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2012年02月01日

とろろ鍋

QPで見た料理。出汁を味醂と醤油で味付けしたふつうの鶏鍋にすり下ろしたヤマトイモを加えただけ。ほかの具はネギ、ささがきゴボウ、せり。とても簡単にできるし、食べると躰がぽかぽかするし、特にもちもちした食感がお好きな方には絶対オススメ。
夕方からNHK出版の加納さんと河野編集長がお越しになり、WEB連載に関する具体的な打ち合わせをしたら、加納さんはエッセイがご希望で、確か「フィクションじゃなく事実だからこそ人に訴えるものがあると思うんです」というようなご意見だったと記憶するが、河野編集長は「それこそうちのドラマにできるような」自伝的小説をお望みとあって、そうなると話が180度違ってきちゃうので、もう少しこちらも考えなくてはならないし、そちらはそちらでご検討くださいということになった。自伝というより、うちの一家の
先々代からの、えげつないまでにドラマチックな過去は、子供の頃に聞いて、それこそ有吉さんの(当時はまだ宮尾さんの存在を知らなかったので)小説にしてほしいと思っていたくらいだけれど、自分で書くなんて考えたこともなかった!!ので(なぜならまず小説家になろうなんてゼンゼン思ってなかったから)、もし書くとしたら何もかも一から仕込み直さなくてはならないし、そうなると作家としても大きくシフトチェンジすることになるので、早急に結論は出せない問題になってくる。何よりも、うちの一家の話は私が聞いてもあまりに時代離れし過ぎてて、現代人のほとんどの方には理解されないかも、という気がするのであるが、そういうある意味で濃い〜話に現代の人は却って飢えているんじゃないのかというのがおふたりの認識であるようだった。まあ、何もかもがアメリカンテイストに薄まっちゃって、人間関係もどんどん希薄になっていくようで、加納さんは私の若い頃の話でさえ今なら十分刺激的なのだと仰言るのである。そこから現代の若者論になり、なんだかこぢんまりと老成しちゃってパワー不足といわれる原因はなんだろうという話で、やっぱりどこかで教育がすっかり変わったんでしょうねえ、との意見で一致した。昨日のブログに書いた三鷹高校元校長の提訴棄却の一件なんかも、せっかくブログご投稿を戴きながら、やはり私にはゼンゼン理解できなくて、ただそこから教育現場の恐ろしいまでの変容が想像されるのみなのですが。


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コメント (5)


私は、ぜひとも自叙伝的エッセイが読みたいです!有吉佐和子の「紀ノ川」や宮尾登美子の自伝的な長編小説も大好きですが、それは先に取っておいて、まずは今朝子さんが実際に見聞き、感じた昭和を追体験したいです。地方から上京した1学年下の私も池袋の学生でしたが、まだキャンパスには学生運動の残り火がくすぶり、機動隊やら火炎瓶も時折、目にしました。40年近くたって、ずいぶん遠くに来たもんだ……と思うこの歳月を今朝子さんのペンで書いて貰いたく、3ヶ月前、その構想を知った読者からも賛同が多くありましたし、書き込みせずとも、期待する読者は多いと思います。
(編集長は、朝ドラ「カーネーション」の評判が良いので、同じ関西出身でドラマチックな半生を送っている著名人の今朝子さんをモデルにして、将来の朝ドラを狙っているのでは…)と考えるのは、うがち過ぎでしょうか。

投稿者 ウサコの母 : 2012年02月02日 18:03

数行で書ける話ではないので、長くなりますがどうぞよろしく。なお、この裁判、私(晩酌子ちゃんの悪友です)の地方ではあまりニュースになっておりません、従って詳細な新聞記事を入手出来ず、ネット版とnaoさんが引用して下さった朝日の記事及びネットで見つけた元校長土肥信雄氏の主張を基に書いたものです。
なるべく、私見が入らないように気をつけました。

日本国憲法23条は、学問の自由を保障しています。極端な話ですが、天動説を研究し、生徒に教えることも保障されています。が、地動説を排除して天動説しか教えない公立学校があると困ります。
なぜなら、私立校なら、教育方針を調べ納得した上で、入学するかしないかは生徒が自由に決められますが、公立校は、学区等決められていて自由に選べないので、このような極端な学校に入学せねばならない生徒が出てくるからです。
そこで、全国的に一定の教育水準を確保するために、普通教育(小、中、高校)では、完全なる教授の自由は認めることは出来ないとして、国に必要かつ相当と認められる範囲内で教育内容を決める権限が認められています、最高裁の判決によってです。
この「必要かつ相当と認められる範囲内」とは、どこまでか、どのようなものなのか。どうとでも解釈出来るので、またもめるわけです。
そして、教育内容だけでなく、学校の運営方針についても、国や地方公共団体が決め、校長を通じて各校に徹底させるのか、言論の自由が認められた話し合いの場(職員会議)で先生達が決めるのか、とずっと争いがあります。「日の丸談義」はひとまず脇において、卒業式に国旗を掲揚しろと通達する教育委員会と、拒否する教員の板挟みになり、悩んだ校長が自殺するという痛ましい事件もこのあたりから起きています。

土肥氏は現役中、東京都の方針通りに運営させるため教育委員会が出した通知(職員会議での挙手、採決を禁じた。職員会議で学校の方針を決めることは許さないということでしょう)には従って学校運営をする傍ら、このような通知は、教員の表現の自由に悪影響を及ぼし、ひいては生徒達の表現の自由にも悪影響が及ぶ危険があるのではないかと、批判なさっていたようです。
そして、東京都の教員は定年退職後、希望するほぼ100パーセントの人が、非常勤での再就職が出来るのに、氏が不採用になったのは、現役時代に教育委員会に楯突いただろうとの報復であり、他の校長たちに、後の採用に不利益があるから大人しくしていろと、無言の脅しをかけるもので許されない、とおっしゃっているようです。
この判決では、通知は、校長が職員会議の採決に拘束されないようにするため(採決そのものを禁止すれば、校長は職員会議に左右されずにすみますから)のもので、違法なものではなく、土肥氏の再就職を認めなかった教育委員会の決定も裁量権の範囲内としています。

以上、晩酌子のツレの中で日頃からうるさいことを言うてるのに、書かせた通りに写しました。ご参考になれば、ちと嬉しいわ。

投稿者 毎晩晩酌 : 2012年02月02日 18:22

ありがとうございます。やはり日の丸君が代がらみということなのでしょうか。これも色んな意味で不幸な問題と言わざるを得ませんねえ。

投稿者 今朝子 : 2012年02月02日 22:56

初めてコメントします。愛読者です。「先先代からのえげつないまでにドラマチックな過去」すごく読みたいです。先先代というと明治、大正あたりでしょうか?舞台は京都だし、戦争をはさんで、「あまりにも時代ばなれ」したお話興味あります。小説にするとなると大変だと思いますが、気長にお待ちします。

投稿者 四十雀子 : 2012年02月05日 11:23

私は、今朝子様のエッセイはエッセイ、自伝的小説は自伝的小説、一家のドラマチックな過去の小説は三代記、又は今朝子様の回想記のような形で別々に読ませてもらいたいです。欲張りすぎですみません。今朝子様のやりたい順でオーバーワークにならない進め方で十分ですが、執筆完成されたものをどれでもがっつくように読んでしまうと思います。
 

投稿者 nao : 2012年02月05日 20:51

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