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2012年09月15日

ポークソテー

今日は2本まとめて400字詰め約80枚の入稿を済ませてホッとひと息である。1本は週明けの入稿でもよかったのだろうけれど、来週末から再来週にかけて遅がけの夏休みを取る予定で、その前に校正を済ませたいので、とにかく早めに入稿しておいたのだった。それにしてもいざ休みを取ろうとすると、仕事のスケジュールが結構立て込んでるのに気づくのだが、編集者の方も仕事がどんどん大変になっているようで、昨日も神保さんと、昔に比べて世の中何でもベンリになってるはずなのに、仕事が大変になる一方なのは何故なんだろう(-_-;) というような話をして、これは恐らく仕事をしてる多くの方が感じてらっしゃることにちがいないと思われるのだった。たとえばケータイなんてものが生まれたばっかりに、どこに行っても連絡がついちゃうから、つい仕事に追いかけられたり、自分が手放せなかったりする人も多いのではなかろうか。メールで簡単に連絡がつくようになったことも、移動手段がスピーディになったことも、人間をラクにしたどころか、ただ忙しなくさせてるだけのような気もする。
また仕事のグローバル化によって、忙しい人はモーレツに忙しくなる一方だし、片や企業競争によるコストカットで雇用は減少し、高齢層も若年層も常に失職の危険にさらされ、そのことが世界各地にデモや暴動という世情不安をもたらしている元凶ともいえそうだ。とにかく忙しすぎても仕事がなくても現代は超ストレスフルな社会のようで、これはやはりIT革命及びグローバル化のもたらした結果であるのは言うを俟たない。歴史的に見ても、新しいテクノロジーが生まれた直後は必ずこうした過渡期特有のしんどさが人類につきまとうのであった。これ以前に人類に襲いかかったのは機械化の波である。たとえば有名なスタインベックの小説「怒り葡萄」は農業の機械化に伴う大規模経営化によって土地を追われた農民が雇用を求めざるを得なくなり、その人数が増えるに従って必然的に雇用条件が悪化し、農村的な家族が崩壊していくありさまを実にリアルな筆致で描いているが、70年前当時の資本と労働のプリミティブな関係は、今日のそれと根本的に少しも変わらないことが、いわば神話的に読めてしまう点で現代において非常に意味深い作品であろう。私は最近たまたまこれを読んで、世界的に雇用不安が増大するなかではいわば米国の共和党的な対応と民主党的な対応とに分かれるのは必至であり、その解決は人類が抱える永遠の課題といえそうな気がしたのである。


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