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2010年05月22日

移住計画その1

写真はこの時期によく作るアスパラガスとホタテ貝の塩炒め。生姜とニンニクのみじん切りをたっぷり使って炒め、塩と酒、隠し味の砂糖で調味。
ところで先日のブログにも書いたが、この7月でとうとう三軒茶屋を離れることになる。東京に来て最初に住んだのは早稲田に通学するのが便利な目白周辺で、三茶に移住したのは松竹に勤めてからだ。当時、実家の「川上」が横浜のホテルに出店していたために、横浜にも行きやすい場所としてまず中目黒に目を
付けたのだが、三茶に決めた理由は物件が中目黒に比べて割安だった点と、三茶渋谷間の地下鉄が開通した直後で、今後発展するに違いないとみたからである。開通直後はまだ3駅しかない超ショートな路線で、銀座線との乗り入れもしていなかったけれど、それまで陸の孤島という感じだった三茶に比べれば、はるかにベンリになったのである。で、当時はなにせ目白から引っ越したために、えらく庶民的で且つ鄙びた
町という印象を受けたものの、その後田園都市線と半蔵門線が延びるに従ってどんどん賑わっていったのは周知の通りである。
三茶では最初に母親と折半で1DKの小さなマンションを買い、そこに長く暮らして、一時は渋谷の神南に事務所を構えたり、同じ三茶内で別に仕事場を持ったりしていたのだが、仕事場が別だと資料がどちらに置いてあるのかわからなくなるのが困るし、小説書きを本業にすると24時間体制の仕事にもなるので、居住一体の広いスペースを確保するべく、1DKのマンションを売って、そこから近い今の住居に移り住んだ
のである。前の住居からあまり離れなかったのは近くに図書館があるためで、今の図書館は他館と提携して相当の資料が借り出せるから、私の商売には欠かせない存在ともいえるのだった。
今の住居は賃貸で、商店街のはずれに建つ、地下から3階まである小さなビルのワンフロア2LDKを借りているかたちだ。地下はその昔かの「牛角」発祥の地であり、私が越してきた時は常に地下から長蛇の列ができていて、人を押し退けながらわが住まいたどり着いたのを想いだす。当時たった一軒だった焼き肉屋が、その後つぎつぎと店舗を増やし続けて全国展開を遂げる一大外食チェーンとなったのも周知の通りである。
 3階ワンフロアを占める今の住まいはひと目見て気に入って移り住み、大家さんがまたとても良い方なので気持ちよく住まわせてもらっており、こちらは一生住み続けてもいいくらいでいても賃貸だからそういうわけにはいかず、いつかはまた引っ越しをしなくてはならない状態だったので、次も賃貸にするか、あるいは
ふたたび物件をゲットするかどうかは大いに迷うところであった。無理をしたり、気に入らない物件をゲットするつもりはさらさらなくて、ただゲットするなら消費税が上がる前のほうがいいのは勿論だし、引っ越しをするための多大なエネルギーを考えると、年齢的な限界というものもあり、そう暢気には構えてもいられないのも確かだった。(つづく)
ちなみに明日は馬の話になります(笑)。


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コメント (1)


一度今朝子様のおわす三茶に行って見たいと思っておりましたのにお引越しとは残念至極!亀さん抱えて何処に住まわれるのかな?我が住まい致す鎌倉なんぞいかがでござる?お待ち申しておりまするわいなあ

投稿者 ねこ かおる : 2010年05月24日 17:48

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