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2012年12月10日
祈りと怪物
今日は朝から乗馬に行って、夜はシアターコクーンでケラリーノ・サンドロヴィッチ作演出「祈りと怪物〜ウイルヴィルの三姉妹」を観たが、この芝居がなんと4時間以上の大長丁場だったために帰宅は御前様。それでもあんまり疲れていないのは我ながら不思議で、上演中に眠くもならなかったのは、着地点が見えないスリリングさがこの芝居の面白さにつながっていたせいかもしれない。とにかくギリシャ劇風のコロスの登場にまず意表を突かれ、どうやらウイルヴィルという町の滅亡が物語られるのだろうという見当はついたものの、そこから先は文字通り一筋縄ではいかない群像劇と化すのである。まず怪物に擬せられるこの町の支配者ドン・ガラスとその三人娘の恋人たちのストーリーがある一方で、この町にはヒトラー政権下のユダヤ人差別にも似た抑圧された人びとがいることや、支配者に対するレジスタンス運動が進行していること、奇蹟を起こす白痴的な青年パキオテによって一度は救済された町の人びとが彼の衰弱によって滅亡へ向かうといった壮大なストーリーが展開し、さらには亡くした子供を幻想で蘇らせてしまう夫婦の話や、双子の姉に人生のすべてを奪い取られたという飢餓的な感情にかられる妹の話等々さまざまなモチーフが錯綜し、いずれも非常に救いのない結末ばかりであるにもかかわらず、なぜか決して後味が悪い感じにはならなかったのが不思議なくらいで、それこそまさに怪物的な芝居といえるかもしれない。滅亡に向かう町は現代ニッポンのアレゴリーとも受け取れるし、祈りによる万民救済の欺瞞性やしたたかな悪の存在に妙なリアリズムが感じられて、ドン・ガラス役の生瀬勝久とパキオテ役の大倉孝二の怪演ぶりがそれを大いに補っている点も見逃せない。またケラのオリジナル性があまりにも強い作品であるため、年明けに上演される蜷川演出バージョンの舞台がまったく想像できず、これまた見逃せない!という気持ちにさせられた。
それにしても、コクーンといえばついコクーン歌舞伎が想い出されて、初日のきょうは演劇関係者が多かったため、会う人ごとに勘三郞の話となり、誰もまだ現実のこととして受け止められないというお気持ちのようだった。
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コメント (1)
初めてコメント致します(40代、性別女性)
今日私も行ってきました。芝居時間の長さに次第に疲れ、二階席でこのままでは腰がやられる、年末腰を痛めたらどうする、と怯えつつ観てしまい、終わってみれば主題も掴み取れず、こちらのブログでようやくなるほどと読み解いた気が致します。素養が違うとはこのことですね。タイムリーに読めて有難かったです。
投稿者 もりゆき : 2012年12月13日 22:40