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2006年11月09日
里芋の煮転がしほか
シアターコクーンで清水邦夫作・蜷川幸雄演出『タンゴ・冬の終わりに』を文春の内山さんと見た帰りに近所で食事。
この3日間立て続けの観劇はまことに皮肉だとしかいいようがないことは、私が見たこの3本を見た方ならわかるだろうと思うが、まあ、そんな方はめったにいないだろうから、ともかく今日の上演作について述べておく。
22年前の初演時とはまるで別の芝居を見ているような印象を受けたのはひとえに主演俳優の違いによるところが大きい。そもそも作者の清水邦夫が平幹二朗という役者にインスパイアされて書いた(清水夫人の松本典子談)役を堤真一が演じること自体に無理があり過ぎるのである。見ている間中私も内山さんも今なら一体誰がやればいいのだろう?ということばかり考えていて、結局この役は平さん以外にはあり得ないという結論に達した。過剰なまでの自意識を持ち、古今東西の名ゼリフが自在に抽斗から出てくるかつてのスター俳優で自意識がこわされて狂気に逃げ込むという人物像から堤真一ほど遠い役者もまたいないのではないかと思うほどの大ミスキャストである。
次に初演との大きな違いをいえば、当時はまだ「革命の挫折」というメタファーがこの戯曲の底流をなすことが観客にも俳優にも明瞭だったけれど、20年後の今日は「時代」が確実に変わったことが客席にいても舞台を見ても痛感されて、これじゃまさに2日前に見た『鵺』のまんまじゃんという感じなのである。
開演前のロビーで蜷川さんにお会いして「『鵺』ご覧になりました?面白かったですよ」と私は言ってしまい、ご本人も噂は耳にしてられるようで、にこにことして「じゃ、見てみようかな」というご返事だったが、
舞台を見てからではとてもオススメはできなかった。今回の上演を見る限りにおいては『鵺』が痛烈な皮肉として勝利しているとしかいいようがない。
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