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2006年12月14日

ピリカラ中華風鍋焼きうどん

 きのうフジテレビで見たのを想いだしながら作ってみた。土鍋でまず豆板醤を炒って鶏ガラスープを入れ、太めの拍子木切りにした人参と大根、白菜、緑豆春雨を加えてしっかり煮込んだ上でニラとうどんを足して酒塩醤油で調味、最後に溶き卵をまわし入れて仕上げる。
 松竹永山会長の訃報で歌舞伎界もひとつの時代が終わったことを改めて感じた。近年はともかく、数年前までは良い意味でも悪い意味でも相当な影響力を持っていた人物である。
 最後にお会いしたのはたしか5年ほど前で、歌舞伎の脚本を書くよう強く求められ、歌舞伎のホンは好きな役者にしか書けないものだけど、あなたの好きな役者は誰ですかと訊かれて、即座に「歌右衛門です」と答えたら、「ああ、それじゃもうダメだ」といっておかしそうに笑われたのが印象に残っている。そこから数々の舞台の想い出話になり、お互いそのときは妙に話が合って、もうこうした話ができる人は周りに少ないからまた来て是非一緒に話をしてくれと頼まれたが、結局それっきりになった。私としてはもう歌舞伎の仕事をする気がなかったので、お会いする必要もないと判断したのであるが、晩年は淋しい思いをなさってたのかもしれないと思う。
 私が松竹に入社したころはまだ専務だったが演劇部ではトップであり、私の所属する企画芸文室は一種の諮問機関的役割を果たして、やたらと色んな調べ物を頼まれたものである。たとえば新築劇場の初興行を「こけら落とし」というようになったのはいつ頃かとか、「一世一代」と銘打つ興行はどんな場合に許されるのかとか、そういった類を私が諸文献を調べて歴史的あとづけをしてたくらいだから、まあ、古いといっても、そうたいした会社ではないのである(笑)。で、私があっさり会社を辞めたあとも、いろいろな機会をとらえて呼び戻そうとなさって、こちらがそれを断ったために、あまりよくは思われていなかった時期もあるが、最後にお会いしたときは頗る上機嫌で、親しくお話しできたのは良き想い出だ。
 とにかく私が松竹にいたころから演劇部の社員はみな異常なくらいに恐れていたから、いつしか読売グループのナベツネ状態で歌舞伎を牛耳る存在となり、それ故いろいろな問題があったのも事実だが、歌舞伎の興行を格調高いものにして、歌舞伎役者の社会的地位を向上させた功績は大であろう。
 それにしても念願だった歌舞伎座建て替えを見ずに他界されたのは口惜しかったにちがいない。で、新築の歌舞伎座で誰が興行側の顔になるのかと考えると、なんとも頼りない気がしないでもない。その昔、帝国劇場のこけら落としの際は東宝に菊田一夫という立派な顔があったのに、と思ってしまう。が、まあ、そうはいっても、今後は興行界に限らず、どの分野にもそうした剛腕且つ強面的存在はあらわれないような気もする。政治家を見てればわかるが、なんたって今の内閣にしてからが所詮はヘナチョコの仲良しクラブでしかないのであります。
 


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