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2012年09月01日
豚肉と茄子と茹で筍の味噌炒め
夏の定番料理。味噌に砂糖、味醂、酒、醤油をプラスした合わせ調味料で味付けするだけ。油につぶしたニンニクを入れてまず茄子を炒めていったん取りだし、豚肉、豆板醤、茹で筍を加えて炒め合わせる。
今日9月1日の前後はTV番組でもその手のことを取りあげるため、どうしても大地震のことを考えてしまう。
私は東京に移住した直後から、あまりにも地震が多いのにびっくりし(関西からこっちに来た人は誰でもそうだったのでは?)ずっと地震のことを気にしていて、それを話すたびに長唄の故杵屋花叟師から「 今朝子さんみたいなこと言ってたら、日本国中どこにも住めねえぜ」と笑われたのだが、その時はまさかホントにそんなことになるとは思わなかったものである。でもって、ずっと気にしているから、バリ島に旅行した直後にインドネシアで立て続けに地震が起きた時も、こうした地殻変動がまっすぐ北上して日本を襲ったらマズイよな〜とすぐ考えてしまったのだけれど、それがまさかこんなに早くやってくるとはさすがに思いもしなかったのである。でもって昨日のフィリピン沖地震でまたドキッとして、フィリピンプレートが動いたら、いよいよ南海トラフが危ないのかも?と、今度はそんなに遠い話でもなさそうに思えてしまうことが我ながら恐ろしい(@_@;)
ともあれ30年以内に起きる確率が80パーセントといわれたって、実際問題、日本全国どこに住んでも、そこならゼッタイ無事な場所というのもなければ、そう簡単に日本を脱出できるわけでもないから、だったらどうせえちゅうの!と誰しも開き直ったあげくに、今のうちに好きなことをやっとこう!!!という気持ちになるのは、不安で暗くなる一方よりもまだマシなのではなかろうか。
吉村昭氏の『関東大震災』を読むと、当時も市民は別に完全な不意打ちを食らったという感じではなく、どうも大地震が起きそうだという予感に怯えていて、結局やっぱり起きちゃったという感じだったらしいことがわかるのだけれど、安政大地震の時の「なゐの日並」という日記を読んでも、ゆさゆさ揺れた瞬間「すは例の地震にこそ」という感想なのは、その前年の南海、東南海、東海の連動地震が江戸に伝わっていたからであった。そして直後の流行歌では、この地震が人びとの「心得違へ」に対する天罰というとらえ方がされたくらいに、当時はすでに幕末の行き詰まり感が広く世間を覆っていたらしいのである。安政大地震の約150年前の元禄大地震もまたいわゆる元禄バブルがはじけて幕府の財政が破綻した段階で起き、続けて南海トラフの破壊による宝永大地震と富士山の爆発が起きるわで、もうどないもこないもならんような状態になってから暴れん坊将軍吉宗が登場し、享保の改革で財政と民心の引き締めを計ろうとしたのだった。要するに江戸の二大地震は共に政治体制の破綻が庶民の目にも見えた段階で起きたという点が現在と重なってますます恐ろしくなるのでした(O_O)
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コメント (1)
そうですか・・・・。
余りにも今の私達にかぶってしまい・・・
しかし、私達には暴れん坊将軍もやって来ないですから。勘違い暴れん坊将軍系はチョロチョロしても。
・・・(溜め息)・・・。
まだお暑うございますが、どうぞお体お大切に。御両親さまご心配でしょうが、お妹様ご夫妻もいらっしゃり心強いですね。私も新幹線で実家に通っては、老人問題で孤軍奮闘していた時期が長くあります。そんな行き帰りなどに、松井さんのお作品を読んで精神だけは解放しておりました。松井さんの小説の主人公はみな、何かを成しはするが、心根はどこにも属さないという、そこが何とも助かりました。 ではまた。
投稿者 かぶきまま : 2012年09月02日 09:25