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2012年05月09日

海辺のカフカ

数ある村上作品の中でも「海辺のカフカ」に私が格別の印象を持ったのは、作中に登場する佐伯さんという女性の過去が、あきらかに私の知っている事件をモデルにしたものと感じられたためである。時は1972年
学園紛争末期のセクト争いで早稲田文学部の一年生が革マル派に惨殺された川口君事件で、私は被害者と同学年だったので当時のことをよく憶えているが、佐伯さんの幼なじみの恋人が虐殺されて発見された時の生々しい屍体の描写はまさしく事件を踏まえたものと思しい。つまり、この作品はそうしたリアルな世界の出来事が極めて写実的に描かれる一方で、村上作品らしい幻想的かつ寓意的な世界のメタフォリカルな表現さえも近作「1Q84」のスカスカした感じとは全く違った濃密な文体で構築されており、そういう意味で小説という表現ならではの作品と感じられて、映像化ならまだしも舞台化なぞ思いも寄らなかったので、今回の蜷川演出による舞台化は実に待望の上演だったのだ。にもかかわらず招待日をうっかり間違えて初日に見損なったのだけれどf(^ー^;有り難いことに再度ご招待を戴いて本日やっと拝見した次第。
で、実際に観た舞台はどうだったかといえば、 台本は15歳の僕カフカ少年とナカタ老人の世界がパラレルに進行しつつ、共にいわば凝縮されたエロスとタナトスを彷徨するストーリーを手際よくまとめてはいるが、原作の持つ過剰な妄想エネルギーことに性的なそれといったものが抜け落ちている観は否めない。私の記憶には精液の噴出を想わせるイメージ的なシーンをメタフォリカルに表現した文章が鮮明に残っていて、原作のエロチシズムやバイオレンスは妄想シーンの凄まじくリアルな描写に頼る面、つまりは村上春樹の文章力によるところがやはり大きいことを改めて感じさせられたのだけれど、それを補うためもあってか想像以上に蜷川色の強い舞台になっているのが印象的である。ことにナカタ老人が猫殺しジョニーウオーカーと対峙するバイオレンスなシーンにはどきっとさせられ、カフカ少年と佐伯さんが交わるエロチックなシーンの
美しさには完全に酔わされて、原作とはまた別の視覚的な満足が得られた点は舞台としての大きな成果だろう。一方で、あらゆるシーンが可動式のアクリルボックスの中に閉じられた空間として展開する舞台設定は原作の持ち味を巧く表現したものといえそうだ。ただし幕切れはきっかけがビシッとしなかったのか、ずるっと流れてしまった感じを受け、もう少し印象的にする工夫はあってもしかるべきように思われた。主演の柳楽優弥は表情によって本当に15歳の少年に見えるのがとてもよかった。田中裕子は相変わらず不思議な魅力で佐伯さんという不思議な女性の存在にリアリティーを持たせている。


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