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2011年01月22日
キムチ肉じゃが
QPで見た料理。単に肉じゃがに白菜キムチを入れただけ。具材をゴマ油で炒めて酒と砂糖の味付けだけでしばらく煮てから最後にキムチと醤油を加えるのがポイント。
今日も午後からは乗馬クラブで1鞍騎乗。お相手は例のハイセイコーのお孫さんで、お孫さんといっても相当のおばあちゃんだから、人間でいうとアゴを出すような走り方をして、つまずくことがしばしばある。馬は銜(ハミ=くつわ)を口にくわえて走るが、銜を取りつけてアタマにかぶせる皮紐を頭絡(とうらく)といい、それに手綱が取りつけてあって、このワンセットがいわばクルマのハンドルに相当する。で、今日はインストラクターの方のオススメに従ってこの頭絡セットを取り替えたら、手綱が定位置にキープできてお孫さんはアゴを出さずに快走してくれたので、「こうすると楽勝でしょ~」と言われたのでした。
弘法は筆を選ばずというが、どんな筆でも巧い字が書けるのはやっぱり弘法だからであって、弘法でない下手の横好き組は、ゴルフなんかでもそうであるように、乗馬もけっこう道具によって左右されるのを実感する。もっとも道具に頼り過ぎるのがマズイのはいうまでもないけれど、何か仕事を進める上でも、いいツールを使うとスムースに行ったりするわけで、昨今はそれぞれのビジネスに適したツールを見つけるのも仕事のうちだったりするのかもしれない。で、小説を書く場合のツールって何だろう?と考えたときに、ワープロの出現はある意味で画期的だったとはいえるが、ワープロの出現で確かに小説の数は飛躍的に増えたけれど、全体の質が向上したのかどうかは大いなる疑問符がつくだろう。そもそもワープロは文書作成ツールではあっても、ワードより一太郎を使ったほうがより良い小説が書けるわけではないし、添削機能なんかがあっても所詮余計なお世話だったりする(笑)。
そういった些末なツールの話をしても仕方がないので、もっと根本的な問題に触れると、かつては実人生そのものが小説を書くためのツールと考えられた時代があったことを忘れるわけにはいかないが、今の若い作家の小説を読むと、そういうことはたぶん感覚的に理解されないのだろうなあと思えてしまうほど、リアリティを欠いていることに愕然とさせられる。それもたぶん現実そのものがリアリティを欠いて認識されているからだろうし、つまりリアリティを欠いていることこそが、今のリアルなのだという認識が蔓延しているからなのであろうし、一方で単にリアルな人生をあまり送らないまま作家になっちゃう人が多いせいもあるのだろうと思う。ずっと小説ばかり読んでた人が小説を書き、そういう人の書いた小説を読んでまた小説を書くような人が増えることで、どんどん閉ざされた世界になってゆく現象は今やいずこの業界も同じなのかもしれない。結果、人類は一体どこへ向かっていくのだろうか?なんて迂遠なことを考えてもおられず、自分たちが今後一体どうやって暮らしを立てるのか考えるだけでイッパイイッパイにならざるを得ない気の毒な状況にあるのが今の若い人たちなのかもしれませんが(-_-;)
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