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2012年10月19日

塩原多助一代記

坂東三津五郎の大ファンである河合さんのお誘いを受けて国立劇場の「塩原多助一代記」を見る気になったのは、円朝の原作を拙作「円朝の女」を書く際に読んだこともあるが、やはり馬が活躍する芝居だからというのが最大の理由かもしれない。原作や歌舞伎をご存じない方でも、主人公と「あお」という馬との別れがハイライトであるらしいのは三波春夫の歌でご存じだったりするのではないか。
歌舞伎では菊五郎系の演目とされながらも滅多に上演はされず、河合さんも私も舞台を見たのは今回が初めてである。そもそもこの原作が爆発的にヒットした背景には、「西国立志編」などが盛んに読まれて立身出世を全面的に肯定した明治時代特有の雰囲気があったことを忘れてはいけない。そうした雰囲気が現代に通底しているとか、あるいは必要とされているとかいうような認識が制作側に果たしてあったのかどうか。仮にあったとしても、それをあまり感じさせてくれることのない上演だったといえる。ただ素朴で律儀で人情に厚く、ひたすら前向きで善良な人物である主人公の塩原多助は、三津五郎のいわゆる「ニン」にぴったりのハマリ役といえるし、難しいセリフはほとんどなくてストーリーがわかりやすいし、それも嫌な気持ちにさせられるストーリーではないので素直に楽しんで見られるものの、舞台背景は田舎がメインで、江戸という都市がほとんど描かれない点や、「悪」の造詣が魅力的な歌舞伎のイメージとはほど遠い作品であるだけに、いささか当てが外れて不満に思った観客もあるのかもしれない。悪人が全く登場しないわけでもないのだけれど、それがイマイチ魅力的に光らないのは場面がカットされ過ぎているせいでもあろう。色悪や実悪に定評のある中村橋之助をせっかく座組に入れておきながら、今回彼の役不足は甚だしく、勿体ないこと夥しいというべきか。その点、同じ悪人でも多助の継母を演じた上村吉弥はオイシイ役に恵まれていた。オイシイといえば三津五郎の弟子の三津之助も今回の役では印象に残りやすい。それら人間の役よりもっと印象に残るのはやっぱり馬だろうか。今回は張りぼてでも目や耳やシッポが動くし歯を剥きだしにもするリアルな造形がなされていて、登場すると馬好きならずとも目が釘付けにされるのだろう、多助との別れのシーンでは大いに観客を沸かせていた。馬好きの私としては見に行った甲斐があったというもので、ただ「あお」なのに「鹿毛」の馬が登場しているのが気になったのは、前にも何かの芝居に「栗毛」といいながら「鹿毛」が出ているのが気になったのと同じで、要するに芝居では馬のイメージが「鹿毛」に代表されるのだろう。馬で「あお」といったら黒馬か白馬のどちらかで、原作の速記本の挿絵は白馬か葦毛に描かれているが、白馬を荷馬にするのは抵抗があるのか、錦絵では黒馬に描かれていることが多い。とにかく「鹿毛」では決してないのである。かくしてついつい馬トリビアに陥った私は幕間で河合さんに「芝居の馬は必ず側対歩というナンバ歩きをするんだけれど、もともと和種の馬は側対歩だったんだから、あれでいいのよ」な〜んて芝居にとっちゃてどうでもいいようなことを言い募っていたのでありますf(^ー^;


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