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2011年11月23日

味噌カツ弁当

けさは4時起きでエッセイを1本書き上げてから名古屋に向かい、名古屋稲門会45周年記念講演をしてすぐに帰宅の途に就き新幹線の車中で駅弁の晩ご飯。レセプションを失礼して帰宅を急いだのは、明日も
花の会の講座を務めたあと二期会公演に行く予定があるからで、土曜日も外出し、日曜からまた旅行という何かと慌ただしい一週間なのでした(^_^;) それにしても、大宮は新幹線の駅でもあるので全国どこへ行くにも非常にベンリだし、新幹線ホームのプローチも上野駅よりはるかに楽だから、こうした出張の際は、これ以上ベンリな場所は東京駅のそばしかないかも?と思ってしまうほどだ。
ところで稲門会とは早稲田大学卒業生の団体名で、日本全国どころか世界中にあるみたいだし、もちろん京都稲門会や大宮稲門会だってあるはずだが、それらに一度として顔を出したこともない私に、なぜ名古屋稲門会から講演の依頼が来たのかといえば、今回の実行委員長である林和利名古屋女子大教授が大学院の同級生だったからなのである。で、私には江戸時代を背景にした著作が多いところから、演題は江戸時代の名古屋にちなんだものということだったので、それならやっぱりこれしかないという感じで、徳川宗春が著した「温知政要」についての講演にしたのだった。
宗春は暴れん坊将軍吉宗が推し進めた享保の改革に真っ向から逆らって挫折した人物として知られているが、その著書「温知政要」には現代人にもフィットするとても柔軟な思考が披瀝されていて、江戸時代の政治的文献としては非常に読みやすいし短いものなので興味のある方にはオススメする(岩波の思想体系38『近世政道論』所収)。
宗春の時代は常設の芝居小屋がなんと16カ所もあったらしい名古屋は、長らく「芸所」といわれ続けたくらい、歌舞伎に対する造詣が深い土地としても知られていたが、聴講された方の中には15代目市村羽左衛門の捺し隈だけで40枚以上所持され、3代目歌右衛門や7代目團十郎の手紙なども趣味で蒐集してらっしゃる税理士さんがおられたのには心底びっくりした(@_@) 前会長で平賀源内のご子孫という方にもお会いしたのだけれど、どういうつながりなのかを質問する時間がなかったのは残念でした。
帰宅して立川談志が亡くなったのを知った。先年、歌舞伎座で聴いた時から遠からずこの日が来るように思われたものだが、やはり、というべきか……。


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コメント (1)


早稲田の同窓会には及びもつかない、小さな学校の話ですが、今朝のワイドショーでティッシュ御曹司の通ってた中高一貫校の名前を見てビックリ。
すぐに本棚に直行。同窓会名簿を見ました。ありました、31期に名前が。(国立大付属校の場合、制定された年から1期、2期となってきます。関東の場合だけかな。全国的なものかはわからない。)

ワイドショーによると、級友と賭けマージャンして、取立てを厳しくしてたなんて、すでに違法行為してたんだ。

その名簿では、大王製紙社長で、住所が△レロワイヤル永△町。なんか、ドラマか小説の設定みたいで、苦笑いです。

投稿者 せろり : 2011年11月24日 00:17

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