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2006年12月26日
蒸し野菜のゴマだれかけ
昨夜しゃぶしゃぶに使った自家製のゴマだれにニンニクのすり下ろしを加えて、蒸したキャベツ、カリフラワー、アスパラガス、ゆで卵、蒟蒻にかけて食す。和製(?)バーニャカウダといった感じである。
年末にこんなのアリ得ナーイ!と叫びたくなる土砂降りが終日続いて「デイ・アフター・トウモロー」的未来がいよいよ近づいてきた感じのする今日は、このあいだポプラ社の矢内さんに薦められた萩尾望都著『バルバラ異界』全4巻をいっきに読んでしまった。矢内さんをして「望都サマの集大成」と言わしめたこの作品は、手塚治虫の『火の鳥』と同様「生命は一体どこから来てどこに行くのか」という壮大な通底音を響かせながら、「親殺し」や「アンチ・エイジング」といった生々しい現代的モチーフを全編にわたってちりばめた近未来SF漫画で、人類の未来は果たして現在の延長線上にあり得るのかという深刻なテーマに向き合わされるが、ことに「老い」を恐れ「若さ」に執着する女心をフィーチャーしたあたりはさすがに女性漫画家ならではというべきだろうか。
で、矢内さんいわく「今の若い人ってみんな年取ることを本当にスゴク怖がってるんですよね」とのことだけれど、私より若い方々には人間そう悲観したもんでもないと申しあげたい。実例としてあげるには下らない話だが、年末の大掃除に取りかかって、天井に密着した蛍光灯カバーの取り外しで私はえらく自信を持ったのである。このマンションは天井が高いから椅子にのぼっても何とか手が届く状態。蛍光灯の取り替えだけでも大変で、ここ2、3年カバーの掃除はしないで放ってあったのだ。それがビックリするほど簡単に外せるようになったのは、たぶん乗馬でバランス感覚と筋力が身についたせいだろう。てなわけで、年を取れば何も衰えたり、出来なくなったりすることが増える一方でもなくて、人間50を過ぎてもまだまだ「進化」することだってあり得るということを、身をもってお伝えしたくなったのであります(笑)。
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コメント (1)
いつも楽しく拝見させていただいています。
数日前、クリーニング屋から戻ってきたカーテンをつるした際に、自分の背丈ぎりぎりの高さだったこともあって、「5年後にもちゃんとこれが出来るかなあ」と不安でしたが、強いお言葉に安心いたしました(笑)。
投稿者 まきちゃん : 2006年12月27日 10:00
