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2013年02月04日

團十郎追悼

最初の訃報が入ったのは昨夜の10時半頃で、それから深夜までいろいろと電話をし、ショックが尾を引いてあまり眠れぬまま朝を迎え、今日もまた何かと電話を頂戴したせいで、仕事は短いエッセイを一本仕上げるので精いっぱいだった。
昨年12月の訃報とはまた違った意味でショックを受けたのは、ご家族ぐるみでお付き合いを願った方でもあったからだ。直木賞受賞パーティにもご夫婦でお出ましを願い、最前列に立ったままの姿勢で椅子に腰かけたこちらに例のぎょろっとした眼を向けてにっこり笑っておられたので恐縮して冷や汗が出た想い出がある。昨夜は関係者の方と電話でお話しをしたところ、回復の希望が出た直後の急変だったそうだから、ご家族は何とも諦めがつかない気持ちでいらっしゃるだろうと思われて、本当にお気の毒でならなかった。
故人に初めてお目にかかったのは1985年の「外郎売」復活初演の時で、私は情報誌「ぴあ」の演劇記者として歌舞伎座の楽屋へ取材に伺ったのだった。「ぴあ」が新たに創刊した「カレンダー」という雑誌で古典芸能をカラー1ページで取り上げるという当時としては画期的なコーナーが設けられ、私がそのページに確か最初に推したのが「外郎売」だった。その理由は内容が紹介しやすいこともあったが、当時からいわゆる口跡に難があると見られていた故人が、この早口言葉を売り物にした芸を一体どう消化するつもりなのか、直接ご本人い訊いてみたいという気持ちもあったからである。
初めてお会いした時の印象は、宣伝部がびびってるほど畏れ多い感じの人でもなかったのだけれど、会見時間が非常に短く設定されていたのと、私もまだ記者に成り立てで不馴れなため、少々焦り気味だったのを想い出す。こちらが何か質問すると答えがなかなか返ってこないので、次の質問に変えようとしたら、やっと先ほどの答えが出てくるといった正直ちぐはぐなインタビューだったが、質問に対しては一つ一つ言葉をゆっくりと探しながら答えようとされる気持ちだけは強く伝わって、とても誠実な方なんだろうと思われたのだった。
95年に刊行したCD=ROM版「歌舞伎エンサイクロペディア」におけるVTRの使用権をめぐって日本俳優協会の理事会が紛糾した際は、故人が賛成の意を強く表明されたために許可が下りたという話を事務局長から聞かされて、大いに感謝したものである。
しかしながら私がきちんとご挨拶をしたのは98年『仲蔵狂乱』をTV化した際の記者会見場の控え室で、その時は何を話したかあまり覚えていないのだが、気さくにお話できたのは確かである。今でも忘れられないのは記者会見の際、『仲蔵狂乱』に使ってある難しい漢字を抜き出して、一家全員で読み仮名テストをしてますと真顔で仰言ったことで、皮肉も衒いも卑下もなく、そういうことを平気で淡々と仰言れるところに、いみじくもこの方の器の大きさが感じ取れたように思う。TVのプロデューサーから聞いた話だと、撮影現場では歌舞伎の道具や何かについて懇切丁寧にスタッフを指導されて、スタッフ全員故人なくしては撮影が成り立たなかったと思うほど心服したとのことで、「本当に素晴らしい方でした。役者さんとしてだけでなく、あんなにいい方は世の中にもめったにいらっしゃらないですよ」と大絶賛なさったのを憶えている。何かと人の悪口が横行しやすい演劇界芸能界にあっても、故人を悪くいう人に私は今までひとりもお目にかかったことがなく「成田屋の兄さんイイ人だから早くこっちへ呼んじゃおう」と先に逝った中村屋が思ったんじゃないかという気がするくらいなのである。それにしても中村屋とはまた別の意味で歌舞伎界は大きな「歌舞伎の顔」を喪ったものだと思う。歌舞伎俳優全体の利益や権利や責任等さまざまな問題を考える立場にあって、公平かつ常識的に物事を捌ける点では他の俳優諸氏からも厚い信頼を寄せられていたとおぼしき人だっただけに、その早すぎる死は今後の歌舞伎界にただならぬ大きな影を落としそうでもある。難病とは知られていただけに、舞台復帰は困難かもしれないけれど、せめて少しでも長くこの世に生きて後進に目配りをしてほしかったと願わなかった関係者はいないように思う。
一俳優として見た時には、若い時から口跡に難のある点がクローズアップされたので、その欠点を本人にどういう方法で克服してもらえばいいか、私でさえずいぶん前に関係者から一度相談を受けたこともあったくらいで、なまじ西洋のボイストレーニングなんかを受けると発声術が日本人のそれと違ってくるし、せめて常磐津とか義太夫とかの語り物を習うしかないような話になったが、きちんとしたお手本があって、呼吸法が整っている場合はそれほどひどいセリフ回しにはなっていなかったのが残されたVTRでよくわかる。その難点がかある意味で必要以上に故人から名優のイメージを遠ざけた気もするが、荒事や丸本時代物の役柄に関しては、セリフの難点をカバーして余りある真実味というものが故人には確かにあったように思う。セリフや技巧の点ではいくら文句がなくても、時代物の人物にリアリティを出すのは難しく、細部をリアルに演じれば演じるほどトータルとしてのリアリティがなくなってしまっている例が多々見受けられる中で、故人は前近代的なドラマの荒唐無稽な設定においても、近代以前にはこんな人物が実際にいたのかもしれないという気にさせるような、真実味を持たせることができた数少ない名優であったことを忘れてはいけない。たとえば「妹背山」の大判事などは播磨屋や高麗屋よりもはるかに故人のほうが父親の心情をまっすぐに伝えて大きな感動を呼んだのである。そして前近代にはこうした人物が実際にいたのかもしれない、という風な演技を見せることが、他ジャンルの俳優とは違った歌舞伎役者ならではの重要な役目なのであり、今後それを体現できる人がどれだけ現れるか甚だ心もとない点が、現在の歌舞伎が抱えている実は一番大きな問題だということを、團十郎の死は改めて今日に突きつけた格好である。
嗚呼、歌舞伎座は一体いかほどの人柱を捧げれば気が済むのかと、関係者一同の心痛は察するにあまりある。ともかくは故人の御冥福を謹んでお祈り申しあげると同時にどうぞ今後の歌舞伎をお守りくださいと願うばかりだ。


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コメント (10)


私はほんの一面しか知らないと思いますが、なんとも言えず深みのある方だと思います。中村屋、成田屋は現代を生きる全ての人が聞いたことのある言葉だと思います。
 海老蔵の数年前の騒動で親ばか?と思いましたが、ますます言うことを聞かない我が息子に接していると親ばかだろうがなんだろうが素晴らしい人格であったと思い、親の手本のような方で素晴らしいと思います。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿者 nao : 2013年02月04日 23:55

團十郎さんの追悼として、まさにこれ以上ないと思われるような素晴らしい、適切な文を読むことができました。ありがとうございます。

投稿者 佐藤徹 : 2013年02月05日 07:26

 団十郎丈のン十年後輩の末席を穢す一人として、大学時代に耳にしたエピソードを追悼の意味で書き込ませて頂きます。老教授から「彼は(たいがいの人がてきとーに手を抜くのが常の)大学の運動会ですら全力で疾走するような生真面目なタイプだった」と聞いて、さもありなんと思ったものです。
 今ひとつは、一昨年頃でしたか、ある舞踊会で茶室での茶人を踊られ、死の淵から生還した方ならではの、すがすがしい佇まいの崇高さに感銘を受けたことが強く印象に残っています。

投稿者 田坂州代 : 2013年02月05日 12:29

ジャンクな世界の2ちゃんねるでの團十郎さんのネーミングはダンダン。あそこはたまにしか、私覗きませんけど、結構うまく付けるやんかいさーと思ってました。(可愛らしい感じを汲み取ってますよね)
2年前の大阪松竹座にて髪結い新三を初めて観ました。
團十郎さんの弥太五郎源七が良かったです。
勧進帳の弁慶は当たり前に素敵ですが、世話物好きな晩酌子は魅了されてしまいました。
ひと昔は幅を利かしていた親分が新三にやりこまれてしまうところがよく演じられていて、特にやりこまれて困った感じになってきてなんかえらそうにしていた大親分が途中でクチクチした感じになるのがすごく良かったです。嫌みにならず少し朴訥とした人が困ってしまった感じが素敵さになって。
また観たいなと思ってましたのに。
もう観られません。
倅さんの海老なんかが足元に及ばないくらいに御曹司のよい感じが出て好みでしたのに。
團菊祭も暫くかかりませんやろなぁ。下手するとこっちゃの目の黒い内に観られますやろか。

京味の大将もさぞかし嘆いてはることでしょうね。残念の一言。

投稿者 毎晩晩酌  : 2013年02月05日 16:57

團十郎さん、南座の途中休演は風邪で大事を取ったと聞き、新しい歌舞伎座には出演できるもの、と思い込んでいた所にこの訃報…。「人柱」という強烈な言葉もうなずける程、痛切な損失です。難病での闘病生活からすれば、ここまで永らえたと言えるかもしれませんが、よりによってこの時期…。数日後に切符が発売されるこの時期とは、あまりにもむごいとしか言えません。
今朝の朝日新聞も歌舞伎の危機を取り上げてますが、戦後間もなく、6代目菊五郎ら大幹部が相次いで没した時と比べても、役者や観客の層が格段に薄くなった今の方がはるかに深刻なはずです。歌舞伎歴10数年の私でも、近年は同じ演目の繰り返し、その場しのぎの舞台が目立ち、松竹に苦言を呈したい月がしばしばです。新歌舞伎座の目新しさで、当分は客席が埋まるでしょうが、その後はどうなるのか。マンネリを廃して、がっぷり組んだ見ごたえある舞台は、もう期待できないのか。
歌舞伎役者は常識人でなくて構わない、と思うものの、誰からも愛されて稚気あふれる大きな役者だった團十郎さんの喪失が悔しくてたまりません。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月05日 21:46

休演される2日前に口上と弁慶を顔見世で拝見出来て良かったですが、まさかあの舞台が最後になるなんて。
先月末に歌舞伎友達と「そういえば団十郎さんあれだけ楽しみにされていたオセロを休演されるには長期療養になるのかな?」と話してたのですが。
一番歌舞伎役者らしくない人柄で、しかし、歌舞伎界では居なくては困る方だったんでしょうね。
今日、吉右衛門丈の講演を拝聴しましたが冒頭に「僕より二人とも年下なんですよ。それが何とも辛くてね」と仰ってましたが、当惑されているのを感じました。

投稿者 お : 2013年02月05日 23:08

団十郎さん、素晴らしい俳優さんでしたね。

口跡に多少の難があるとはいわれていましたが、江戸時代の役者絵から抜け出したような姿や風格は、他の俳優さんでは決して出せないもので、市川家のDNAを感じさせられます。

おおらかでとても人柄の良い方だと伺っていましたが、松井さんのブログの文章を読ませていただくと、まさにそういう方なのがよく判り、亡くなったことがとても残念に思います。


投稿者 K,HG : 2013年02月06日 13:01

團十郎さんのご冥福をお祈りいたします。
新歌舞伎座の4月~6月の杮葺興行、27日間×3ヶ月の三部公演かなり無理ではないでしょうか?私は幹部俳優の健康状態が心配です。團十郎さんも四月の鶴寿千歳に始まり、六月の助六までとんでもないハードな予定が組まれていました。松竹は役者の健康管理をしっかりやれ!!

投稿者 hanako : 2013年02月06日 20:58

団十郎さんが亡くなられてはじめてその失ったものの大きさに愕然としたのではないでしょうか。海老蔵さんの暴行事件があったまさにその日にホテルで若い二人を励ます会があり当人不在のまま団十郎さんが挨拶されくじ引きやら写真サービスをにこやかにされさぞ辛いことであったでしょうにとてつももない平常心で応対されていました。事態を第三者の目で見ることのできる深い洞察力、包容力があった方だと思います。

投稿者 ajisai : 2013年02月07日 08:00

韓国はこうやって文化の面から日本を侵略しようとしてると思うんだよね。

投稿者 山岸舞彩 事故 : 2013年06月13日 16:07

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