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2009年07月27日
肉かぼちゃ
軽井沢でもできるお手軽なQPメニューである。肉じゃがのかぼちゃバージョンで、最初に白滝をから煎りしてしっかり水を切るのがポイント。食べやすい大きさに切った牛肉、玉ねぎ、かぼちゃの順に炒めてから出汁を加えて砂糖、醤油で味付け。
今日からいよいよ本格始動で、久々に長めの休暇を取った直後のせいか集中力がアップして、朝の六時からずっと仕事をし続けて気がつけば夜の十時を過ぎていた。むろんこの間に食事や料理やスーパーの買い物はしてるけど、確実に12時間以上は机に向かってゲラ校正に熱中していた。で、この校正という作業は、著者が行うものと、出版社側が行うものとがあって、両者で数人がかりで行っても残念ながら完璧にミスは防げないのだけれど、著者としては自身最後の本作りに対する意欲の見せどころだし、出版社としても出版物に対する見識が問われるところで本来は互いに真剣勝負といってもいいのである。それゆえ大手の出版社には校閲部があって、それにかかりきりの人材を擁しており、大手や老舗の出版社から本を刊行する最大のメリットはしっかりした校閲が行われるという保証にあるといってもいい。ところが昨今この校閲がだんだん怪しくなってきているのは、TV各局のアナウンサーが読み間違いやアクセントの間違いを平気でするようになった現象と軌を一にしているような気がする。NHKとてゆめゆめ油断がならないように、大手老舗出版社といえど、本当に信頼できる校閲者がどの程度いるのかは頗る疑問で、却ってフリーランスの校閲者のほうに信が置けたりすることもあるのだった。私はとにかく編集長なんかより校閲者に会わせてくれと言いたいこともしばしばあるくらいで、実に優秀勤勉な校閲者と、そうでない人との差があまりにも大きいので、奥付に出版社の社長の名前よりも校閲者の名を明記したほうがいいように思っているし、編集者の倍額給料を払ってもいい人材を確保すべきだと思っていもいるし、誰でもが簡単に印刷物を作れるようになった今日、校閲こそは出版社の生命線だという自覚が各社にもっと欲しいのだけれど、今やどうもただの地道な作業としか見られておらず、校閲者のプライドとかは無くなったんじゃないかと非常に懸念されるのだった。昔の校閲者は凄いなあ〜と感心させられる人に出会えたけれど、今日は別の意味で凄い!と思ったのは某出版社の校閲の指摘で、江戸時代の五月を私が夏としたことにチェックが入っていて、ええっ、違うの?どうして?と思いながら、その人の書き込みを読んでいるうちに、5月(陰暦7月)と書かれているのを見て、本来は陰暦5月(7月)でなくてはならないから、、まさかそんなバカなことが……とは思いつつも、どうやら陰暦と陽暦の計算の仕方をを逆に憶えてしまわれたのではないか、という気がしたのだった。でも、まさかそんなことがと何度も書き込みを読み直したり、調べ直したりしてる時間がかかって、こっちはとんだ労力を費やされてしまったのであります。
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