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2011年10月20日
麻婆茄子、イクラ
昨日買った茄子の残りで作った。トウチは入れたが、花椒を切らしていて入れられなかったのがちょっとザンネンな味になりました。
けさは執筆の前にうっかりブラウザのバージョンアップをしたら、それまで頻繁にアクセスするサイトがお気に入りとして登録されていたのに、それがすべて消えてしまったので大慌て(@_@)中には執筆に絶対必要な辞書サイトもあって、とにかくそれだけはアクセスしっぱなしにしておいたが、ほかにも重要なアクセス先が満載だったので、執筆を終えてからさっそくPメディアの岡野さんに連絡して回復の方法を教えてもらったのでしたm(_ _)mああ、岡野さんがいなくなったら私はどうなるんでしょうか(-_-;)それにしてもこのバージョンアップなるものをうっかりすると毎回こうしたトラブルに見舞われるというよりも、私の不注意でドタバタしてしまうのだけれど、人間年を取ると、家がきれいになって環境がよくなるよりも、やっぱり住み馴れた町のボロ家が良かったりするようなもので、別にもうバージョンアップしてもらわなくて結構ですからというようなソフトや機器が山ほどあるにもかかわらず、どんどんどんどん勝手にバージョンアップされてしまうのがPC時代の恐ろしさである。こうした流れに果たして自分はどこまでついていけるのか、どの時点で降りればいいのか、さすがにそういうことを考えずにはいられない年齢になってきたように思う。周辺環境が加速度的変化するこういう時代だと、私よりずっと若い人でもいつかは必ずこうした壁にぶち当たるのではないかと想像されて、世代によってさまざまに違ったジェネレーションギャップと向き合わざるを得なくなるのかもしれない。昨日NHK出版の加納さんとお話をしていて、ひょっとしたらある世代以降はコトバによるコミュニケーションや思考形成をメインにしなくなるかもしれないという予感を二人とも持ち、私は当然先に死ぬ人間だからまだいいようなものの、私よりずっと若い加納さんは、そうなるとこれまでコトバと文字によって培われた文化が何もかも断絶するようでとても怖いと仰言っていた。私はきっと映像を土台にして、ふたたびた象形文字みたいな段階から新たな文化が生まれるのではないかと期待しているが、それが成熟するまでには相当の歳月がかかるだろうし、ひょっとしたら人類はそれを成熟させないまま、すなわち幼稚な精神状態のまま滅亡の道を歩み始めてしまうかもしれない恐れは確かにあるのだった。とにかく現段階では文字による成熟した文化はやはりなるべく残す方向で考えておいたほうがいいのでしょうね。
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コメント (1)
少しの災難でしたね、バージョンアップと言葉を鵜呑みにすると絶対したほうが良くて、もししなかったらすごく損するように思いますが、あにはからんや旧でええもんもあるし旧のほうが使い勝手よかったにとなる場合あります。
けれど松井センセは頼もしい助っ人がいてはるからいいですね、さすが。
花椒は昔みたいにお隣さんに借りられる時代やったら、便利かも?
投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月21日 17:44