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2006年11月24日
上方寿司、もっちり豆腐
整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
自宅に籠もって仕事をしているから、電車に乗るとつい中吊り広告をしげしげ見たりする。今日はたまたま目の前の人が読んでるタブロイド新聞の裏面に目が行って、「松坂は英語を話せるのか」という見出しが気になってしまった。松坂の英語力を心配するのは余計なお世話で(笑)、私が気になったのは見出しの日本語だ。旧来の日本語なら「松坂は英語『が』話せるのか」とあるはずなのに、「英語『を』話せるのか」としたのは如何にもイマ風である。近ごろの若い人は日本語における「が」という助詞は主格、目的格は「を」というように考える傾向にあるが、これは明らかに翻訳文体の影響によるもので、そもそも日本語は主語述語目的語といった西洋的文法に当てはまらず、「が」という助詞を主格と限定することに無理があるのだった。私は別に日本語が変わっていくこと自体を憂うものではないのだけれど、時代小説を書く際には当然ながら助詞の使い方が旧来風なので、時に若い校閲者が本来の助詞の使い方に無知で愕然とすることがある。
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コメント (2)
大昔、職場のガイジンが日本語を習っていて「私はスミスです」と「私がスミスです」はどう違うのか質問され、難儀したことを思い出しました(笑)これ、英語で説明するの難しいです。
ところで、古い話で恐縮ですが、あれ以来歌舞伎役者の言葉遣いを気にしつつトーク番組などを眺めています。いつかの海老蔵は別格でしたが、それ以外で違和感を感じるポイントはどうやら共通のひとことにあるような気がしてきました。
若い役者が、自分のプライベートのことなどを話す際は普通の芸能人と同じ感じで、話題が親のことでも特に違った感じは受けません。ところが話が歌舞伎のことになったとたんに…よく「○○のお役をやらさせていただいて…」というようですが、私はこれがひっかかってた模様。「させていただく」だけなら一般にもよくある誤用なのでさほど違和感は感じないと思うんですが「やら」がついていいづらくなったものを、まさに舌を噛みそうにいうので気になっちゃうのかも。
やっぱり、松竹の会長・贔屓を初めとしたお客様・芸の師匠と、三方の力関係が不明なまま全部尊敬するからでしょうか?
投稿者 猫並 : 2006年11月25日 08:07
>「○○のお役をやらさせていただいて…」というようですが、私はこれがひっかかってた模様。
もう少し前は「お役をつとめさせていただく」といっていたような気がします。「やらさせて」は本当に気持ちの悪い言い方ですね。
で、先日例の「関係者」に話したところ、やはり他からも苦情が寄せられているらしく、往年のファンから先代三之助はもっと普通の言い方をしていたはずだという意見もあったようです。とにかく何かの機会に親に注意してほしいといっておきましたが、どうも親のいうことを素直に聞くような子どもたちでもなさそうなのが(笑)、今の古典芸能業界の困った点です。
ところで個人的にハッとしたのは、私もどうやら時代小説を書く際には、会話の部分で話者とその相手と語られる第三者の身分に応じて尊敬語や謙譲語を使い分けているということでした。江戸時代は極めて明瞭な身分社会だったので、対話する相手の身分が低いと、身内に対しても尊敬語を使ってOKなのです。今日のように外部の人と身内とに分けるような使い分けはしないのです。ひょっとすると歌舞伎役者たちはこうしたことに影響しているのかもしれません。となると、彼らはインタビュアーを明らかに身分が下と見ていることになるのですが(笑)
投稿者 今朝子 : 2006年11月26日 01:34
