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2007年05月12日

海老と長芋とレンコンの塩炒め、海老の春巻き、つけ麺ほか

 世田谷パブリックシアターでヨン・フォッセ作『死のバリエーション』を見た帰りに守部さんと近所のチャイナで食事。
 アントワーヌ・コーベという演出家は前に永井愛・作の『見よ、飛行機の高く飛べるを』で不思議な魅力を感じており、今回はノルウェー作家の戯曲を手がけるというので興味が湧いた。ベルイマン監督の映画などを見ても、北欧人の死生観は一種独特のものが感じられるので、タイトルにもそれなりに心惹かれて見たのである。
 ストーリー的な枠組みは単純にいうと、別れた夫婦の独り娘が自殺して、夫婦がそのことを受け入れられずに過去を回想するかたちをとり、一方で娘が死に取りつかれていくさまを舞台に死神のような男を登場させることで表している。まさに死の不条理さを訴える劇ではあるが、冒頭からラストまであまりにも一直線に突き進み、いわゆるドラマチックな要素は乏しい。戯曲としてはやや単調に過ぎ、シューベルトの『魔王』にも似て死をテーマとしたポエムの舞台化といった感じである。
 コーベの演出は照明と装置が素晴らしく、舞台中央に設けたアーチ型の壁を使って生と死、現在と過去、希望と絶望といったものをわかりやすく且つ非常に美しく表象するが、敢えて役者に棒読みのせりふをいわせるやり方には大いに疑問を感じた。これは『見よ、飛行機の』でもやった彼のオハコともいえる演出法なのだろうけれど、今回のようにあきらかな不条理劇でこれをやられると、単調さが際立つばかりで正直いって退屈した。この手の戯曲はむしろ役者が徹底したリアルな演技で押したほうが、むしろ斬新な不条理劇に見えてくるような気がする。もっとも原語による芝居の雰囲気がまったく読めないので、自信を持って言うつもりはないのだけれど。


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