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2010年03月21日

青山の銕仙会能楽堂で「川口秀子追善・継承の会」を見た帰りに近所の「日本海」で食事。
まずは皆様、昨夜は如何お過ごしでしたか? 台風でもこんな酷いのは滅多にないような凄まじい春の嵐で私はほとんど眠れずに朝を迎え、ニュースで電車の運休が相次ぐのを知りながら、それでも執念で乗馬クラブに行ったら、風は多少強かったものの上天気になっていつも通り2鞍騎乗。さすがにキャンセルされた会員が多かったようで、レッスンの部班人数も少なくて済み、ガバナーで馬場を何周もノンストップ駈歩走行ができたのはラッキーでした(^_^)/で、今日はレッスンを早めにしてそのあと青山に直行であります。
去年他界された川口秀子師は武智鉄二師の愛妻であったが、ご自身も地唄舞の名手であり、その素晴らしい舞台を私は何度も拝見し、これだけ優れた芸の持ち主が世間一般にはあまり知られないことは、ご本人のみならず、日本舞踊界全体にとっても惜しまれる事実だと常々思ってもいたのだった。今回その川口流の三代目家元を継承したのは孫の川口千枝で、今はもう一児の母なのに、まだよちよち歩きの時分から知る私は、つい、千枝ちゃんと呼んでしまうのだけれど、美少女の面影が今なお残る若々しい美人舞踊家だ。披露演目は地唄舞「古道成寺」で、相手役の僧侶は市川染五郎、地方は富山清琴という立派な舞台だった。染五郎とは國學院の同級生という縁での出演となったらしいが、共演者に恵まれての家元スタートで、今後とも精進を続けて祖母の名を辱めることのない舞踊家として大成してほしいものである。この会では千枝の母二代目家元の小枝だが武智演出の名舞台として知られる「東は東」を上演し、私はこれを話に聞くのみだったので、とても面白く拝見した。国際結婚のギャップをテーマにした岩田豊雄(獅子文六)の新作狂言で、今でこそ新作能や新作狂言が山ほどあるが、昭和三〇年代のいまだ固陋な因習に強く支配された古典芸能の世界で、そうしたいわば業界破りの試みを次々と成し遂げて、野村家や茂山家の今日をあらしめた武智鉄二という人物は、やはり空前絶後の人だったのだと改めて思わざるを得ない。


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コメント (1)


私信で恐縮ですが怖い先輩の川口牡丹よりコメントを仰せ付かりました。まず追善公演御覧頂き本当に有難う御座いましたとの事でございます。ゆっくりお話出来なくて申しわけなく改めましてゆっくりと御目に掛かりたいともうしておりました。
私と致しましては楽屋でしっかりとお姉様にこき使われて?おりましたのでせっかくのチャンスにも係わらず生の今朝子様に御挨拶出来ず残念至極で御座いました。
いつも世に忘れられた武智 川口両先生の事を書いていただき昔の弟子の端と致しましては嬉しい限りで御座います。有難う御座いました。

投稿者 ねこ かおる : 2010年03月23日 20:15

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