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2010年11月22日

牡蠣と椎茸の炒め物

QPで見た超簡単スピーディな料理。牡蠣、生姜とニンニクの薄切り、長ネギの斜め切り、生椎茸のそぎ切りを順々に炒め、酒砂糖酢醤油豆板醤を混ぜた合わせ調味料で味付けし、仕上げに胡麻油をまわしかけるだけ。牡蠣の旨みをほかの具に吸わせるのがポイント。
「ホンマにどうすんの。これでまた首相が替わったら日本は世界の嗤いもんやで」と思っているのはわが妹ばかりではなさそうだ。それにしても今日辞任した柳田法相のみならず、日本の政治家に失言が多いのは困りものだし、また結局のところ失言でしか政権に揺さぶりをかけられない野党のレベル(これは民主、自民両党にいえる)や、そんなことばかり報道するしか能がないマスコミはもっと困ったものである。さらにその失言を恐れるあまり、外交の挨拶にもずっとメモを見て喋る首相ときてはもう何をか言わんやである。
菅首相については、こんなに「化け」られなかった人も珍しいと言わねばならない。「化ける」とは芸能用語で、たとえばそれまで地味な脇役だった俳優がひょんなきっかけで主役に抜擢されたとたん、急にその大役にふさわしい器を備えた名優に見えてくるような現象をいい、歌舞伎だとかつては襲名で化けた人も多かった。スポットが当たって周りに注目されたらその間はいやでも燦然と光り輝くのがフツーだと思われるのに、逆に萎んで見えちゃうのはよほど器が小さかったのか、守りに弱いタイプだったのかどっちなんだろう。
とにかく政権交代によって日本の国民が心底がっかりしたのは民主党に対してばかりではない。自民党時代に隠蔽されていたあらゆることがオープンになった結果、これでまた民主党から自民党にチェンジしたところで国がよくなる保証はゼンゼンないし、政治家はいくらダメでも役人は地道になんとかしてくれると信じるわけいもいかないし、何よりも議会制民主政治というものに自分たちはいまだ不馴れどころか向いてなくて、政治家になる人材もいなければ、政治家の資質を見る目も全くないんじゃないか!という有権者としての自信喪失も非常に大きいような気がする。
昭和の文豪谷崎潤一郎は『饒舌録』の中で、果たして代議政治は日本の国民性に合致したものかどうかと疑義を挟み、なぜなら東洋人は偉い人ほどおしゃべりをしないからだと語り、「日本で弁舌の巧みな奴は大概オッチョコチョイである」と述べているのがおかしい。「代議士になるような連中はとても鼻持ちならないやうな下品な人物が多いのだから、(衆議院の)泥試合になるのは当然の帰結である」とも述べたのは昭和2年のことであり、当時は憲政会と政友会の2大政党時代であり、泥試合の足の引っ張り合いで疑獄事件が続発し、政治家はどんどん国民の信を喪う一方で軍部が台頭し、ついには暴走を許す結果となったのは周知の事実だろう。自衛隊が仙石失言に刺激されて「暴力装置」にならないことを祈るのみだ。


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コメント (1)


情報は開示されるべき、という言葉が空虚になるような、変な恐怖感が頭をグルグルしてます。自民党時代隠蔽されてきた事が次々明るみになるにつけ「何処から手をつけてたらええんやろ?」と国民も与党民主党の中も閉塞感で押しつぶされかかっている気がします。しかし、今日のプロへッショナルを見て「政治も経済も迷ってるけど、古美術の修復の技量な世界有数やん」と明るい気持ちになれました。

投稿者 お : 2010年11月22日 23:10

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