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2006年11月01日

担々麺、飛龍頭

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。テイクアウトの担々麺が珍しかったので試してみたが、やっぱり麺がのびててイマイチ。
 これからスカパーのカブキchで歌右衛門の「十種香」を見るので今日はもうこれ以上書けません。お許しください(笑)。




2006年11月03日

金目鯛のなめこ煮

 QPで見た料理。要は金目鯛の煮付けの汁に長ネギのぶつ切りとなめこと長芋の賽の目切りを煮てあんかけ状にする。金目鯛は先に引き揚げておくこと。ふつうの煮付けよりも薄味にするのがポイント。
 バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!といくら叫んでも叫び足りない。ドン、ヒュルヒュルヒュルポンバチバチバチバチ、玉屋〜鍵屋〜てな域を超えてる!約1年新聞連載を続けてきた『そろそろ旅に』の最終入稿分を今日書き上げてワープロ文字を(了)と打った瞬間の解放感と歓びはたとえようもなかった。これからまだ推敲しなくちゃならないけど、取り敢えず重い肩の荷が降ろせた感じだ。この仕事のおかげで私は顔面神経痛にはなるし、大地震でも起きて中断しないかしらと思ったくらいだったから、〆切を1日も遅れることなしに無事なんとか乗り切ったのは我ながら「信じられなーい」のであります(笑)。


コメント(2)

お疲れ様でした。単行本になって読めるのを楽しみにしています。

投稿者 あきこ : 2006年11月04日 22:56

ありがとうございます。『そろそろ旅に』は各地の地方紙で掲載時期を少しずつずらして連載しており、全紙が終了するまで単行本にはできないので出版がかなり先になります。その間に『吉原手引草』『銀座開化事件帳2』『並木拍子郎種取帳3』の3冊が出る予定ですので、こちらもご高覧賜れば幸いです。

投稿者 今朝子 : 2006年11月05日 09:42



2006年11月03日

味噌おでん

 前にQPで見たのを想いだしながら作る。大根と里芋はしっかり下茹で、蒟蒻も湯通し、豆腐は水切りを忘れずに。そのあと昆布出汁でことこと煮る。鶏そぼろは弱火でじっくり炒めて細かくするのがポイント。八丁味噌に砂糖を混ぜ込んでから水で溶いたものを鶏そぼろに加え、お酒も加えてじっくりと煮詰める。この味噌はオススメ。TVでは柚味噌も作ったが今回はカット。
 日米野球を見ながら食事。メジャーのベンチに座っていても相変わらずの俺サマぶりを発揮してる城島に感心してしまいました(笑)。それにしてもとうとう松坂もメジャーに行くし、日本球界のマイナーリーグ化は避けられそうもないが、この件について「力の差はもうそんなに無いのに何故行くんだ!」と怒ってる人が一杯いるようで、これに対してもまた「だってギャラがヒトケタ違うじゃん」と答える人もいるようだが、ただ単にマネーの問題ばかりとはいえないような気もする。私が今の選手なら「何故行くんだ!」なんて言われること自体がウザイと思って行っちゃうかもしれないのである。


コメント(2)

日本球界のマイナーリーグ化、確かにそうなってますね。ところで、11月3日は十三夜でしたね。雲がありましたけど、お月様見れました。先日の永井愛さんのことを書かれた日記を読んで、その舞台が見れなかったことを残念に思いました。3日は紀尾井小ホールで樋口一葉の日記と小説で綴った「一葉による一葉」を幸田弘子さんの朗読で聞きました。 なんか、舞台って試合場?みたいに思えるくらい幸田弘子さんが戦ってる姿を見てしまいました。貧乏で病気、その中で明治の時代に女が小説を書くことを職業とすることは大きな戦いであり、50年?近く一葉の朗読を続けてる幸田弘子さんと一葉は、もう戦友かしらと思える舞台でした。感動して妙に興奮してしまって、昨晩は樋口一葉のことを考え4時まで眠れませんでした。

投稿者 バルサミコ : 2006年11月04日 13:30

『書く女』は再演の機会があれば是非ご覧になってください。幸田さんの舞台に比べたら仕上がりがちょっと軽すぎるとお思いになるかもしれませんが、これはこれで一葉のイメージをガラッと変えてしまう面白さがあると思います。

投稿者 今朝子 : 2006年11月05日 09:31



2006年11月05日

シシカバブ、シーザーサラダ、シュリンプ&チップス、ライスコロッケ

 新国立劇場で鈴木忠志演出の『イワーノフ』『オイディプス』を見た帰りに岡本螢と近所のパブで食事。
数十年ぶりで見た鈴木忠志だが、文字通り息が詰まるセリフ、バックに流されるミュージックコンクリートや演歌や唱歌等々、いやー、チュウさんはやっぱりチュウさんでした(笑)。これはこれでお見事としかいいようがない。客席は白髪のオールドファンが大方だが、現代人の「引きこもり」を彷彿とさせる『イワーノフ』は結構コンテンポラリーな暗喩として見られなくもないので、今の若い人が何の予備知識もなしにこれを見たら爆笑が巻き起こって、良い意味で評判になるのではないかという気もするくらい。とにかくいわゆるアングラ的演出に関していえば、この方は紛れもなく本家である。よくあるアングラ末裔のチャチな演出とは一線を画して、「前衛」というコトバをひしひしと感じさせる緊迫の舞台であり、したがって私も岡本螢もどっと疲れて(笑)近所のパブに駆け込んだのだった。
 岡本螢とはこの前久しぶりに一緒に飲んで、彼女の戯曲が来年三越劇場等の商業演劇で2、3本上演される話を聞かされたが、今晩もまたそれについて熱心に語り始めて止まらない。私はもともと演劇制作会社のスタッフだったから、最初はふんふんと聞いていたのであるが、「ねえ、ねえ、煮詰まったらまた電話するから相談に乗ってよ」と昔のお願いモードになられると「いっちゃなんだが、私も今は進行中の作品を4本も抱えてて、人の相談にまで乗ってられません(笑)」とお答えするしかない。で、帰宅するとこんどは珍しく女優の中村まり子さんから電話があって、これまた別のご相談で、そのついでにまた彼女が上演する来年の芝居について聞いているうちに午前3時を過ぎてしまい、「ゴメン、明日わたし乗馬に行くもんで」と電話を切ったのだった。
 面白いのは、ふたりともけっして過去の想い出に浸らず、先の話をすることだった。お互い50歳を過ぎた旧友同士でこんなことは珍しいのではないかと思うが、いくつになっても後ろを向かず常に前向きの姿勢でいられるのが芝居人のいいところかもしれない。わが師匠の武智鉄二も最晩年に至るまで過去をほとんど語らず、次の芝居の計画のみを話し続けた。想い出話をするようになったら芝居人はお終いである。
 で、これは芝居人に限らず、妄想系というかフィクション系というかの職業、たとえば映画監督や小説家とかも皆そうなのではないかと思う。私自身も書いたものはそばから忘れてしまい、次々と先の妄想が湧くからこそ小説を書き続けているのであるが、書こうとしている段階で人に話して理解されることはまずない。その段階では相棒の編集者にも多くは語れない。これは何も秘密にしようとしてるわけではなくて(笑)、文字に落として初めて人に理解されるのが小説の妄想というものだからである。てなわけで芝居人と話すと一方的に受け身になるので何だかとてもソンな感じがするのでした(笑)。ともかくもなんだか非常にOLD DAYSな一夜が明けてこれを書いております。




2006年11月05日

蟹ちらし、蓮根サラダ、もっちり豆腐

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。睡眠3時間で大丈夫だろうか?と案じられたが、幸い今日は最高に乗りやすい馬に当たって、ほっ。で、帰りは送迎バスを待っていたら、親しくしてる年輩の女性が急ぎのタクシーを呼んで同乗を勧められ、これまた実にラッキーだった。
 この方はあきらかに私よりも年上で、ハッキリいって見た目は貧弱なくらい小柄で痩せた女性だから「私は山もやってるんですよ」と打ち明けられてビックリ!とにかく乗馬を始めてから、この手の人は見かけによらないパターンによく驚かされるのも、私がこれまでインドア派の狭い世界でしか生きてこなかったせいだろうと思う。
 で、すでに日本全国の山を踏破し今も月に2度は縦走を欠かさないと仰言るこの女性に登山の心得をエピソード付きで色々と聞かせてもらった。鉄則は必ず引き返す勇気を持つこと。道に迷ったら決して下に向かおうとせずひたすら上を目指すことなんだとか。これは人生訓のメタファーのようにも聞こえるところが面白かった。
 昔は2,30キロの重荷を積んで登ったところを、今は様々なものが軽量化してわずか12,3キロで済むそうである。缶詰もアルミ缶になったし、何よりも衣料の進化が凄いらしい。汗がすぐ乾いて超軽い生地で作られた登山衣料は非常に便利だと聞いて、早速それを扱う専門店を教えてもらった。実は来年早々にガラパゴスに旅行するつもりで、紫外線防止も含めて登山衣料は欠かせないと思ったからである。




2006年11月07日

おでんほか

 三軒茶屋シアタートラムで宮沢章夫作・演出現代能楽集『鵺』を文春の内山さんと見た帰りに近所で食事。
 渋谷のシアターコクーンで蜷川幸雄が清水邦夫作品を上演しているちょうど同じ時期に重ねてトラムでこの作品を上演したというおかしさをまず買いたい(笑)。
 この作品の主人公はあきらかに蜷川さんをモデルにした演出家(上杉祥三)で、彼が若い役者を引き連れて海外公演に行って帰国する際に空港のトランジットで缶詰状態になり、そこでかつて演劇活動を共にしたアングラスターの亡霊(若松武)に再会し、裏切り者呼ばわりをされ、かつて自分たちの演じた芝居を今の若い役者が演じる姿を幻視させられるという設定だ。おまけにそこで使われるのは清水邦夫の作品なのだが、決してオマージュとしてではなく、当時のポエティカルなセリフはことごとく解体されて、若い役者の空疎な発声によってパロディ化されてゆき、この間に「時代」が確実に変わったことを「鵺」=かつてのアングラスターの亡霊に悟らされるのである。空港のトランジットはどこの国にも属さない宙ぶらりんの空間であり、そこに亡霊=過去が降り立つという設定はよく「能楽」を踏まえている。且つ演劇的セリフとは何か、役者とは何かといった論議が尽くされる極めてメタシアター的要素も孕みつつ、あまりにもモデルを限定して露骨に70年代演劇の状況に寄ったあまり、いささか下世話な業界物にしか見えてこないのは如何ともしがたい。それはそれで面白いとはいえ、観客を限定した狭い作品になった憾みはある。ただ蜷川さんの関係者はこれご覧になってどう思われるのかをちょっと訊いてみたいという、こっちも下世話な興味が湧いたのだった。




2006年11月08日

バニラアイスとプリン半分

 1年にわたる新聞連載の入稿が無事に済んで気がゆるんでしまい、風邪を引いたのかはたまた疲れがどっと出たせいか、昨夜は何も食べられずにはやばやと7時台に寝て、けさは例によって嘔吐を繰り返し、お昼まで寝ていたのだが、両親が東上してグローブ座の『オセロー』のマチネーを見るのでそれに付き合い、終演後にフレンチのフルコースを食べる両親を横目にかろうじてアイスクリームだけを口にした私である(涙)。
 『オセロー』を主演する平幹二朗は『川上』のごひいきなので、お客様を大切にする両親はその舞台をほぼ欠かさず見ている。そいうえば私は子どものころから躰の具合が悪いときでも両親に連れられてこうした義理さばきの芝居を見せられていたのである。今や両親も80と77の高齢となり、それでも杖をついて劇場通いをしてるのだから、今さらに実にフシギな一家だと思う。
 そんなわけで今日は絶不調の観劇とあって、客席でほとんど寝てしまったからコメントは差し控えたい。
けっして悪い舞台だったという皮肉ではありません。念のため。




2006年11月09日

里芋の煮転がしほか

 シアターコクーンで清水邦夫作・蜷川幸雄演出『タンゴ・冬の終わりに』を文春の内山さんと見た帰りに近所で食事。
 この3日間立て続けの観劇はまことに皮肉だとしかいいようがないことは、私が見たこの3本を見た方ならわかるだろうと思うが、まあ、そんな方はめったにいないだろうから、ともかく今日の上演作について述べておく。
 22年前の初演時とはまるで別の芝居を見ているような印象を受けたのはひとえに主演俳優の違いによるところが大きい。そもそも作者の清水邦夫が平幹二朗という役者にインスパイアされて書いた(清水夫人の松本典子談)役を堤真一が演じること自体に無理があり過ぎるのである。見ている間中私も内山さんも今なら一体誰がやればいいのだろう?ということばかり考えていて、結局この役は平さん以外にはあり得ないという結論に達した。過剰なまでの自意識を持ち、古今東西の名ゼリフが自在に抽斗から出てくるかつてのスター俳優で自意識がこわされて狂気に逃げ込むという人物像から堤真一ほど遠い役者もまたいないのではないかと思うほどの大ミスキャストである。
 次に初演との大きな違いをいえば、当時はまだ「革命の挫折」というメタファーがこの戯曲の底流をなすことが観客にも俳優にも明瞭だったけれど、20年後の今日は「時代」が確実に変わったことが客席にいても舞台を見ても痛感されて、これじゃまさに2日前に見た『鵺』のまんまじゃんという感じなのである。
 開演前のロビーで蜷川さんにお会いして「『鵺』ご覧になりました?面白かったですよ」と私は言ってしまい、ご本人も噂は耳にしてられるようで、にこにことして「じゃ、見てみようかな」というご返事だったが、
舞台を見てからではとてもオススメはできなかった。今回の上演を見る限りにおいては『鵺』が痛烈な皮肉として勝利しているとしかいいようがない。




2006年11月10日

キャベツスープ

 体調はもう完全復活だが、念のためにこの絶食明け定番メニュー。
 米国中間選挙で民主圧勝は予測通り。他国事ながら、こうならなきゃおかしいと思うくらいブッシュの失政は目にあまるものだった。これで2年後に民主党の大統領が誕生するとたちまち困るのは日本政府というところらしいのだが、それが一体なぜなのか、前からこのブログに何度も書いているように、私にはよくわからないのである。自民党と共和党のあいだに太いパイプがあるのなら、民主党に太いパイプを持ってる政党があってもおかしくないわけで、それがどうもそうはならなかったのが向こうのせいなのか、こちらのせいなのかがよくわからないのである。
 ところで米国と日本の付き合いは幕末に遡り、明治初期の新聞を読むとやはり大統領選に相当な関心を寄せていたのがわかる。今日たまたま明治9年の新聞を読んでいて、リパブリカンを共和と翻訳した時点でどうやら日本人好みだったのかも?と想像された。「民主」よりも「共和」のほうが当時としては穏健な思想という感覚だったようである。で、日本の自由民主党はどうも漢字の意味する概念と実態が違ってるような気がしてならず、いっそ共和民主党と名乗って戴いたほうが理解しやすい気もする。でもって米国の民主党こそが自由民主党を名乗ってくれると非常にわかりやすいのである。なんて余計なことをつい考えてしまった。
 明治初期の文献を読むと、現代では当たり前すぎて改めて考えもしないさまざまな文物についての概念規定がきちんと載っていて、それを読むのが実に面白いのであるが、ちなみに「教育」の目的とは何かといえば「人心固有するところの一切の能力を発達して務めて最上度に達せしむる」ことだそうであります。




2006年11月11日

からみ餅ほか

 近所の大島さんと共に吉村古ゆう舞の会に招待され、中途半端な時間に紀尾井町で軽く食べてしまい、近所でからみ餅をゲットしてわが家で食べ直すはめになる。
 古ゆうさんは故吉村雄輝師の若いお弟子さんで、わが友人の「踊るビジュアル」こと翻訳家の高見夫人と同門であるために彼女を通じて今回のご招待を受けた。『閨の扇』を丁寧に舞い、新作『城山狸』ではこの流派らしい軽妙なフリを披露。師の面影を写した端正な舞いぶりで、ふくらみにはまだ乏しいが、今後の精進に期待したい。




2006年11月12日

いなり寿司、和総菜、もっちり豆腐

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
まさに天高く馬肥ゆる秋晴れの下、私の食欲もめでたく全快致しました(笑)。
今日騎乗したのは2鞍とも反動がきつい馬で、駈歩は小刻みなジェットコースターという感じだったが、これが却って面白かった!といえるくらいに恐怖心は薄れてきた。物事はなんでも習うより馴れろである。
ところで話は全然変わって昨晩フジTVで『たけしの平成教育白書』なる番組に見入ってしまったのであるが、この局は何せフジサンケイ・グループという右寄りのキケン思想に満ちあふれたマスメディア企業体に属しているにもかかわらず、現場レベルで時に思いがけない一面を覗かせるのが面白いのだった。ことにドキュメンタリーに関しては民放一良心的な番組を提供してくれる局でもあるから、ある程度警戒心は払いつつも、私はつい見てしまうのである。
で、昨日の番組で何が面白かったかといえば、やはり石原慎太郎の登場だろう。そもそも石原を登場させるあたりがこの局のイカンところなのだけれど、どこまで意図したのかどうかは知らず、あるいは意図したことが裏目に出たのかもしれないが、現場レベルではこのイカン男の人間的な弱みが暴露された感じでとても笑えたのであった。
 生番組でも勿論シナリオはあるはずだが、「この人のそばにいるだけで僕は嫌なんですよ」と久米宏がのっけからぶちかましたのは、かりにシナリオ通りとしてもよく出来ていた。その後石原がいかにも実証的な発言であるかのような口ぶり彼のキケンな「優性思想」を得々と語り、これに対して太田光がかなりの演技派ぶりを発揮して泣きそうな顔でその「優性思想」に噛みつくあたりもなかなか巧い展開だった。かくしてTV芸人の中で四面楚歌状態になったシロウトである石原の表情が大写しになると、この人が所詮は世の中にありがちな「威張りたがりの男に限って内心気が弱い」の典型に過ぎないことが顕わとなり、そこに加えてあきらかに「劣性」が出た感じの息子が登場すると、こんな息子を引き連れて「優性思想」を語る男の滑稽さがさらに際立つといった塩梅で、「映像」というものの怖さを改めて感じさせられたのである。
 TV映像の功罪はさまざまあるが、素顔を大写しにして図らずもその人間の本質を曝くという点は功の最たるものといえそうで、たとえば政治家がどんなきれい事やもっともらしいことを並べても、その顔を見れば一発で嘘だと見破れる時代に私たちは生きているので、こんなにも政治に対して白けてしまったのだろうからなんとも皮肉であります。




2006年11月13日

イカの高菜炒め

 QPで見た料理。イカは酒塩胡椒で下味し、片栗粉をまぶして油通しをしておく。油通しは低温でするのがポイント。胡麻油に鷹の爪を入れて高菜と茹で筍の細切りをじっくりと炒め、イカを混ぜ合わせてから鍋肌に酒を注いで仕上げにネギのみじん切りを振りかける。味付けは高菜だけで十分。
 NHKの「クローズアップ現代」を見ながら食事。今夜は「走り続ける女性」と題して男女雇用均等法施行20年目のOL像を取りあげており、これは昨日たまたま乗馬クラブで交わした会話にドンピシャ一致!したのが面白かった。
 乗馬クラブでよく話をするようになったAさんはまさにその均等法の第1世代で、某大手有名企業の営業課長を務めるバリバリのキャリアウーマンであるが、変に取り澄ました感じはないし、見た目も振る舞いも大らかで親切で人なつっこい頗るキモチのいい女性である。週に2回は出張があり、毎日残業で深夜帰宅し、へろへろで土曜日を迎え、日曜にクラブに来ると生き返るのだという。で、彼女が尊敬している社内唯一の女性重役がちょうど私くらいの年齢の女性だそうで、その重役から均等法後の女性の社内ネットワーク作りを勧められ、仕事のほかにもうひとつ負担が増えたという話なのだった。たとえば女性が管理職になるとセクハラを受けてもそれをどこにも訴えられないというような問題が実際に起きていて、そうした問題に対処するには社内女性ネットワークのようなものが必要になってくるらしい。いっぽうで管理職になると社内での女友だちは失われたも同然となるようで、なにせモデルケースが乏しい存在だけに、話を聞いていろいろと悩みは深いものと察せられた。
 おかしかったのは私と同年代の重役は自らが独身であるにもかかわらず「それにしてもAさんはなぜ結婚しないのよ!」とよく仰言るのだそうで、「松井さんたちの世代って、結婚はしなくちゃならないものみたいに思ってらっしゃるでしょ。でも私たちは恋愛の延長で結婚もありだとは思うけど、そうじゃなくて結婚するのってよくわからないんですよね」と言われてしまった。
 なるほど、たしかに私も独身なのに周囲の若い独身女性編集者にその手のことをよく言ってしまうのだが、思えば別にそう深い意味はないのだった。私は結婚しなかったから後悔してるので貴方にはそんな後悔をさせたくないというような気持ちから言ってるわけでは全然ありません(笑)。まあ強いていえば、旧来の年寄りの役目としておざなりに言ってみるのだけれど、そこは昔の年寄りと違って本心から言ってるわけではないからまるで説得力がないのだろう。ただ私たち世代以上で独身を通す女性はそれなりにクセがあったり、アクが強かったりして、さもありなんという雰囲気を漂わせていたような気がするが、下の世代になると別にふつうにステキな女性として通るような人が多いのはたしかで、だからつい「何故?」が飛びだすわけであります。




2006年11月14日

合鴨と蕪の治部煮

 QPでは鶏胸肉を使ったが、私は本格的に合鴨を使用。味付けも出汁と酒と醤油、塩のほかに砂糖と味醂を加えて少し甘めに仕上げた。椎茸と車麩も加えたのはQP通り。下味した合鴨にそば粉をまぶしたのもQP通りだが、そば粉が溶け出して汁が濁ってしまう。これはやはり小麦粉を使ったほうがいいように思う。QPの先生は「煮る音がジブジブいうから治部煮なんですよね」と言ったが、私は岡部治部右衛門という人が作りだしたので治部煮だと教わっている。てなわけで今日は何かとQPに逆らってみました(笑)。




2006年11月15日

牡蠣のマヨグラタン

 前にQPで見た料理を想いだしながら作ってみた。簡単にできるので急にグラタンぽいものを食べたくなったときはオススメ。牡蠣とほうれん草は下味をしてあらかじめ電子レンジで熱処理をしておく。ソースはマヨネーズに牛乳と牡蠣の煮汁、ニンニクのすり下ろしを加え、醤油、豆板醤で味付け。ソースを薄く敷きほうれん草の上に牡蠣を置き長ネギのスライスを載せてソースを振りかけてオーブントースターで加熱。パスタを加えてもいい。
 アジアカップのサウジ戦を見ながら食べていたら、スラッシュの進藤さんから電話があって、仕事の愚痴をどどーっと聞いているうちに試合が終わってしまった(笑)。
 彼女は現在某大手教育系出版社から出す児童向きの古典芸能百科事典の編集を引き受けていて、その事典の中に能狂言文楽歌舞伎併せて100点の写真を載せる予定だが、肖像権がからむので演者各位に使用許可を取らなくてはならない。歌舞伎に関しては何度か経験があるし、文楽も意外にビジネスライクにクリアできたものの、「問題はお能なのよ!50人全員に手紙を送って署名捺印をお願いしなくちゃならなくなったわけよ」と憤然としている。「肖像権たって仮面かぶってるのよ」「たしかに……」と私(笑)。「ワキの人がちらっと写り込んでてもやっぱり別に使用許可が要るらしいのよ」「へー、そうなんだ。シテの許可だけでいいってわけにはいかないんだ……」「あそこは御家騒動があったので写真は絶対に使えないだとか、使用許可を取る相手が不明な場合とか、名前を変えてる場合とか、演目によって使わせない場合とか、もうあんまり色んなケースがあり過ぎてノイローゼになりそうよ!」「たとえば歌舞伎の俳優協会みたいに一括で処理してくれる機関とかってないわけ?」「どうもそれを創ろうとして失敗したらしいのよね」というようなわけで、これが古典芸能関係の啓蒙書作りの実態である。
 私も以前歌舞伎の啓蒙書を作った際の経験で、この肖像権問題ほど厄介なものはないという実感がある。あきらかにその演者の人気に負ぶさって作る本の場合と、事典でただの演目紹介に写真を使う場合とでは全く別物ではないかというふうに本を作る側は思うのだけれど、演者の側にはそうした区別はなくて、自分の写真がどう扱われるかについて異常なまでに神経質になる人と無頓着な人の違いがあるばかりだった。肖像権というものがあらわれたおかげで啓蒙書作りが大変面倒になったことだけはたしかであります。


コメント(1)

こんにちは。先月に一度、書き込みさしあげたOです。
「風鐸」と名を改めてお邪魔させていただきます。

舞台に立つ方の写真は難しいでしょうね。写真一枚といえども自分のイメージを壊すようでは困るという気持ちも分かるような気がします。一方では、ただでさえ一般の人々にとってはまだまだ敷居が高いと思われている古典芸能の世界で、写真のしかも啓蒙書のためのものにあれこれ注文をつけすぎてしまっては、ますます自分の首をしめて骨董化あるいは化石化への道を加速してしまうともいえるし…

投稿者 風鐸 : 2006年11月20日 15:15



2006年11月16日

お好み焼きほか

お茶の稽古の帰りに三村さんと麹町の「文字平」で食事。
今日の昼間は「花の会」で講演。この会のことは何度か書いているが、私が20年前に講師を務め、今でも年に1度はお招き戴いているカルチャーサークルである。今日の演題は「戯作者が見た忠臣蔵」として、十返舎一九の『忠臣蔵岡目評判』、式亭三馬の『忠臣蔵偏癡気論』、山東京伝の『忠臣蔵前世幕無』という、いずれも浄瑠璃や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を本歌取りしたパロディ作品を取りあげた。いうまでもなくパロディは本歌をきちんと踏まえた上での理解が要求されるので、こうしたレベルの講演ができるということ自体、この会の知識水準が如何に高いかを物語っている。原文をそのまま読んで聞かせてもどっと笑いが起きるという反応の良さで、今どきは大学院レベルでもこの会の方々の水準には遠く及ばないのではないかと思われた。私は物を書く際にこの会の方々をいつも念頭に置いていて、一方では日本の文化的劣化を憂うような現象が多々見られても、決して一般読者を舐めてはいけないと絶えず自らを戒めているのである。
 今日はまた昔から『演劇界』で筆を執られている漫画家の榎そのさんがゲスト聴講でお越しになっていたので久々にお目にかかって歓談し、榎さんの服の襟になんとも可愛らしい亀型のジュエリーを発見!亀フェチの私としては「それ一体どこで手に入れたんですか?」と思わず訊いて「ああ、これ亀治郎にもらったの」と言われて納得しました(笑)。

 




2006年11月18日

ジャーマンソーセージほか

新宿厚生年金会館でブロードウエイミュージカル『レント』の来日公演を観た帰りに近所で食事。
『レント』は10年ほど前にオフ・ブロードウエイで初演され、同性愛とエイズの問題を真正面から取りあげたミュージカルとして大きな話題を呼び、日本でもすでに何度か上演されているが、私はこれまで観るチャンスに恵まれず、今回は文春の内山さんにお誘いを受け、文化出版局の福光さんにも声をかけて拝見した次第。おふたりとはもちろん別々に知り合っているが、共に田辺聖子氏の担当で先日もパーティで一緒になったとかで、世間は狭いというよりも業界内はいずこも本当に狭い!のであります。
 で、肝腎の舞台だが、フルメンバー非常にパンチがきいた歌唱力で圧倒され、来日物としては相当に水準が高くて客席が乗りに乗って、こちらも大いに満足して劇場をあとにした。ご興味がおありの方にはオススメしたいと思う。
 近所のドイツ料理店「カイテル」で食事後、やはり近所の「風花」を久々に訪れる。ここは業界で知らぬ人なき文人バー(?)で、私は20年ほ前に初めて福光さんに連れて来られたのであるが、当時はまさか自分が小説を書くようになるとは夢にも想ってなかった。大いにご無沙汰をして久々にお会いしたママさんに、いきなり「もう幻冬舎の『吉原手引草』の連載は終了なさったんですか?」と訊かれて仰天!やはり凄い方である。もっとも外見はとても上品なおっとりとした佇まいで、お顔が20年前とちっとも変わらないのがこれまた凄い!気分はすっかりワープした感じで、おまけにもう一人いたお客さんが早稲田演劇科の16年後輩の男性だった。この方は加藤さんという某社の編集者で、シアタートラムで近年上演された結城座の公演に台本を書いた方でもあるらしく、早稲田演劇科の先生のうわさ話などをしているうちに、この人に携帯で呼びだされた枡野浩一さんが登場。枡野さんは歌人で、「賃貸」のTVCMでもお馴染みの方であるが、呼びだした加藤さんがすぐに寝てしまったので専ら私たちと話をするかっこうになり、話がメチャメチャ面白くて爆笑に次ぐ爆笑で時のたつのを忘れて気が付いたらなんと朝の4時過ぎ!てなわけで帰宅は5時になり、ひと眠りしてコレを書いています。




2006年11月18日

薫製の盛り合わせ、アボガドと海老のパスタ、鴨肉炒飯ほか

スラッシュの守部さんが三茶にあらわれて近所の「薫製屋ヌーベ」で食事。




2006年11月19日

五穀米弁当、もっちり豆腐

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
まさかこんなに降るとは思わず、乗馬用レインコートを持たずに出かけてずぶ濡れに(涙)。でも騎乗した馬は意外とヤル気満々で快調な駈歩を披露してくれた。この馬は「あーチャン」と染五郎のようなあだ名で呼ばれてる(楽屋オチですいません)クラブの人気モノで、人の指示を素直に受け入れてくれるばかりでなく、見た目もあきらかにカワイイのである。ディープインパクトの人気なんかも実力はもちろんだけれど、あの馬の顔が非常にカワイイということも手伝ってるような気がしないでもない。
今日は何故こんなことにこだわるかというと、朝いきなり電車の中吊り広告で「人は見た目が九割」という書名のデカイ活字が目に飛び込んだからだ。たしかにそう言われたら、政治家の見た目はほぼ全員アタマが悪そうか、人柄が悪そうかのどちらかで、これはかなり当たっているような気もするのであるが、なぜそんな風に感じるのかは考えてみればふしぎである。この手の顔の人は大体こういう性格だというような統計が過去の人類の経験則としてDNAに刷り込まれていたりするのだろうか。
それにしても、動物を見てカワイイと感じるのは何故なんだろう。あくまでカワイイ人間に近い顔だからカワイイと感じるのだろうか。あるいはこれもやはり過去の人類の経験則で、この手の顔をしてる馬は従順だとか、この手の顔の猿は凶暴だとかいった統計が刷り込まれているのだろうか。
ところで「人は見た目が九割」と言われたら、おい、新潮社、そんな本出していいのか!と文句が言いたい人も沢山いるはずで、私なんかも見た目と内実にけっこう落差があって、人前では見た目に合わせるのに苦労しているのだが、これは別に見た目がイイと言いたいわけではありません(笑)。
忘れもしないその昔、まだ学生のころに服を買いに行ったら、店員さんから「あの、失礼ですが大臣の秘書をなさっておいでで?」と言われて仰天した覚えがある。よくぞまあそんな限定された職業を考えついたものだと思うが、当時の私の一体どこがそんなふうに見えたのだろう。当時の大臣秘書で私に似た人でもいたのだろうか。20歳で大臣秘書なら、今はもう大臣になってておかしくはないのであります(笑)。
もう一つおかしかったのは、ある出版パーティで講談社の某社員が野間社長を玄関ロビーで待ち受けていて、ホテルの従業員が「おいでになりました」というので駆けつけてみたら、そこにいたのは野間社長ではなく私だった!というオチがついた話である。
要するに私はどうも昔からえらそうに見えたらしく、他人からあまり舐められずに済んだ反面、生意気だと思われて憎まれたことも多々あり、また大変な役目を背負わされて参ったこともしばしばあって、つまりは見た目でけっこう苦労したように感じられる半生だ。本当のところは見た目ほど気が強くはないし、ちっとも落ち着きがない慌て者だし、幼稚きわまりない性格だし、てなことを周囲の友人はよく知っていて、とにかくあまり世間には出ないほうがいいというので、今の仕事を始めたのであります(笑)。


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「人は見た目が九割」そんな本を新潮社は出しているんですか。その通りだと思います。ついでに、声としゃべり方で騙されるし、私などは作家の名前で勘違いします。小山内美江子さん、富岡多恵子さんをはんなりとした美人だと思っていました。松井先生の今朝子さんというお名前も素晴らしいと思ってます。他に聞いたことがなかったので、珍しく貴重な。。。 今、品種と書きそうになり、そんな失礼なことを書いたら今後コメントを書いても削除されそうです。とにかく、オンリーワンと感じさせるお名前は羨ましい。「人は見た目が九割」は、週刊誌が売れなくなった時代に、週刊新潮は伝説の編集長と言われる齋藤十一の「人間は所詮俗物だ」という齋藤イズムを継承し続け、ブレない編集方針で売り上げトップ?の座を維持し続ける出版社の出す本だなと感心しました。

投稿者 バルサミコ : 2006年11月20日 14:00

こんにちは。「ギャップ」の話に反応してしまいました。

松井さんの姿を初めて拝見したのは、何かの講演だったと思います。全身のいでたちからキレ味よいしゃべり口まで、一分の隙もない方というイメージだった記憶があります。

外見と中身のギャップがあるとは、なぜか私もわりとよく言われます。「クールに見えるのに…」「まじめっぽいのに…」という感じで。今は、それを楽しんでしまえばいいのではと開き直ってます。

投稿者 風鐸 : 2006年11月20日 15:40

作家で名前とご本人のイメージが一致する人を思い出しました。塩野七生さんです。あの方は塩です!サトウじゃない。「先生、七つの海くらいのスケールの大きい作品をお願いします」と読者としてお願いしてもいいかなという名前です。ただ、執筆家がみんな塩野さんタイプだったら、読者は塩分とり過ぎに気をつけます。

投稿者 バルサミコ : 2006年11月20日 16:51

>バルサミコさんへ

>小山内美江子さん、富岡多恵子さんをはんなりとした美人だと思っていました。
 
 コレ受けました(笑)。私は30代の一時期、富岡さんと大変親しくさせて戴いて、旅行をご一緒したりしてました。たしかに書かれた物とのギャップは多少ありつつも、人間的にはとても魅力的な方でしたよ。小山内さんと塩野さんは全く面識がありませんが、共にお会いするのはコワイような方々です(笑)。


>風鐸さんへ

>松井さんの姿を初めて拝見したのは、何かの講演だったと思います。

きゃー恥ずかしい。さぞかしもっともらしい顔つきで話してたことと存じます。外見と中身のギャップがあるというふうにはみんな思ってるんでしょうね。初めてテープレコーダーで自分の声を聞いたとき、この声ゼッタイ違う!私の声じゃない!って感じと同じで。

投稿者 今朝子 : 2006年11月20日 21:58



2006年11月20日

具だくさんスープ

QPで見た料理。鶏手羽をじっくり煮込んでスープをとり、ネギと人参とキクラゲの細切り、大和芋をすって卵と混ぜた物を加える。スープをとるときにはネギの青い部分と生姜を入れること。とにかくアクが出る食材が多いのでこまめに掬いとること。大和芋のすり下ろしを加えてふんわり浮かびあがったあとはすぐに火を止める。塩、胡椒、醤油で味付け。
NHKBS2で名匠ルキノ・ヴィスコンティ生誕100年祭特集のプレ・ドキュメンタリーを見ながら食事。私の学生時代はヴィスコンティ晩年の作品が次々と公開されて「ベニスに死す」「家族の肖像」「イノセント」「ルードヴィヒ」全部封切り時に見ているから好きだったのだろうか?好きそうなもんである(笑)。
 この監督が貴族の出身で左翼思想に走ったことは知ってたが、今夜はそのお屋敷とか別荘の映像が見られてやっぱり本物の貴族だったんだ!と改めて実感。自邸の敷地内に劇場があって、それが映画芸術に向かわしめた原点だそうである。で、映画監督になる前はプロの競馬騎手だったという話はビックリ。当然ながら自邸内に厩舎をお造りになったそうである。インタビューにイタリア語で答えるアラン・ドロンとか、おばあちゃんになったクラウディア・カルディナーレの映像も見られて面白かった。




2006年11月21日

シシケバブほか

新潮社の小林姐さんと打ち合わせかたがた表参道のトルコ料理店「トプカプ」で会食。ここは表参道の駅からすぐの場所で、何を食べても美味しいのでオススメしたいが全16席の小さな店なので要予約だろう(TEL03-3498-3510)。写真上はパンに付けて食べるディップのようなもの。下はシシケバブ。




2006年11月22日

鯖のソテー味噌ソース

QPで見た料理。鯖の味噌煮のソテー版。味噌と砂糖、酒、生姜汁、ニンニク、バターを併せたソースで食す。付け野菜は蕪のソテーでこれが味噌ソースとよく合う。一つのフライパンでまず蕪を、次に鯖をソテーして最後にソース作る。鯖は薄く塩胡椒して粉をまぶして皮目から焼く。蕪はソテーしてから薄く塩胡椒する。
NHKBS2でヴィスコンティ監督作「白夜」を見ながら食事。伝説の美男俳優ジャン・マレーと若きマストロヤンニの競演で、ラストがちょっとあっけにとられるメロドラマだ。面白いのはアプレ・ゲール(戦後)の風俗を撮ったシーンが川島雄三監督のそれ(たとえば『しとやかな獣』)と非常によく似ている点だ。日本であれイタリアであれ共にアメリカ文化がどっと押し寄せた雰囲気を脅威に感じる視線が両監督に共通し、映画はまさしくコンテンポラリーなのであった。




2006年11月23日

常夜鍋

QPが教えたゴマだれ(練り胡麻、味噌、砂糖、味醂、醤油、豆板醤、だし汁を合わせる)で食す。今日はとても寒いのでこれにしたが、食事をしながら見たのは献立と全くそぐわないヴィスコンティの『ルードヴィヒ』である(笑)。
 四半世紀ぶりに見て、こういう映画が撮れる人は二度と現れないだろうと改めて思う。王族の日常がリアリティを持ってさらりと描けるのはやはりこの監督ならではである。主演ヘルームート・バーガーの美貌もさることながら、なんといってもロミー・シュナイダーの演じるエリザべートがカッコイイ!乗馬がしたいと思い始めたのはこの映画の影響もあったのだろうか(笑)。




2006年11月24日

上方寿司、もっちり豆腐

整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
自宅に籠もって仕事をしているから、電車に乗るとつい中吊り広告をしげしげ見たりする。今日はたまたま目の前の人が読んでるタブロイド新聞の裏面に目が行って、「松坂は英語を話せるのか」という見出しが気になってしまった。松坂の英語力を心配するのは余計なお世話で(笑)、私が気になったのは見出しの日本語だ。旧来の日本語なら「松坂は英語『が』話せるのか」とあるはずなのに、「英語『を』話せるのか」としたのは如何にもイマ風である。近ごろの若い人は日本語における「が」という助詞は主格、目的格は「を」というように考える傾向にあるが、これは明らかに翻訳文体の影響によるもので、そもそも日本語は主語述語目的語といった西洋的文法に当てはまらず、「が」という助詞を主格と限定することに無理があるのだった。私は別に日本語が変わっていくこと自体を憂うものではないのだけれど、時代小説を書く際には当然ながら助詞の使い方が旧来風なので、時に若い校閲者が本来の助詞の使い方に無知で愕然とすることがある。


コメント(2)

大昔、職場のガイジンが日本語を習っていて「私はスミスです」と「私がスミスです」はどう違うのか質問され、難儀したことを思い出しました(笑)これ、英語で説明するの難しいです。

ところで、古い話で恐縮ですが、あれ以来歌舞伎役者の言葉遣いを気にしつつトーク番組などを眺めています。いつかの海老蔵は別格でしたが、それ以外で違和感を感じるポイントはどうやら共通のひとことにあるような気がしてきました。
若い役者が、自分のプライベートのことなどを話す際は普通の芸能人と同じ感じで、話題が親のことでも特に違った感じは受けません。ところが話が歌舞伎のことになったとたんに…よく「○○のお役をやらさせていただいて…」というようですが、私はこれがひっかかってた模様。「させていただく」だけなら一般にもよくある誤用なのでさほど違和感は感じないと思うんですが「やら」がついていいづらくなったものを、まさに舌を噛みそうにいうので気になっちゃうのかも。
やっぱり、松竹の会長・贔屓を初めとしたお客様・芸の師匠と、三方の力関係が不明なまま全部尊敬するからでしょうか?

投稿者 猫並 : 2006年11月25日 08:07

>「○○のお役をやらさせていただいて…」というようですが、私はこれがひっかかってた模様。

もう少し前は「お役をつとめさせていただく」といっていたような気がします。「やらさせて」は本当に気持ちの悪い言い方ですね。
で、先日例の「関係者」に話したところ、やはり他からも苦情が寄せられているらしく、往年のファンから先代三之助はもっと普通の言い方をしていたはずだという意見もあったようです。とにかく何かの機会に親に注意してほしいといっておきましたが、どうも親のいうことを素直に聞くような子どもたちでもなさそうなのが(笑)、今の古典芸能業界の困った点です。
 ところで個人的にハッとしたのは、私もどうやら時代小説を書く際には、会話の部分で話者とその相手と語られる第三者の身分に応じて尊敬語や謙譲語を使い分けているということでした。江戸時代は極めて明瞭な身分社会だったので、対話する相手の身分が低いと、身内に対しても尊敬語を使ってOKなのです。今日のように外部の人と身内とに分けるような使い分けはしないのです。ひょっとすると歌舞伎役者たちはこうしたことに影響しているのかもしれません。となると、彼らはインタビュアーを明らかに身分が下と見ていることになるのですが(笑)

投稿者 今朝子 : 2006年11月26日 01:34



2006年11月25日

マッシュルームピザ、シーザーズサラダほか

国立小劇場で「京阪座敷舞の会」を見た帰りに伝統文化放送の前川さんと近所のホテルで食事。
舞いはつくづく不思議なもので、ある程度以上のレベルになると、技巧的にどこがどう違うとはいえなくなるが、見ていて時間が長く感じられて、まだ終わらないの!と言いたくなるものと、あれ、もう終わるの、ああ残念!と言いたくなるものとがあって、同じ舞い手でも前者の場合と後者の場合がある。今夜の井上八千代の『八島』は明らかに後者で、久々に胸が空く素晴らしい舞台だった。若返ったような清々しさが感じられた好演で、惚れ直したといってもいい。先月の四世八千代追善の重荷を下ろしてようやく雑念が消え、この人らしい集中力が発揮できたのだろう。川口秀子の『山姥』は後見を二人に介添えされた高齢をおしての舞台ながら、この曲があらわす空間の広がりを感じさせた実にみごとな舞台だった。エッちゃんこと吾妻徳彌と並んだ席で拝見したが、終演後は彼女も私も涙なみだであった。




2006年11月26日

幕の内弁当

今日は乗馬の帰りに歌舞伎座で「梅津貴昶の会」を拝見するという盛りだくさんな一日で、この間の移動のために、ああ、残念!ジャパン・カップにおけるディープの快走を見逃してしまいました(涙)。
 で、早や第11回を迎えた舞踊会では『供奴』が『島の千歳』に変更されスタティックな演目ばかりが並んで気が変わらないという瑕疵がありつつも、相手役に菊五郎を迎えた『賤機帯』は大変に面白く見られた。能の「隅田川」に拠りながら江戸風の軽みと洒脱みが身上の作品で、梅津の舞いは和らかな春の陽射しを想わせて上品で美しい仕上がり。菊五郎がワキに徹した演じ方で梅津の引き立て役にまわったのもよかったのだろう。菊五郎は往年の二枚目で決して器用な役者ではなかったにもかかわらず、年を取ってからはワキを務めたほうが妙に魅力的に映る。歌舞伎役者としては意外と珍しいケースであろうと思う。もう一本の演目『雪』は武原はん写しといってもいい。居所を全く変えず傘の小道具も持たず、ひたすら姿態の美しさで勝負する超スタティック演じ方で、むろん梅津は着丈で裾引きではないから丁寧な足さばきがしっかりと窺えて、この一見少しも動いていないような振付がどのくらい大きなエネルギーを要するものであるかを見る者にわからせた点が買える。
 こういう会では幕間のロビーが業界の社交場と化し、関係者がごちゃごちゃいて挨拶するのも面倒なのでほとんど無視したが、エッちゃんこと吾妻徳弥さんとは連チャンで会って馬鹿話をし、松竹の岡崎クン(なんてもう言っちゃいけないんだろう制作室長なんだから)には歌舞伎座再建計画についてのお話を伺い、集英社文庫の伊藤さんとバッタリ会って、永井愛の『書く女』は面白かったねというような話をした。で、この会に来るといってた岡本螢の姿が遠くに見えたので合図したのに無視されて、ロビーに出たのが見えたのでわざわざ追いかけて至近距離で「岡本さん」と声をかけたのに不思議そうな顔で通り過ぎていくから気持ちが悪くなって彼女の携帯に電話したら「ゴメン、今日は歌舞伎座に行けなかったの」という返事。ええっ、あれはドッペルゲンガーだったの!と言いたくなるようなソックリさんが来ていたのでした(笑)。




2006年11月27日

小田巻蒸し

 QPで見た蒸し器を使わない茶碗蒸しの作り方でうどんを加えて小田巻にした。具は味醂と醤油に漬け込んだ白身魚の切り身。椎茸は軸も割いて入れるとさきイカに似た食感が味わえる。ほかに生麩も入れて三つ葉をトッピング。鍋にお湯を張って8〜10分とろ火で熱を加え、火を止めてから7〜8分むらす。
 NHKBS2でヴィスコンティ監督作『若者のすべて』を見ながら食事。この映画も昔たしか六本木の俳優座で公開されたときに見たが、アラン・ドロンの美貌にばかり目を奪われていて(笑)、左翼思想に傾倒した監督らしいラストシーンは全く記憶が飛んでた。
 思えば私の学生時代はヴィスコンティ・ブームというよりもイタ物映画が大流行りで、フェリーニやパゾリーニがつぎつぎつぎ公開されてそのつど話題をさらっていたような気がする。そのもう少し前の時代がフランス映画全盛で、そのあとがドイツ映画ブームだったんじゃなかったかなあ(かなり曖昧な記憶ですが)。『ブリキの太鼓』なんてメチャメチャ面白い映画がありました。




2006年11月28日

帆立貝とアスパラガスの中華風塩炒め

何度もブログに登場させている料理なのでレシピは省略。
NHKBS2でヴィスコンティ監督作『ベニスに死す』を見ながら食事。
この歳になって見ると、老いの残酷さが改めてしみじみと感じられる映画であった。昔見たときは原作も読んでみたが、若かったせいか、翻訳に問題があったのか、恐ろしく観念的で難解な小説という印象が拭いがたい。とにかくシロッコが怖くて、夏は絶対ベニスに行くまい!と思ったものであります(笑)。




2006年11月29日

蒸し鶏と切り干し大根の辛子味噌和え、銀杏ご飯

 QPで見た料理。蒸し鶏はもも肉に粗塩をすり込んで酒を振って電子レンジで加熱。ネギの青い部分と生姜の皮を入れて香り付け。切り干し大根は水に5分ほど浸してもどせばOK。味噌、砂糖、味醂、酢、練り辛子を混ぜたもので和える。塩もみした胡瓜の細切りを彩りに。最後にすりゴマをたっぷり加える。素材を絞ってしっかり水切りしてから和えるのがポイント。切り干し大根の食べ方としてオススメ。煮たよりもこのほうが食感がいい。
 連日NHKBS2でヴィスコンティ作品を見ているが、今日の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』はジャック・ニコルソン主演の米国リメイク版ンと全く違う映画なのでちょっとビックリ。原作に近いのはやはり米国バージョンなのだろうか?ヴィスコンティ版は主人公が甘い二枚目で、それだけにファム・ファタール物の色合いが濃厚になる。米国版でセンセーショナルな話題を撒いたキッチンのシーンはもちろんありません。とにかくこんなに盛りだくさんな話だっけ?と驚くほど登場人物が多いが、やはり郵便配達夫は出てきません(笑)。面白かったのは素人のど自慢大会のシーンで、全員イタリアオペラの一節を唱うのはさすが!




2006年11月30日

ワカサギのマリネ、大根の煮物、野菜サラダ

 美容院の帰りに近所の総菜屋でゲット。ヴィスコンティ監督作クラウディア・カルディナーレ主演『熊座の淡き星影』を見ながら食事。ギリシャ悲劇の「エレクトラ」に拠った作品だが、それにしてもヴィスコンティ作品を連日見ていると彼が起用する男優は決まって甘い二枚目で、女優はコワモテ系であるのがよくわかる。
 木下順二先生の訃報をけさのNHKでようやく知ったが、すでに先月の30日にお亡くなりになっていたらしい。ご遺言で葬儀は出されなかったようだ。
 木下先生は私が心から先生とお慕いした数少ない方々のおひとりで、初めてお目にかかったのは、もう20年以上前になる。たしかこちらはまだ28歳で、いきなり独りでご自宅に押しかけて一対一でお話をさせて戴いた。純洋風の応接間に馬の写真や絵が沢山飾られていたのが印象的だ。
 仕事がらそれまでにも多くの著名な方々に接してはいたが、小学生の頃からお名前を存じ上げている方とお話しするのはさすがに心躍るものがあった。で、実際にお会いしてみたら全く期待を裏切られない素晴らしい方(と申すのも畏れ多いが)だった。
 お会いしたのは武智鐵二師に命じられて、木下先生に近松門左衛門原作『けいせい仏の原』の脚色をお願いするためだったが、僕はそういう仕事はできませんとあっさり断られ、以後数年してから私が下書きしたものに先生が現代文で加筆をされ、それをまた私が古文に書き直すという共同作業で近松座の上演台本を完成させた。私はもちろんゴーストライターのつもりだったが、先生は私の名前も出すべきだと強硬に主張され、台本やポスターやチラシに先生と並んで私の名が書かれたのは身に余る光栄だった。岩波の『文学』にも私との共同作業であることを明記され、NHKで放映されたときも放映料を完全に折半するよう局にかけ合われた。日本を代表する劇作家にそこまでの知遇を得たことは私にとって生涯の誇りである。
 当時の日本はまだインテリと呼ばれる人びとが沢山いたが、実のところは知識を外面に貼りつけただけのエクステリ(と私は呼んでる)だから精神構造はあまりにも幼稚でがっかりさせられる男性が多かったなかで、木下先生は知識が人格に浸み通って内面化された真の意味でのインテリであることがそばにいて如実に感じられ、ああ、昔のインテリ青年とはこういう人のことを指すのだと納得させられた。武智師もある面ではそうだったが、明治から大正初年生まれまでのインテリは戦前の豊かな日本を体現するような気品と大らかさがあり、正直いって昭和ヒトケタ以降になると私の知るかぎりそういう人は皆無に近くなる。現代ニッポンは戦前よりはるかに豊かなはずなのに、品がよくて大らかな感じのする知識人がほとんど見あたらないのは何故なんだろう。「美しい国」というコトバがまるでギャクにしか聞こえないくらい、醜くて卑しい人びとばかりがはびこって見えるのはどうしてなのか。
 木下先生の『夕鶴』を小学校5年の学芸会で上演したのは私の原体験のひとつであるが、思えばこの戯曲は民話に基づいて子どもにでもわかるレベルで、商品経済によって人間の心がどう変わるかという深刻なテーマを扱う作品であった。「おかね」のことを語りだす与ひょうのコトバは「自然」に住むつうにはもはや届かなくなる。「おかね」は人の魂を変えるものだという刷り込みはいまだに私の中に生きていて、人間社会を成り立たせるために必要な道具としてはもちろん認めるが、村上某に「お金儲けすることが悪いんですか!」と開き直られて、それに誰も反論できなくなった現代ニッポン人のありようについては気持ち悪さを感じてしまう。スポーツ選手にしろ何にしろ、必ずといっていいほど年俸何億だの、このドレス1着何百万だのといったTVの紹介を子どもが見ているかと思えば何だかぞっとするのである。「おかね」の価値観のみが刷り込まれた子どもたちは大人になったら果たしてどうなるのだろうか。「おかね」は人の魂を変えると刷り込まれたはずの多くの大人たちが意外に「おかね」に目がくらんだのだから、逆さまに今の子どもたちは「おかね」に飽き飽きして別の価値観を求めるようになるのかもしれない、と、私はときどき妙に楽観的に考えたりもするのである。


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お金の話で。最近、mixi で知り合ったアメリカに住む方の日記から「アル・ゴアが制作した環境問題DVDを見て、ゴアがブッシュに大統領選で負けたのには、大企業からの圧力があった」と思われたそうです。ゴアは選挙前から環境問題に取り組んでいたからです。ふとケネディーの暗殺を思い出しました。暗殺には企業がかかわっていたという話です。ケネディーが大統領になっていたらアメリカはベトナム戦争をやらなかった。それは、戦争で儲けようとする企業には邪魔だった。ジョンソン大統領の電話記録が公開されて、ベトナム戦争を始める前に彼がアメリカはこの戦争に勝てないと言っていたと聞きました。でも、ジョンソンは大企業には逆らわなかった。 ブッシュが大統領になり、アメリカはまたイラク戦争を始め、ハリバートン社のスキャンダルを聞きました。そして、ベトナムよりイラクは泥沼化。日本も いまだに戦争で金儲けなんか考えてるアメリカなんかとのお付き合いなんて、いい加減にしといた方がいいと思いました。

投稿者 バルサミコ : 2006年12月01日 00:58

先日たまたま他人様の家で『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱けだせない本当の理由』というマンガ本を目にして、これが大変に面白く読めました。国家の発足以来今日まで「国是」として戦争を遂行しなくてはならないアメリカの歴史が皮肉を交えてわかりやすく描いてあります。私は朝鮮戦争の戦争特需で日本が経済復興を成し遂げた時代に生まれたので、「戦争は金儲けになる」と既に日本の大人たちが本気で考えていたのを幼いころから知ってました。だから一方で若者はベトナム戦争反対を唱えて、戦争による金儲けで潤う国家の体制に反抗したのです。湾岸戦争イラク戦争は遠方だからなのか、あるいはもうどっぷり「おかね」漬けになって頭脳が麻痺してるのか、今の若い人の多くが無関心であるような気がしてなりません。ニュースでもほとんど取りあげなくなっているのでBSでこまめに米国のABCを見ていますが、いつの間にか物凄い死者の数になっていて、ブッシュ及びその取り巻きは戦争犯罪人として何度極刑に処せられても取り返しがつかないことをしでかしたのだということがよくわかります。ブッシュ政権を支持した国家元首は今やほとんど失脚するなかで、不気味なプーチンと自民党だけが生き延びている事実を多くの日本人はどう思ってるのか、私には全くの謎です。

投稿者 今朝子 : 2006年12月01日 07:05

華氏911の映画監督マイケル・ムーア氏はロイター通信社のインタビューで「イラク戦争に関しては、ブッシュ大統領より、ブレア首相の方が責任が重い。それは、ブレア首相は馬鹿ではないし、知識もあるからだ」と述べたそうです。ということは、小泉元首相も自民党もブッシュのように馬鹿ということでしょうか? なんか反論できず納得できてしまうのが日本国民として悲しいです。ちょうど戦争が始まって一年近く経った時に、イラクへ行ってきたカメラマンとベトナム戦争で撮影したカメラマンと一緒に飲みながら戦争撮影体験などという貴重なお話をうかがったことがあります。ベトナム戦争が写真撮り放題だった状況に対し、イラク戦争では初めからカメラマンに写真を撮らせないようにするアメリカ軍の策は厳しいものだったそうです。アメリカは過去のベトナム戦争において、力ある報道写真で国民の反戦運動が高まったので、そこはかなり警戒したんでしょうね。そうなると、反戦運動も宣伝力が影響することになるのでしょうか? ただ、私たちの子どもの頃は『花はどこへ行った』『風に吹かれて』などの歌から強いメッセージを受け、フォークソングというものは社会的メッセージがあるものだと思えたのが、吉田拓郎が「僕の髪が〜」って歌ってからフォークソングはただのラブソングになってしまったのが印象的です。

投稿者 バルサミコ : 2006年12月01日 17:31

>ベトナム戦争が写真撮り放題だった状況に対し、イラク戦争では初めからカメラマンに写真を撮らせないようにするアメリカ軍の策は厳しいものだったそうです。

やっぱりそうですか。それにしても日本の自衛隊の活動がほとんどTVに流されなかったのはフシギでした。CNNやABCではそれでも戦場の兵士のうんざりした発言を放送してましたもんね。

>ただ、私たちの子どもの頃は『花はどこへ行った』『風に吹かれて』などの歌から強いメッセージを受け、フォークソングというものは社会的メッセージがあるものだと思えたのが、吉田拓郎が「僕の髪が〜」って歌ってからフォークソングはただのラブソングになってしまったのが印象的です。

たしかに学校の授業でもWe shall overcome とか歌ってました。うちの学校はミッションだったからなのか、サヨクの強い京都にあったからなのか、先生にも反戦思想をしっかり植えつけられた気がします。今の学校では一体どう教えてるのかなあ。自分たちのイジメで手が一杯で、他国のことにまで思いを馳せる余裕ってないんでしょうか。でもきっと皆が内向きだからイジメが起きるような気がしないでもありません。

投稿者 今朝子 : 2006年12月01日 23:03