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2006年11月30日
ワカサギのマリネ、大根の煮物、野菜サラダ
美容院の帰りに近所の総菜屋でゲット。ヴィスコンティ監督作クラウディア・カルディナーレ主演『熊座の淡き星影』を見ながら食事。ギリシャ悲劇の「エレクトラ」に拠った作品だが、それにしてもヴィスコンティ作品を連日見ていると彼が起用する男優は決まって甘い二枚目で、女優はコワモテ系であるのがよくわかる。
木下順二先生の訃報をけさのNHKでようやく知ったが、すでに先月の30日にお亡くなりになっていたらしい。ご遺言で葬儀は出されなかったようだ。
木下先生は私が心から先生とお慕いした数少ない方々のおひとりで、初めてお目にかかったのは、もう20年以上前になる。たしかこちらはまだ28歳で、いきなり独りでご自宅に押しかけて一対一でお話をさせて戴いた。純洋風の応接間に馬の写真や絵が沢山飾られていたのが印象的だ。
仕事がらそれまでにも多くの著名な方々に接してはいたが、小学生の頃からお名前を存じ上げている方とお話しするのはさすがに心躍るものがあった。で、実際にお会いしてみたら全く期待を裏切られない素晴らしい方(と申すのも畏れ多いが)だった。
お会いしたのは武智鐵二師に命じられて、木下先生に近松門左衛門原作『けいせい仏の原』の脚色をお願いするためだったが、僕はそういう仕事はできませんとあっさり断られ、以後数年してから私が下書きしたものに先生が現代文で加筆をされ、それをまた私が古文に書き直すという共同作業で近松座の上演台本を完成させた。私はもちろんゴーストライターのつもりだったが、先生は私の名前も出すべきだと強硬に主張され、台本やポスターやチラシに先生と並んで私の名が書かれたのは身に余る光栄だった。岩波の『文学』にも私との共同作業であることを明記され、NHKで放映されたときも放映料を完全に折半するよう局にかけ合われた。日本を代表する劇作家にそこまでの知遇を得たことは私にとって生涯の誇りである。
当時の日本はまだインテリと呼ばれる人びとが沢山いたが、実のところは知識を外面に貼りつけただけのエクステリ(と私は呼んでる)だから精神構造はあまりにも幼稚でがっかりさせられる男性が多かったなかで、木下先生は知識が人格に浸み通って内面化された真の意味でのインテリであることがそばにいて如実に感じられ、ああ、昔のインテリ青年とはこういう人のことを指すのだと納得させられた。武智師もある面ではそうだったが、明治から大正初年生まれまでのインテリは戦前の豊かな日本を体現するような気品と大らかさがあり、正直いって昭和ヒトケタ以降になると私の知るかぎりそういう人は皆無に近くなる。現代ニッポンは戦前よりはるかに豊かなはずなのに、品がよくて大らかな感じのする知識人がほとんど見あたらないのは何故なんだろう。「美しい国」というコトバがまるでギャクにしか聞こえないくらい、醜くて卑しい人びとばかりがはびこって見えるのはどうしてなのか。
木下先生の『夕鶴』を小学校5年の学芸会で上演したのは私の原体験のひとつであるが、思えばこの戯曲は民話に基づいて子どもにでもわかるレベルで、商品経済によって人間の心がどう変わるかという深刻なテーマを扱う作品であった。「おかね」のことを語りだす与ひょうのコトバは「自然」に住むつうにはもはや届かなくなる。「おかね」は人の魂を変えるものだという刷り込みはいまだに私の中に生きていて、人間社会を成り立たせるために必要な道具としてはもちろん認めるが、村上某に「お金儲けすることが悪いんですか!」と開き直られて、それに誰も反論できなくなった現代ニッポン人のありようについては気持ち悪さを感じてしまう。スポーツ選手にしろ何にしろ、必ずといっていいほど年俸何億だの、このドレス1着何百万だのといったTVの紹介を子どもが見ているかと思えば何だかぞっとするのである。「おかね」の価値観のみが刷り込まれた子どもたちは大人になったら果たしてどうなるのだろうか。「おかね」は人の魂を変えると刷り込まれたはずの多くの大人たちが意外に「おかね」に目がくらんだのだから、逆さまに今の子どもたちは「おかね」に飽き飽きして別の価値観を求めるようになるのかもしれない、と、私はときどき妙に楽観的に考えたりもするのである。
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コメント (4)
お金の話で。最近、mixi で知り合ったアメリカに住む方の日記から「アル・ゴアが制作した環境問題DVDを見て、ゴアがブッシュに大統領選で負けたのには、大企業からの圧力があった」と思われたそうです。ゴアは選挙前から環境問題に取り組んでいたからです。ふとケネディーの暗殺を思い出しました。暗殺には企業がかかわっていたという話です。ケネディーが大統領になっていたらアメリカはベトナム戦争をやらなかった。それは、戦争で儲けようとする企業には邪魔だった。ジョンソン大統領の電話記録が公開されて、ベトナム戦争を始める前に彼がアメリカはこの戦争に勝てないと言っていたと聞きました。でも、ジョンソンは大企業には逆らわなかった。 ブッシュが大統領になり、アメリカはまたイラク戦争を始め、ハリバートン社のスキャンダルを聞きました。そして、ベトナムよりイラクは泥沼化。日本も いまだに戦争で金儲けなんか考えてるアメリカなんかとのお付き合いなんて、いい加減にしといた方がいいと思いました。
投稿者 バルサミコ : 2006年12月01日 00:58
先日たまたま他人様の家で『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱けだせない本当の理由』というマンガ本を目にして、これが大変に面白く読めました。国家の発足以来今日まで「国是」として戦争を遂行しなくてはならないアメリカの歴史が皮肉を交えてわかりやすく描いてあります。私は朝鮮戦争の戦争特需で日本が経済復興を成し遂げた時代に生まれたので、「戦争は金儲けになる」と既に日本の大人たちが本気で考えていたのを幼いころから知ってました。だから一方で若者はベトナム戦争反対を唱えて、戦争による金儲けで潤う国家の体制に反抗したのです。湾岸戦争イラク戦争は遠方だからなのか、あるいはもうどっぷり「おかね」漬けになって頭脳が麻痺してるのか、今の若い人の多くが無関心であるような気がしてなりません。ニュースでもほとんど取りあげなくなっているのでBSでこまめに米国のABCを見ていますが、いつの間にか物凄い死者の数になっていて、ブッシュ及びその取り巻きは戦争犯罪人として何度極刑に処せられても取り返しがつかないことをしでかしたのだということがよくわかります。ブッシュ政権を支持した国家元首は今やほとんど失脚するなかで、不気味なプーチンと自民党だけが生き延びている事実を多くの日本人はどう思ってるのか、私には全くの謎です。
投稿者 今朝子 : 2006年12月01日 07:05
華氏911の映画監督マイケル・ムーア氏はロイター通信社のインタビューで「イラク戦争に関しては、ブッシュ大統領より、ブレア首相の方が責任が重い。それは、ブレア首相は馬鹿ではないし、知識もあるからだ」と述べたそうです。ということは、小泉元首相も自民党もブッシュのように馬鹿ということでしょうか? なんか反論できず納得できてしまうのが日本国民として悲しいです。ちょうど戦争が始まって一年近く経った時に、イラクへ行ってきたカメラマンとベトナム戦争で撮影したカメラマンと一緒に飲みながら戦争撮影体験などという貴重なお話をうかがったことがあります。ベトナム戦争が写真撮り放題だった状況に対し、イラク戦争では初めからカメラマンに写真を撮らせないようにするアメリカ軍の策は厳しいものだったそうです。アメリカは過去のベトナム戦争において、力ある報道写真で国民の反戦運動が高まったので、そこはかなり警戒したんでしょうね。そうなると、反戦運動も宣伝力が影響することになるのでしょうか? ただ、私たちの子どもの頃は『花はどこへ行った』『風に吹かれて』などの歌から強いメッセージを受け、フォークソングというものは社会的メッセージがあるものだと思えたのが、吉田拓郎が「僕の髪が〜」って歌ってからフォークソングはただのラブソングになってしまったのが印象的です。
投稿者 バルサミコ : 2006年12月01日 17:31
>ベトナム戦争が写真撮り放題だった状況に対し、イラク戦争では初めからカメラマンに写真を撮らせないようにするアメリカ軍の策は厳しいものだったそうです。
やっぱりそうですか。それにしても日本の自衛隊の活動がほとんどTVに流されなかったのはフシギでした。CNNやABCではそれでも戦場の兵士のうんざりした発言を放送してましたもんね。
>ただ、私たちの子どもの頃は『花はどこへ行った』『風に吹かれて』などの歌から強いメッセージを受け、フォークソングというものは社会的メッセージがあるものだと思えたのが、吉田拓郎が「僕の髪が〜」って歌ってからフォークソングはただのラブソングになってしまったのが印象的です。
たしかに学校の授業でもWe shall overcome とか歌ってました。うちの学校はミッションだったからなのか、サヨクの強い京都にあったからなのか、先生にも反戦思想をしっかり植えつけられた気がします。今の学校では一体どう教えてるのかなあ。自分たちのイジメで手が一杯で、他国のことにまで思いを馳せる余裕ってないんでしょうか。でもきっと皆が内向きだからイジメが起きるような気がしないでもありません。
投稿者 今朝子 : 2006年12月01日 23:03
