トップページ > コリオレイナス
2007年01月24日
コリオレイナス
昨日さいたま芸術劇場で見た芝居だが、劇場を出られたのが10:40分で、三軒茶屋にたどり着いたのは12時をまわっており、それから軽い食事して帰ってきたら、もうとてもブログを更新する気力はなかった。しかしなかなか面白い舞台だったので見に行った甲斐はありました。
日本では滅多に上演されないこのシェイクスピア最後の悲劇は彼の作品には珍しくシンプルな構造で、コリオレイナスの称号を得たローマの武人ケイヤス・マーシァス(唐沢寿明)のまさしく「性格悲劇」をストレートに描いている。人並み外れた勇気を持ち、戦術、武術いずれも凡人をはるかに上まわる能力の持ち主である彼は凡庸な民衆を徹底的に軽蔑し憎悪する傲慢な性格であり、それをまた全く隠すことができないという点で極めて純粋且つ真っ正直な男でもある。当時のローマは共和政をとるために、数々の武功によって執政官の地位に推挙されながら民衆の支持を得られず、むしろ民衆に国を逐われるはめになった彼は、互いに宿敵と認め合う敵国の将(勝村政信)を頼って敵軍の将となり故国ローマを攻め滅ぼそうとさえする。彼の唯一の弱点は彼を剛毅不遜な性格に育て上げた母親(白石加代子)の存在で、ローマを滅ぼす寸前までいきながら、母親の哀願に屈したために、ついに他国で謀殺するはめになるが、こうした展開はまるで近松半二の浄瑠璃を彷彿とさせ、これまたシェイクスピアにして珍しい東洋的な味わいをもつ作品ともいえる。
英国上演を予定しているせいもあってか蜷川演出もまた東洋趣味が横溢し、衣裳や装置、音響はチベット?清朝?日本式を綯い交ぜにしたものながら全体にうまく調和が取れていた。宝塚の大階段のような装置で日本刀を使った殺陣がふんだんに盛り込まれ、且つシェイクスピアの膨大なセリフをスピーディに喋りまくる役者たちの苦労は相当に過酷だと思われ、初日に早くも喉をやっていた男優が何人もいたのが少し心配されたが、男優陣は主演の唐沢、勝村、吉田鋼太郎、瑳川哲朗いずれもよくやっていて、ことに勝村は成長著しいと感じられた。
ストーリーは単純だが、面白いのは民衆の描かれ方で、移り気で扇動されやすく無責任な彼らの姿は今も昔もそうは変わらぬと見え、それを主人公があからさまに罵るから、私の前に座っていたご婦人は幕間で席を立つときに「私この芝居むかつくわ、だって民衆だもん」と仰言ってたのがおかしかった。しかしそんな彼も母子の情に負けて死んでいく哀れな姿が共感を呼んだにちがいない、カーテンコールではそのご婦人が熱狂的なスタンディング・オベイションをなさってられたのが印象に残る。
主人公が壮絶な死を遂げるラストシーンは私自身もちょっとウルウルするくらい感動的だったのだが、同行した文春の内山さんはイマイチ唐沢の役作りにご不満だったようで、「『天保12年のシェイクスピア』でやったリチャード3世だとぴったり来たんですけどね」と仰言った。今回の役はストレート過ぎて、もう少しひねりがあった役のほうが彼には向くのではないかとのこと。そういわれて私はこの役って何かに似てるよなあ……と考えて、ハッと思い当たったのが前に唐沢がTVで人気を博した『白い巨塔』の財前五郎である。そうだ、この唐沢の役作りは財前五郎なんだ、と妙に腑に落ちて劇場をあとにしたのであります(笑)。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/301
