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2011年06月10日

小籠包と海老スープ麺のセット

新国立劇場で井上ひさし作・栗山民也演出「雨」を観る前に劇場のそばで食事。
木村光一演出で名古屋章が主演した初演は素晴らしかっただけに、今回の栗山演出と市川亀治郎主演はちょっと期待し過ぎたかもしれない、というのが率直な感想である。そもそもこの戯曲は一種のミステリー仕立てであり、ミステリー物の鉄則として先が読めるような展開は絶対NGなのだけれど、演出も演技も結末からの逆算が見えてしまうのが最大の欠陥だろう。亀治郎はとてもクレバーで達者な役者だが、歌舞伎役者の常として登場人物を「役柄」として把握するために、この作品の主人公を一貫したピカレスクとして描いてみせる。同じ井上作品でも「薮原検校」ならそういう描き方でいいかもしれないけれど、「雨」の主人公拾い屋の徳は根っからのピカレスクではなく、突然降って湧いたようなチャンスに身を委ねることでどんどんと自らのアイデンティーを喪ってゆくという本来受け身的な性格として表現されるべきの役であるために、一貫したピカレスクで演じられると、戯曲全体のダイナミズムが著しく喪われてしまうのだ。ダイナミズムといえば、装置も一見ダイナミックに見えながら、舞台全体に閉塞感が漂ってどうも気が変わらないのもつまらない原因だろうと思う。ラストにバックの大黒を振り落としにして美しい紅花畑を見せるとはいっても、江戸を離れた時点でもう少し明るい雰囲気の舞台作りが望ましいところだろう。
初演では名古屋章の扮する徳が江戸を離れて出羽国にたどり着いたところで「桜が南から北へ順番に咲くのを追いかけて……」と独白した時は、抒情的なセリフと相俟って、なんともいえない開放的な空間が広がった感じを強く受けたもので、徳の人生が極めて前向きに転がりだしたというイメージを舞台全体が与えてくれたものである。思いがけない好運続きの果てに恐ろしくブラックな結末が待っているというこの戯曲の面白さを表現するには、やはり前半と後半のメリハリをくっくりとつけたいものである。亀治郎は「薮原検校」のほうがニンに合うような気がする。


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コメント (2)


亀治郎は松井センセの仰るとおり、クレバーさがあだとなる事が、しばしばありますね。
若き女性歌舞伎役者ファンには上手い役者さんだと映っていて人気があるみたいですが、私のような
オバちゃんからすれば、まだ若いのだから、もそっと、荒削りなトコがあってもいいのになと思います。
まぁ、いまどきの若手役者は亀治郎に限らず、つるんとすべっこいのが多いですが。
そんなにキレイに固まってたら、50、60才になったころはどんなになるのかしら?

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年06月10日 20:30

初演の「雨」思い出して
懐かしい気持ちになり久々書かせていただきます
名古屋章さんはもちろんすばらしかったですが
確か江波杏子さんがこんなにいい女優さんだったのだー
と、感嘆したことを覚えています
新宿紀伊国屋劇場でした
もう20年以上も前ですね

投稿者 天 : 2011年06月10日 20:48

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