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2011年08月24日

バーニャカウダ、パエリヤ

旧友である大阪府立大学教授の河合真澄さんと女義太夫の鶴澤寛也さんをお招きして手料理のランチ。合羽橋でゲットしたパエリヤパンはカジュアルなおもてなしに持ってこいです。
初めて新居を訪ねられた河合さんは、大宮駅からわが家に着くまでの道すがら、あたりをキョロキョロしながら「三軒茶屋とちっとも変わらしまへんがな。全くおんなじですやん」と言い通しだった。
4月の「はなやぐらの会」以来初めてお会いした寛也さんからは素敵なカメグッズを頂戴し、寛也さんも♂ガメ俊寛に黒いシュロボウキをちらつかせて興奮させる遊びにハマられたところから、人間も動物としての雌雄の差が相当にあって、育てていても男の子と女の子とはいかに違うかというような話になった。子育てをほぼ終えられて、すでに大学生のお嬢様がいらっしゃるとはとても思えないほど若々しい美人である寛也さんだが、ご本人も実年齢を忘れてらして「40代になってるのはわかってたんですけど、娘からお母さん
今年もう50よ!と言われて物凄くショックだったんですよね~」と仰言ったから、たしかに私も50の大台に乗った時はぐっと来るものがあったという話をした。「とにかく折り返し地点は完全に過ぎちゃったという感じで、ある意味コワイもんがないというか、どっちみち死んじゃうんだから、義理もヘチマもない、なんでも正直に言いたいこと言って、出来るだけしたいことして死んじゃおうって気持ちになったんだよね」と言いながら、考えてみれば高齢化社会はこの手の人が結構多いわけだから、若い人も大変だよな~と改めて思ったのでした(^_^ゞ


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コメント (2)


自分自身が40代になった時になんか思ってたより、若いと言おうか普通と言おうか妙な感じなのは覚えております。
そして50歳が近づいてきますと、折り返し地点過ぎたなと思います。
今から30年前くらいでしたか、浅丘ルリコさんが呑気な年下亭主をもったしっかりものの才色兼備な奥様役を演じていてそのドラマのなかで、シーズン過ぎた荒波の海で泳ぎながら「私今45歳、人生80年としたら折り返しちゃったのよ」とありました。私はそれを観た時に大分先な話やなと思いました、

が、実際なってみると、確かにやりたい事はやっておかなければと言う気分にはなりますね。
食べたいもんを食らい、行きたいとこに足を運び、住みたいとこに住む。後何がありますかしらん?
なんだか欲のおはなしになりました、崇高な事はまだまだ考えられません。まだまだなまぐさいです。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年08月25日 16:22

私は、大学で事務をしてた頃、上司が、
「あの先生はまだ若いよ。僕と同じくらいだから」と言ったのが、今でも耳に残ってます。
どう見ても40歳過ぎの上司が、同じくらいの年の先生を「若い」と表現した。(確かに、60過ぎのジイさんバアさんがゴロゴロな大学の先生たちの中で、45歳はまだ若手かもしれないが)
20代の人間にとって、それがどれだけ奇異な物言いに聞こえたかを私は身をもって知っているので、人生において、絶対に、「あの人はまだ若いよ、私と同じくらいだから」という言葉だけは言うまい!と肝に銘じてます。

投稿者 せろり : 2011年08月25日 23:02

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