃の国民は全て徳川政権時代よりも全体的に暮らし向きはよくなったのだろうか?と思う時があります。坂本竜馬は本当に英雄なんだろうか?とも。

投稿者 お : 2013年03月11日 23:24

お早うございます。
欧米人が見た江戸時代には人類が目指すべき最終理想社会の原型とも言える、自然と共生する平和な循環型経済社会がありました。
ただ、それを可能にしたのは、徳川が偉かった訳ではなく、当時の世界では例を見ない、高い民度があったからです。

ヨーロッパでさえノーブレスオブリッジという言葉が証明するように、上から目線の貴族中心社会だったのですから、庶民文化が花咲く江戸は脅威に映ったのではないでしょうか。明治初期の英国人女性イザベラ・バードの紀行記などからも、朝鮮半島や中国とは段違いに住み良い社会であった事が分かります。

ともあれ、経済の方も確実に成長していました。文化面の向上心はもちろん、工夫や改良に余念がなかったからです。付加価値の質的量的増加が経済成長ですから、知らないうちに発展していた事になります。良い形ではないでしょうか。

その江戸時代を雛形に、日本は世界に冠たる省エネ環境技術を駆使し、自然と共生するハイテク循環型経済社会を目指すべきなのです。そういう意味では原発も必要ないと思います。
いずれにしても地球を救えるのは日本しかありません。決して夜郎自大ではないと思います。そういう気概を持ったリーダーが必要ですが、問題はそこかもしれません。(笑)

投稿者 TT : 2013年03月12日 09:57

お様:たしか年貢よりも新政府の租税の方がかえって重くなったかと思います。明治維新は革命じゃなくて支配者層内の権力争いでしょうね。

投稿者 楓 : 2013年03月13日 17:07

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