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2007年05月01日

空豆とペンネのカルボナーラ

 QPで見た料理。カルボナーラに空豆を入れただけだからレシピは省略する。とにかくカルボナーラは余熱で仕上げるのがポイント。火を入れすぎるともろもろになるので要注意。
 小泉政権下の「教育特区」構想がいまだに生きていて、わが世田谷区では「国語」のほかに「日本語」という教科が増えたらしい。今日のTVニュースでちらっと見ただけなので多くを語るつもりも、資格もないが、小・中学校の教科書にしてはえらく難しそうな文章が載っていて、あれをちゃんと教えられる先生が今いらっしゃるのかどうか疑問に感じたほどだ。漢文を多くして、内容が完全にわからなくてもいいから、読み下し文の韻律に親しむようにさせたいという意図があるようで、これはまさに「素読」の復古教育だから、なんて大時代なのかとビックリ!したのである。
 私自身は漢文の読み下しが決して嫌いなほうではなくて、まず時代小説を書くときに昔しっかりアタマに入れた『論語』や『荘子』がけっこう役に立つし、『楚辞』の「衆人皆酔いたり我一人醒めたり」なんて普段でも呟いたりするのだけれど(笑)、世田谷区の教育長が仰言った「日本語でちゃんとコミュニケーションが取れて、キレたりしないような子どもに育てたい」というような理念と漢文とはあまり結びつかない気がする。とにかく教科書を丸ごと読んだわけでもないからこれ以上はなんともいえないが、英語教育におけるシェイクスピアの戯曲やソネットに相当するものを日本の古典文学に求めるのが極めて難しいことだけは確かだろうと思う。


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コメント (3)


我が家の愚息(1975年生)は中学卒業と同時にアメリカの公立高校へ進学しました。その時に色々とアメリカの教育事情を実感して、アメリカの確かに悪い面も有りますが、子供たちの個性、才能を伸ばすかは日本より優れてる様な気がしました。
日〜木曜に夜に遊んでる子は居ません。大学生ならなおの事です。「宿題で押しつぶされそう」と電話で愚痴ってました。
高校の何年生だった時か「緋文字」の読後感想を教室でディスカッションの授業が有ったそうです。宗教も絡み古い文章なのでビデオで見て理解しようとしたところ、最近の映画ではなく古い時代のビデオでさっぱり分からなかったと嘆いておりました。
本を読み、理解し、他人の感性を聞き、それが国語の力になるように思います。が、今の日本ではそのゆとりが無いのでは・・

投稿者 ともちん : 2007年05月02日 00:27

そら豆のカルボナーラ、すっごく美味しそうですね!
さっそく真似します〜
そういえば、以前友人が縁日で釣った緑ガメに枝豆を与えたら巨大化したと言い張ってたんですが…亀って豆なんて食べるんでしょうか?

それから、吉原手引草もようやく読みました。
面白かったです!モノローグで語られるものってあまり得意ではなかったのですが、最後の最後まで判った?いや違った?よし判った!あれ違った!を繰り返しながら一気に読みました。

投稿者 猫並 : 2007年05月02日 01:29

「昔はよかった」という言葉は、日本人が逃れられない価値観のひとつだなあと思います。確かにある意味ではそうだし、そうであろうと思いますが、誰もが「教養人」(大正〜明治期の、って感じですかね?)になる必要はないし、なれるわけでもないのであって、そんなツールだけ部分的に引っ張って来られても! 君たち(政治家や官僚)はブルデュー読んでないのか、んなわけないでしょって感じです(笑)。そりゃ教養がないよりあったほうがいいし、馬鹿より馬鹿じゃないほうがいい。でも今となっては、社会全体として考えるのであれば、無いものを必死に得ようとするよりも、いま有るもの(物理的・知的リソース)をいかに使ってよい将来につなげるか、という方向にエネルギーを傾けた方が賢明じゃないかと思います。本当は並行してその努力をするのがベストなのでしょうが。この手のことを考えると、いつも小宮豊隆を思い出します。気持ちはわかるなーって感じで・・・

投稿者 ふみ : 2007年05月02日 21:42

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