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2010年06月11日

佐倉義民傳

渋谷コクーン歌舞伎も早や10回を過ぎ、11回目となる今年「佐倉義民傳」という演目が選ばれたことに、従来の歌舞伎ファンは意外の念を禁じ得なかっただろうと思う。江戸時代初期に、重税にあえぐ農民の代表として直訴に及んで死罪となった下総佐倉の木内宗五郎伝説は幕末に歌舞伎化されるも、歌舞伎としては異色の題材であり、近代以降は松竹系でも上演されてはいるものの、むしろ前進座のオハコともいえるレパートリーと見られ、私の中では前進座を旗揚げした中村翫右衛門の名演が強く印象に残っている。何しろ農民劇なので全体に地味で派手なシーンは少ないから、これを一体どうやって面白く見せるのだろう???と懸念された。ところが結果フタを開けたら、コクーン歌舞伎がいよいよ新たなステージに突入し、勘三郎が自由劇場出身の串田和美と手を組んだことの意味をようやく目に見える形でハッキリと示し得たという感じの好舞台だったのである。
 成功の一因は、歌舞伎原作の「東山桜荘子」から離れた大胆なテキストレジーにあったといえる。領主の堀田上野介に農民の窮状を訴えれば事態はよくなるとあくまで信じる性善説の宗吾に対して、権力者性悪説に立ち、農民を扇動してかかるニセ由井正雪の大道芸人を配することで、まさにブレヒト劇のように主人公が異化されていくテキストは、近年さまざまに上演された新作歌舞伎の中にあっても、ある意味で最も実験的な試みといえるのではないか。歌舞伎役者の演技システムは本来的にブレヒト劇とは縁遠いので、主人公を演じる勘三郎は相当に苦戦し、ニセ由井正雪の橋之助のほうが断然オイシイ役になってしまったという感じはするが、それによって芝居全体はみごとに現代性を獲得している。世間知らずの殿様が農民の救済をいったんは宗吾に約束しながら、側近に現実を突きつけられてコロリと変心するあたりは昨今の政治情勢に対する非常にわかりやすいアイロニーにもなっていて実にタイムリーだし、歌舞伎役者でこうしたブレヒト劇的な芝居が見られるのも新鮮だ。ブレヒト劇には観客を扇動するクルトワイル作曲の歌が付きものだけれど、この芝居ではそれをラップで処理している。2人のラッパーにリードされながら懸命にラップに取り組んだ歌舞伎役者たちの努力とその成果には惜しみない拍手を送りたい。ただし従来の歌舞伎で泣かせ所となっている宗吾の子別れの場はわりあい原作通りに残したものの、竹本の浄瑠璃が入らないから泣かせるのは難しく、やや冗漫に感じられ、ここもいっそ大胆なテキストレジーがあってしかるべきかと思わせた。もっともラストはほぼ全員参加の迫力あるラップで観客の胸を熱くし、子別れの泣かせがなくてもそれなりの満足感が得られるように仕上がっている。土を入れた箱形の可動装置や直訴のシーンを無言のスローモーション映像のように見せた点も評価でき、串田演出にしてはいつものキッチュさが影をひそめ意外にスッキリした印象を受けた。


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コメント (1)


由井正雪: 駿河国由比(宮ヶ崎?)の出身なので 由比正雪というの        かと思っておりました。

投稿者 阿野 仁益 : 2010年06月14日 01:03

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