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2009年08月26日

茸の蕎麦パスタ

椎茸、シメジのほかにズッキーニと一昨日の残りのチョソーを具にして、土産物の「そばパスタ」なるものを使用。フィットチーネ状だが、スパゲティ状にしたら、なんだフツーの蕎麦じゃん、と言われてしまうからではないか?と思われるような食感であります(笑)。
今月中に入稿する予定の原稿はあと3本あって、まだ完成してはいないが、今日やっとなんとかなりそうな感じがつかめたところで、明日は朝10時から夕方5時半まで東京でNHKの撮影。明後日も朝10時から夕方6時まで撮影で、29日は京都に帰って父親の最後の調理で「川上」の料理を味わい、30日に東京で投票してからまた軽井沢に戻ってしっかり入稿するつもり。PCで書いた原稿はフラッシュメモリーで簡単に持ち運べて、どこでも書き直しができるからベンリです。
ところで今月入稿する予定の1本「銀座開化おもかげ草紙」シリーズでは日本最後の内戦となった西南戦争を背景にした関係で、明治初年の資料に数多く目を通すはめになり、近代国家としての日本が誕生してからたかだか百三、四十年しか経っていないという事実を改めて考えてしまうのだが、当時の資料を読めば読むほど、よくぞまあ当時の人たちは、こんな民度で近代国家を創りあげたものだと感心せざるを得なくなる。これは何も日本に限った話でもなく、たとえばロシアも近代化の過程がいかに複雑怪奇且つ多難だったかはドストエフスキーの「悪霊」なんかを読むとよくわかるのだけれど、ともあれ世界各地の民族がそれぞれ固有の諸問題を抱える中で近代に多くの「国家」として成立した事実を人類の歴史的必然と認識し、近代「国家」が果たした役割を俯瞰するところから、現代の、あるいは近未来の国家像をイメージするのが歴史的視座に立つことであるのはいうまでもない。
「近代」は簡単にいうと、産業革命による飛躍的な生産増大によって人類が爆発的に増えることを可能ならしめ、移動通信手段の急速な進歩によって第一次グローバル化が実現した時代である。産業の育成と共に生産能力を高めるためのコミュニケーション能力の開発すなわち教育が、「国家」の果たす最重要の役割であり、産業界をバックアップして「国益」を追求することが「国家」としての正義と認識された時代でもある。結果、爆発的に増えてしまった人類のもたらす諸問題を抱える「現代」は、「国家」に求められる役割が自ずと違ってくるのもまた歴史的必然であろうと思う。にもかかわらず近代化が実際のところ急速には達成されなかったように、現代も多くのクニが「近代」の殻を引きずるどころか、まだこれからやっと近代化に向かうクニもあって、そうしたバラツキが「国家」の役割を不鮮明にしている点はむろん否めない。
その点をひとまず置いて、私の個人的な見解を申し上げるなら、歴史的視座に立つとき、今後の「国家」の果たすべき重要な役割は、グローバル化した企業の利益追求に対する監視と、弱者の保護という2点に概ね絞られるのではないかと考えられるのである。これが私の基本的なスタンスであることを前提にして、衆議院選挙の話をしたかったのですが、明日は早朝に発つのと撮影の準備があるので、今宵はここまでと致します。このつづきは近日中にm(_ _)m


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コメント (1)


国家の役割について、松井さんが書かれておられる「グローバル化した企業の利益追求に対する監視と弱者の保護」これを基本的なスタンスにできる政党が今の日本にあるでしょうか?多分今回の選挙は民主が自席数を増やすでしょうが、民主党員全員にその高邁な思想を持って政局を運営しなければいけない!と是非思って頂きたいものですが。自民党には今は何も期待してませんが、踊らされやすい国民の方も問題があるので今更自民党に責任云々は言っても仕方ないと思っています。

投稿者 お : 2009年08月27日 21:59

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