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2012年08月01日

ふくすけ

シアター・コクーンで松尾スズキ作・演出「ふくすけ」を観る前に東急レストラン街で食事。
この作品を私は世田パブでの再演で観ているはずなのだけれど、一体何を観てたんだろう?!と思うくらいで、今回改めて観て、いかに緊密に構成されている作品であるかに気づいて愕然としたものである。前回では刺激的なシーンや過激なセリフが印象に残ったものの、全体のストーリーや構成は完全に飛んでしまっていた。今回それがスッキリと頭に入ってきたのはキャスティングによるところが大きいのかもしれない。また前回に出演していた俳優も演技者としてひとまわり大きく成長した結果、芝居全体がスケールアップして作者の思いがストレートに伝わったのだろうか。とにかく松尾スズキは猥雑なコトバやサベツ的な言語をこれでもか、これでもかというほど多用して彼独自の露悪的な世界を創りあげ、人間誰しもがそんなに簡単に幸せになれてたまるか!!という憤りのようなものをぶつけるのであるが、今回は前回に比べると全員がそれほど小劇場的にマニアックな演技に陥っていないところがいいのかもしれない。結果ドラマの核心がストレートに伝わるのである。薬害によって奇形に生まれ親から捨てられたことに対する根本的な怒りと絶望を反転させて他人に幸福をもたらす教祖となるふくすけ(阿部サダヲ)、ふくすけを出産してから躁鬱を繰り返して不倫を重ねた結果の胎児12体を埋めて出奔し、歌舞伎町の風俗業界でブレーンとしてのし上がり、選挙にまで打って出る女性エスダマス(大竹しのぶ)、出奔した妻マスを捜すことで、ついには妻が自らをかつて虐めた同級生12人の慰みものとなっていた事実を知ってしまう夫エスダ(古田新太)、エスダと行きずりの関係を持ち、彼の妻に対する純愛に感じて援助をしながら、自らは行きずりの暴力の犠牲になって命を落とす風俗嬢(多部未華子)、お互いが自らの弱さによって相手と結びつくことで、ふくすけを利用した新興宗教を打ち立てながら、相手への不信からたちまち関係が崩壊する夫婦などなど、それぞれにどうしようもなく負の要素を抱え持った人物ばかりが登場し、ストーリー的には悲惨な結末になるにもかかわらず、まるで負のエネルギーの相乗効果が現れたように、ラストはいっそ爽快といってもいいような気分になる。これぞ松尾スズキならではのマジックによる狂想曲的エンディングというべきだろうか。再演で観た時より、今のほうが時代にフィットしているようにも感じた。それはかつて露悪的と思われたものが、もはや現実のものと化した世界のありようにも関わっているのかもしれない。


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