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2011年10月03日

海老フライと黒豚カツ定食

さいたま芸術劇場でシェイクスピア作・蜷川幸雄演出「アントニーとクレオパトラ」を観る前に大宮そごうのレストラン街で食事。
エジプト王朝の滅亡という歴史的な大事件をこんな超メロドラマにしてしまったシェイクスピアってある意味でスゴイ!!といわざるを得ない作品の上演だが、私はこれを観て、歌舞伎などでよく使われる「大時代」という言葉が想い起こされたものである。「大時代」は文字通り江戸時代からみても相当に古い時代、平安朝とか源平時代を指すのだけれど、それらの古い時代を背景にした芝居特有の大仰さや古風さや荒唐無稽さを表現する形容詞でもあって、「アントニーとクレオパトラ」も文字通り古い時代を背景にしており、そのことをシェイクスピアが十二分に意識しながら敢えて「大時代」に描いてみせたドラマなのだということが改めて強く感じられたのだった。歌舞伎でも大時代な作品には大時代な演技が要求されて、なまじ世話物のようにリアルに演じるとおかしく見えるのである。今回の「アントニーとクレオパトラ」はそれを逆手に取り、敢えて前半はコミカルさを強調した演出のようで、ことにアントニーの寵臣イノバーバス役を演じる橋本じゅんの面白さが目立ったし、クレオパトラ役の安蘭けいもコメディエンヌ的な持ち味を発揮していたように思う。
ただし後半になるともっと全体の演技がガラッと変わって大時代な悲劇にしてくれないと、シェイクスピアの作劇の意図は達せられないのではなかろうか。
ファムファタールにすっかり魂を奪われて無惨としかいいようない最期を遂げるアントニー役の吉田鋼太郎はかなり大時代な演技をして、しかもシリアスに聞かせるセリフ術を駆使しているとはいいながら、やはりこの役で観客を泣かせるところまでは持っていけない。この手の役柄で観客を泣かせるような演技術を本来的に有しているのは歌舞伎役者なのだが、今どきの歌舞伎役者にはゼンゼン無理だろうし別に観たいとも思わない。もし観ることができたならと思うのは十一代目團十郎のアントニーと六代目歌右衛門のクレオパトラで、それだともちろん翻案劇でしかあり得ないのだけれど、要するにそういう二人が演じないと成り立たないような大時代な芝居であることを私は言いたいのであった。


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