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2006年09月28日

ミックスフライ&蒸し野菜定食

 今日は私の誕生日なのに!新国立劇場で長塚圭史作・演出「アジアの女」を観る前に独りで淋しいお食事でした(笑)。
 長塚京三の息子が近年の演劇界で期待の星だという話はつとに聞いていて、これまでなかなか観るチャンスに恵まれず、だから今日はかなり期待して拝見したのだが、結論から正直にいえばちょっと肩すかしを喰らった感じだ。
 舞台設定は近未来の大震災後の東京で、登場するのは震災前に心を病んでいた妹(富田靖子)とアル中になった編集者の兄(近藤芳正)、そこに訪ねてくる才能のカケラもない作家(岩松了)、妹に恋して尽くす警官と妹にボランティアという名の売春を斡旋する女のたった5人。妹は死んだ父がまだ生きているように振る舞う一方で、明日のために崩壊したビルの谷間に畑を作って水をやり続ける。兄は呪縛されたように次なる崩壊の危機が迫る土地から離れられず、付近にはしだいに在日アジア人に対する偏見から不穏な空気が漂う中で妹は中国人と恋に落ちて心が快復し、事実の羅列しかできない作家が物語を紡ぎだして、暗い瓦礫の山に希望の光りが差し込んだかに見えたのも束の間……。
と、まあ、簡単に要約できるようなストーリーで、編集者の兄と作家の関係はわりあい面白く見られなくないが、妹の存在が魅力的に立ちあがってこないのは致命的で、たとえば同じような話を唐十郎で見ればどんなにかステキだろう、なんてつい思ってしまった。近未来の大震災後にしては想像される状況が古めかしくて、どちらかといえば戦後の風景とダブルという点で唐戯曲を想いだしてしまったのかもしれない。
 とにかくこの1本を見ただけで長塚圭史を云々することは避けたいけれど、設定が大きいわりに展開が妙にこぢんまりしてるのは、やはりイマドキの若い子だからなのだろうか?人物の立たせ方も説明的で凡庸な感じが否めない。もっとも「文学」の香りが漂うセリフはところどころにあって、才能が無い人ではけっしてないと思うが、ひょっとすると芝居よりは小説向きの人なのかも?と今回に関しては思ってしまった。


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コメント (2)


遅れ馳せながら、お誕生日おめでとうございます。知らない世界のおはなしも、知っている世界のおはなしも(前者がほとんどですが)、いつも楽しく拝読しております。

拝読し始めてから実は結構長いのですが、お誕生日祝いにかこつけて、初めてコメントしてみました。

緊張するものですね・・・
コメント・・・

投稿者 ふみ : 2006年09月29日 21:31

>ご祝辞ありがとうございます!もはや誕生日を素直に喜べる年齢でないにもかかわらず(笑)、例年通り、明日は友人を招いて食事会を催します。献立はブログでご確認ください。

投稿者 今朝子 : 2006年09月29日 23:08

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