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2011年09月19日

大宮盆栽村

今日は午後から園芸ライターの光武さんに大宮の盆栽村をご案内戴いた。
桜の品種ソメイヨシノの発祥地は東京駒込の染井村とされており、ここには江戸時代から多くの植木職人や造園師が住んでいたが、関東大震災で東京が焼け野原となった際に、住人が大挙して移住した先が大宮の盆栽村で、光武さんのお母様のご実家はその盆栽村創設メンバーの一軒だったという話を今日初めて伺ってビックリした私である(@_@)光武さんとはずいぶん長い付き合いだけれど、私が大宮に引っ越してこなければ、そのお話も一生伺うことがなかったかもしれないと思えば人生は面白い。ご実家はすでになくなっているが、道路に立てられた看板の古地図に「内海花園」とあるのがそれで、近所にはまだイトコの一家が住んでらっしゃるのだという。
盆栽村には盆栽美術館があって、先日取材を受けたサンケイリビングの丸山編集長からそこの入館チケットを頂戴し、折角なら園芸ライターの解説付きで盆栽を見たいものだという欲張り根性で光武さんをお誘いしたら、まずはわが家から氷川神社を抜けて盆栽村まで歩けるコースを教えて戴いた。
その昔は盆栽を10鉢以上持っていることや、必ず平屋で生け垣を持っていることなどが居住する条件とされていたらしい盆栽村も今や分譲住宅すら見受けられる近代的な住宅街になっているとはいえ、どこの家も塀の中に立派な植木が見えるし、まるで森の中の一軒家みたいな大邸宅があるのはさすがにこの土地ならではだろう。現在も営業中の植木屋さんが十数軒あって、中をわりと気軽に見せてもらえるので、光武さんの説明を受けながら、ずらりと並んだ盆栽をしばし賞翫させてもらった。
盆栽は日本が世界に誇るユニークな文化一つだが、繊細な技術の素晴らしさもさることながら、日本式庭園と同様に、自然を人間界に摂り込む方法がとても日本らしく、一鉢ずつに一つの「世界」があってそこに流れる日常とは別の「時間」が感じ取れるのである。実際に盆栽を作るにも非常に長い歳月をかけて完成させるので作者は特定できないものが多いらしく、なかには嘘か実か二千年前の作!!とされる盆栽までありました(@_@)
美術館では完成された名品の数々を堪能できたし、植木屋さんでは盆栽のタマゴやヒナのような未完成形が見られる面白さもあったが、面白いといえば、見に来ている人のほとんどが私たちより若い人たちで、敬老の日にふさわしい見学場所という感じでは全くなかったのである。もっとも考えてみれば、今どきの高齢者は、私が子供の頃のお年寄りとはゼンゼン違って、西洋文化サイコー!!!で日本文化には案外疎い世代だったんだよな~と気づいたのでした。
残念ながら美術館はもちろん植木屋さんも撮影不可だったので、素晴らしい盆栽の代わりに、いささか盆景じみた大宮公園の風景をアップしておきます。


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コメント (1)


いっとき揉めていた盆栽美術館、ちゃんと出来ていたのですね。
2007年に他界されたMSシュレッダーの明光商会、高木禮二氏のコレクションですよね。さいたま市が5億円で買うのが高いとか無駄遣いだとか、いろいろ話題を提供してました。
私はまだ20世紀の頃、ハローワークの求人票にあった明光商会の総務課長の募集要項の中に、「盆栽に興味のある方」というような記述があったのを覚えています。
当時、市ヶ谷駅近くの明光商会のビルの中に「高木盆栽美術館」がありました。(今もあるのかな?)

投稿者 せろり : 2011年09月21日 00:22

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