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2011年05月30日
牛肉とアスパラガスのオイスターソース炒め
QPで見た料理。塩と酒で下味した牛薄切り肉に片栗粉をまぶして先に炒め、いったん取りだしておく。生姜の薄切りと同じような形に切りそろえたアスパラガス、セロリを炒め、肉をもどして、オイスターソース、醤油、酒、砂糖、胡椒で味付けし、片栗粉でとろみをつける。オイスターソース等は先に合わせておくといい。
台風が通過してもスカッと晴れないのは梅雨の時期ならではで、今後もこうした長雨が被災地に及ぼす影響はとても懸念されるし、また原発事故に対する影響も気にかかるところだ。明治の三陸大津波の年は全国的に梅雨や秋の長雨が激しかった模様で、中部地方や関西地方の水害で三陸津波を上回る被害者数が記録されているから、地震もさることながらカゲキな気象にも要注意だろう。
ところで雨といえば、先日うちの近所を歩いていたら、前を歩く母子連れの面白い会話が耳に入った。小学校低学年とおぼしき少年が、「ねえ、ねえ、お母さん、こうして雨飲んだら死んじゃう?」と傘から顔を出して口を開けると、「死にはしないけど、病気になるわよ」とお母さんは淡々と注意し、「でも学校でみんなこうして雨を飲んじゃったりするんだよ」と少年は言い、「もう、さっさと歩きなさい。ぐすぐすしてたら乗り遅れちゃうじゃないの」と、お母さんは全く現実的な注意に終始して、昔とあまり変わらない母子の会話に私個人は多少ほっとさせられたようなところもあったのである。
私の子供の頃も、米ソの核実験が相次いで、雨に当たったらいけないとよくいわれており、それでかえって雨を飲んだりする男子がいたものだった。先日のTV番組で、米ソが核実験を盛んにしていた時代の空気中の放射線量は現在の一千倍もあったという発言を某学者先生がなさった時はさすがにちょっと驚いたもので、それが本当だとしたら、当時は雨に当たらないようにという注意はあっても、水道水や井戸水がキケンだなんてことは誰も教えられなかったから、当然ながら、私たちは子供の頃に多少なりとも内部被曝させられているわけで、「知らぬが仏」とはまさしくこのことだろうと思う。放射線量はむろん低ければ低いに越したことはないとしても、どの程度の量でどういった症状が現れるのか症例は限られているからまだ正確なところは専門の研究者にもきちんと把握しきれないのが実状だろう。現代はとにかく情報量が豊富だし、科学技術も発達しているから何かとキケンを避けることはできるのだろうし、官民挙げてその努力をすべきだろうとは思うけれど、首都直下型地震の可能性にしろ、首都圏の放射線量の測定値にしろ、そのことでややノイローゼっぽくなってる人を見ると、私個人としては「知らぬが仏」の時代の暢気さも捨てがたいような気がするのだった。ただし放射能の問題に関しては、現地の土壌や海水汚染が今後どの程度深刻化するか予断を許さぬ状況であることは間違いない。
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コメント (4)
思いだしました、米国とソ連が冷戦状態の頃は毎年お互いが競い合って核爆発の実験をしていましたね、「雨に打たれたら放射能で頭の毛が抜ける」と新聞にも書いてました。しかし食べる物も、もちろん子供が遊んでいる公園の土が汚染されているから気をつけろ!なんて誰も言わなかった。あの頃子供だった人たちが今は働き盛り。
汚染されてない物を口にし、汚染されていない空気を吸って生きるのが理想でしょうが、事故が無くても微量の放射能は空中にあるわけですし、ワイドショー番組で子供が汚染された所で暮らす事にナーバスになり泣いている東京のお母さんが居られたが、人は完璧に安全な所で今までも暮らしていたわけでは無い。これ以上地球が汚染されないようにするにはどの程度不自由を我慢できるか?それを子供たちと話し合い、考える事が今は大事なのでは?と思うのですが。
投稿者 お : 2011年05月30日 22:14
実はこの震災の前から、気になっていることがあって、私の小~大学の同期や前後の後輩先輩、仕事時代の同期に、癌を経験した友人が男女ともに多いのです。1957・8年生まれを中心としてですが。まったくの個人的データですが。既に何人か40代で亡くなっています。昨年も同級生が2名手術し、今年も・・・。
比してみて、一世代上の夫や兄姉の同級会や同期会のニュースでは、年長なのに若い我々より少ないように思うのです。
先日集まりで、ふとその感想を漏らしたら『自分もそう思っていた』と言う意見が幾つか出て、考え込んでしまいました。
幼少時や低学年の頃は米ソ対立の時代で、『雨あたったら禿げるよ~』なんて走って笑ってましたが・・・。何らかの影響を受けたのか・・・と。
まあ、原水爆実験以外に、公害などの大気汚染、食品添加物など、急激に環境が侵されていった時代の成育で、放射能に限定される影響ではないでしょうが。考えすぎかもしれません。この場限りの人騒がせとして、甘えをお許し下さい。
しかし、将来もっと深刻に、『これは2011年のあの日の影響ではないのか』と苦しく不安に思う若い世代が増えてゆくのだと思うと、なんとも切ない気持になります。
投稿者 かぶきまま : 2011年05月31日 00:21
六十年代生まれですが、子供のころ(東京では)、雨の降った後は、生水を飲んではイケませんと言われて育ちました。
もちろん、放射能の雨が降るから、必ず傘はさすようにと。
投稿者 yata : 2011年05月31日 06:57
大体前のお三方と同じくらいの年代です。確かに夕立ちで雨が降ってきたら、「放射能の雨、ハゲる、
こういう日に口裂け女が出る」なんて持ってたハンカチを雨除けに頭に載せて~なんてありましたっけ。
まあ汚染された雨とガンの発病率との因果関係はわかりませんが、人間とは気になりだしたら気になって、となるもんですね。
少し逸脱しますが、予防接種の針の使いまわしなんて当たり前な時代でしたよね。
せっかくの使い捨ての注射器に切り替わっていたのに、私の記憶が正しければ1本で3人打ってました。
その時すぐには何も現れないが数十年たってから、社会問題になる。悲しい事ですが避けられないリスクを背負っているもんなのでしょうか。
投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月31日 18:05