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2011年02月09日

わが友ヒットラー

今夜は「ミシマダブル」と銘打ったシアター・コクーン公演の二番目狂言『わが友ヒットラー』を観劇。『サド侯爵夫人』と共に蜷川演出で、四人の出演者も変わらないことは最初からわかっていたが、オープニングを見て、装置も使い回しができるんだ~!!と妙なことに感心してしまった。ともあれ連続上演で見ると、このふたつの作品が共に「革命」を通奏低音としている戯曲であることが鮮明になる。『サド~』の背景は言うまでもなくフランス革命であり、ヒットラーはそもそもミュンヘンのビヤホールで「国民革命」を宣言した人物だ。その革命家が権力の座に就いたとたんに「左を斬り、返す刀で右を斬った」歴史的事実。すなわち革命を共にした社会主義者シュトラッサーと軍人レームの粛清された事件が、登場人物わずか四人で展開されるこの作品は、あらゆる革命後政権に普遍的な変節と、権力者が自らの過去と共に友を抹殺せざる得ない病理のようなものを極めて凝縮した形で描いているので、壮大にして且つセンシティブな戯曲であるといえよう。従ってキャスティング次第でいろいろと違った印象を与える上演になると想像されるが、今回は生田斗真という若い男優をヒットラーに据えたことで、センシティブなほうに偏った印象を受けた。ことに3幕は現代流行りのサイコパスのような雰囲気の役作りをしたヒットラーに妙なリアリティーがあったが、ヒットラーの狂気をその線で押し進めるなら、逆にあまりハイテンションのセリフばかりにならないほうがいいように思われた。レームの役も直情で一本気な人物に描かれているのは確かだけれど、演じた東山紀之がセリフを張りすぎで一本調子になった点は否めない。もっとも今日は昼夜連続公演で声の疲れもあったのだろう。ただしベテランの平幹二朗、木場勝己はさすがそうした問題は全くないのである。


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