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2010年01月27日

鶏ささみのゆず胡椒和え、鯛の昆布締め、茄子と京芋の揚げ出し、揚げの納豆詰め、おにぎり、豆腐サラダ

シアターコクーンで寺山修司作・蜷川幸雄演出の「血は立ったまま眠っている」を見た帰りに三茶の「木村商店」で文春の内山さんと食事。
今日は初日でもないのに蜷川さんとロビーでお会いして、「久々にアングラをやっちゃいましたよ」と言われたのであるが、個人的にはアングラもついに古典になったか!という印象だ。60年安保闘争のまっただ中で書かれたこの戯曲には、小市民的社会をぶちこわす革命家になることを夢見ながら、自衛隊の壁に「自由」と落書きしたり、看板やラッパを盗んだりすることしかできないテロリストが登場するが、内山さんいわく「まるで別の国の話みたいですよね~日本を舞台にこんな話が想定できることすらフシギな感じがします」とのことだから、60年安保は今や完全に「歴史」の一コマなのであり、内山さんには「江戸時代よりもっと遠い気がする」らしいのであった。しかしながら舞台はまぎれもなく日本の「昭和」であり、蜷川演出はそこに公衆便所や競馬やボクシングやボンデージといった寺山アイテムを盛りだくさんにちりばめた「昭和」の風景を作り上げてみせる。この点は「身毒丸」と同様だ。「血は立ったまま」は寺山の処女戯曲だけに、本人は「文学」を目指し過ぎたことの弱点を自ら指摘し、いわゆるリアリズム演劇からはほど遠いけれど、意外にも彼の作品の中では非常にわかりやすい部類だろうと今回改めて思われた。蜷川演出がわかりやすくさせたのかもしれないし、また森田剛のナイーブな演技が主人公の存在に妙なリアリティーを与えたともいえそうだ。とにかく森田剛のやけにリアルな人間造形と彼に慕われるテロリスト灰男に扮した窪塚洋介のいわばアングラ様式とでも呼べそうな誇張的な演技が好一対をなして作品にある種の躍動感を与えている。森田剛の姉で且つ灰男の恋人を演じる寺島しのぶは本来達者な女優だけれど、今回はイマイチ役をよくつかみきれないままで舞台に臨んだような気がしないでもない。このところ蜷川演出は、相対的に男優陣が好調なわりに、女優陣は放っておかれているのではなかろうか?と思わせる舞台が少なくないのだった。


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