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2010年11月10日
刺身盛り合わせ、豚の角煮、アボガドとレンコンのサラダ、ちりめんジャコ豆腐、香茸の炊き込みご飯ほか
新国立劇場でテネシー・ウイリアムズ作「やけたトタン屋根の上の猫」を見た帰りに渋谷の「春秋」で翻訳家の松岡和子さん、文春の内山さんと一緒に食事。軽井沢から帰る早々、連夜の観劇で午前様帰宅とあって、我ながら年齢のわりにはタフな感じであります(^_^ヾ
タフといえば、そもそもT・ウイリアムズを始め米国の戯曲は精神が相当タフでないと見るのが辛いような芝居が多いのだけれど、その理由は何が何でも真実を見ないと気が済まないという米国のピュリタン気質
のなせるワザかと思われて、この芝居はそうした典型的な作品といえる。富豪の家庭における財産相続をめぐって、親が自らの実子である兄弟を平等に愛せるわけではないという真実や、老いた夫が老いた妻を辟易しながらもSEXをし続けたという真実や、若い夫に愛されないことを知りつつも若い妻はその夫にSEXを求めずにはいられないという真実や、仲の良い友人同士と思い込んでいた間柄が実は同性愛的な感情に裏打ちされていたという真実や、人間は自らの死期を知らずにいて死を避けがたいという真実が、一昼夜のうちに各人の眼前につきつけられ、それまで欺瞞の中で成立していた幸福が敢えなく崩壊するドラマであり、これぞまさしくT・ウイリアムズ!とはいっても、あと味は決してよくない作品である。今回さほどに後味の悪さを感じなかったのは、「渡る世間は鬼ばかり」的なややコミカルな露悪の応酬やエンディングのBGMで一抹の救いを与えた演出によるものだろう。もっともそうした、いわばエンターテインメント化によって、この戯曲が本質的にもつ深刻さが薄らいだ点は否めない。寺島しのぶを始めとする出演陣でちょっと気になったのは稽古不足?を窺わせるほどにセリフがイマイチ消化しきれていない点で、序幕はことにその傾向が強く、芝居は2幕目で木場勝己が登場してからようやく面白くなり始めた。印象に残ったのは嫌みな役を渡鬼的にリアルな人物として描いた広岡由里子だろうか。映画でポール・ニューマンがやった無惨な美男子の役を北村有起哉に配したキャスティングには疑問を感じた。
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