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2012年10月04日
鱧の竜田揚げ、鯛の塩麹焼き、イカゲソの山椒煮
一昨日の残りの材料で作った。イカゲソは茹でてくださるわ、鱧の骨切りまでしてくださった近所のお鮨屋さんに大感謝だが、裏を返しに行けるのはいつになるかわからないので、今日は取り敢えずビール券を持ってお礼に伺いました<(_ _)>
朝はTV各局の報道番組をちらっと見てから仕事に取りかかる私だが、今日はTVを点けたらいきなり三輪さんの顔がドアップされてビックリした。三輪さんとは大学の先輩、文楽の竹本三輪大夫のことで、そのまま見ていたら以前私の書いた舞踊曲を作曲してくださった鶴澤清介師の顔も大映しになって、この方らしい真摯な意見を述べられていた。ふたりが意見を述べた相手は書かずと知れたハシモト市長で、例の補助金問題が関東のTVでこんなに長く取りあげられたのは初めてではなかろうか。少なくとも私は初めて見たのだった。
この話に関しては、文楽協会という組織そのものの問題も大いにありそうなので、黒紋付きで集結した大夫や三味線弾きや人形遣いの皆さんには、事業仕分けの時に登場した毛利衛さんのような気の毒さを感じてしまったが、とにかく文楽は大阪が誇る文化とはいい条、私がよく観ていた朝日座の頃から大阪のお客さんは東京に比べて格段に少なかった印象で、大阪の人たちの大部分が自分たちの文化とする意識は必ずしもないんじゃないか、というようなハシモト市長の発言は当たっていなくもない気がするのだった。ただ、ハシモト市長のように、何かと客寄せの工夫をしろといわれても、することには限度があるだろうし、またそれだと一過性の客は呼べても、定着する客層にはならないだろうし、結局のところ、純粋な興行としてはとうの昔から成り立たなくなっているわけで、将来的に成り立つ気配を少しでも感じていたら、松竹の大谷竹次郎はそう簡単に手放さなかったはずなのである。
興行的に成り立たなくても、いや、成り立たないからこそ、興行成績を考慮せざるを得ない歌舞伎だと守りきれない古典の芸をしっかり残してくれるはずだという絶大な信頼感がかつての文楽にはあったのだけれど、越路大夫引退後はほとんど見に行かなくなった私としては、今やそのことを声高に主張できないでいる。最近では招待券をもらってもすぐ人にあげてしまうが、かつての文楽好きは今の文楽の招待券を誰も欲しがらないし、初めて観るという方に差しあげたら、ご覧になっていつも大変に歓んでくださるという、つまりはそうした位相に現在の文楽は置かれているのだろう。
興行的には早くに成り立たなくなっていた文楽の芸人は稽古事としての活路を見いだすも、パトロナイズするダンナ衆の存在がなくなったのは痛手だっただろうし、だからこそ国や地方自治体にパトロナイズを仰いでいたわけなので、国や地方自治体がビンボーになりパトロンとして頼りにならなくなった今、もう一度個人のひいき、それは何もパトロンと呼べるような金持ちじゃなくてもゼンゼンいいので、心から浄瑠璃の芸を愛して細々とした公演でも支持してくれるような観客の掘り起こしをするしかないんじゃなかろうか。それこそかつての三和会のように。桐竹紋十郎にしろ、二世野澤喜左衛門にしろ、今の技芸員とは比べものにならないくらい素晴らしい芸の持ち主が、反骨精神を貫いて、大変な辛酸をなめながら守り通したからこそ文楽のストイックな芸が活き活きと伝わって子供心を打たれたように感じる私としては、国や地方自治体にぬくぬくと守られて生き延びるだけが道ではないように、どうしても思えるのでした。
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