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2012年10月13日

京の会

女義太夫の竹本越京さんは早稲田の後輩であり、武智鉄二門下のお仲間でもあるが、大学を中退してこの世界に入られたので、考えてみればもう相当のキャリアであり、「京の会」という自主公演自体今回で10周年を迎えるのだとか。記念の演目としてはなんとも渋いというか、女義さんの会では珍しい「嫗山姥」である。越京さんの独り語りを聴くのは本当に何十年ぶりかで、この人の長所は何よりも声が伸びやかな点であるが、声が伸びやかな分、音が不安定だとそれが耳に立ちやすいという欠点にもなる。以前はそれがとても気になったが、今回はこの間の精進ぶりが窺えて安定した語りが聴けたのは何よりだった。欲をいえば高音の伸びやかさに負けないほどの低音の深みを今後はもっと期待したいところだろうか。「嫗山姥」は前半の面白いおかしい「廓噺」がひとくさり済んでから、本来のドラマチックなストーリーが展開されるので、語り手にはそれなりのパワーの配分が要求される難しい曲だけれど、後半がへたらなかったのは上々だし、相三味線の津賀花さんも曲の流れをよくつかんで盛りあげていたように思う。
私は前座として鈴木多美さんとの対談でこの曲にちなんだお話やら、近松座のお話をさせてもらったが、やや専門的に過ぎた気がして、珍しい演目だけに、同じことならもう少しこの曲を中心にしたお話をもっとわかりやすくすべきだったのではないかという思いもある。ただし対談に遅れて演奏から聴いたという幻冬舎のヒメこと木原さんは、浄瑠璃をそんなに沢山聴かれている方でもないが、「女の男に対する突っ込みがスゴイですよね〜それで男が死んじゃって、その念が子供を孕ませちゃうっていう話もスゴイですよね〜」とストーリーをちゃんと理解なさっていたので、曲に関しては演奏を聴くだけでも十分にわかられた方が多いのかもしれない。「やっぱり現代の少子化対策でも、いっそ女が男を理詰めで追い込んで憤死させて、その念で子供を孕むっていうのもアリかもね」な〜んてお互い言い合ったのであります(笑)。会場には大学の同窓生がそろい踏みで、ン十年ぶりかで会った旧友もあり、なんとも懐かしい反面、時が経つことの早さを改めて痛感させられた。私が近松座で仕事をしていたのは早や四半世紀前、大学生だったのはなんと四十年も前の話なのだけれど、それがそんなに遠い昔の出来事とはとても思えないし、今後の人生はそれだけの長さがないという事実を実感として受け止めるのもけっこう難しい気がした。
この高齢化社会を見て、自分はあんまり長生きしたくないとは、同世代の多くが思うところのような気もするのだけれど、それでいてこの年になると、人生があまりにもアッという間に終わってしまう事実に呆然とさせられるのだった。ええっ、今年もあと2ヶ月ちょっとで終わっちゃうわけ〜!私まだ何にもしてないんだけど(◎-◎;) 的な焦りが誰しもあるのではないでしょうか。
写真は会場となった自由学園明日館のステキな建物。


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コメント (2)


越京です。昨日は本当にありがとうございましたm(_ _)m

ワタシ、本気で時行に突っ込んでましたもん。「さすがは流れの女じゃな」の一言がどうしても許せなくて(゛へ´)

投稿者 越京 : 2012年10月14日 10:18

松井さんのblogで知り、先週末の「京の会」初めて参加させていただきました。

越京さんと津賀花さんの迫力に圧倒され、その後、会う友人友人に、「じょぎ、面白い!」と吹聴してまわっています。

松井さんと鈴木さんの解説も興味深く、とくに松井さんがおっしゃっていた「役者の生理」については、当事者として創ることに深く関与された松井さんから伺えたことに価値があったと思っております。

お疲れ様でした&ありがとうございました。

投稿者 Fukusuke55 : 2012年10月15日 11:12

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