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2006年09月25日
サンマの塩焼き、冬瓜のお吸い物、栗ご飯
冬瓜は大家さんから頂戴したもの。栗は市販の剥き栗をゲット。
文楽の吉田玉男さんの訃報を今日のニュースで知った。私が玉男さんによくお目にかかっていたのはまだ二十代前半のころだが、それはただ単なるファンとして楽屋に押しかけていたのである。
文楽を見はじめたころの人形遣いにはまだ桐竹紋十郎という大スターがいて、玉男さんや先代桐竹勘十郎が中堅どころ、蓑助が若手のスターといった感じだった。紋十郎没後は先代野澤喜左衛門と先代鶴澤寛治の三味線双璧時代が到来し、そのあと津大夫と越路大夫が全盛の時代に突入したが、私はちょうどそのころ文楽に相当入れ込んで東京、大阪はもとより地方公演まで見まくっていた。
わが家はもともと先代喜左衛門師と深い御縁があって、私も子どものころによく可愛がって戴き、そこから越路さんと縁がつながる一方で、友人が津大夫ファンで緑大夫と結婚したり、早稲田の先輩が三輪大夫だったりと、文楽には当時あちゃこちゃに縁が出来て困るほどだったのだが、地方公演まで追っかけをしたのは何を隠そう、玉男さんに惹かれたせいである。玉男さんが遣う人形は歌舞伎役者には全く感じられない実に男らしい色気があって、私はそれに惚れ、ご本人の男っぷりにもぞっこん惚れたのだった(特別なカンケイはありませんでした。残年ながら(笑))。
その後、文楽の劇評を手がけていた時期もあったが、松竹入社後は興行制作側の立場として劇評を書くのはまずいと上司に止められてからしだいに足が遠のき、退社後しばらくしてまた劇評を頼まれて観劇したら、越路大夫引退後の大夫の語りが余りにもレベルダウンしているのにショックを受けた。それがもうかれこれ20年ほど前になるだろうか。以降まったくといっていいくらい文楽を見なくなってしまった。
最後に玉男さんを見たのはたしか極めつきともいうべき「沼津」の十兵衛だが、住大夫の語りが前半はともかく、この人の悪い癖で後半がへたってしまい、甘ったるくて聴いてられない浄瑠璃で、これが最高峰ならあとは推して知るべしだし、若手でなんとかなりそうに思われたのは千歳大夫onlyだったので、これはもう見ないほうがいいと判断したのである。
思えば古典芸能を鑑賞する寿命も30年くらいで、若いときから見はじめるとあとがだんだん苦しくなるから、いいような悪いようなもんである。最近はあまり歌舞伎も見なくなってきている。
熱心に見ていたころの文楽は喜左衛門VS寛治、越路VS津、玉男VS勘十郎の静と動、繊細と豪放、冷静と熱情といった対照的な芸風が三業にそろっており、そのことが浄瑠璃のドラマ性を際立たせるのに実に有効に働いていた気がする。今はどうなっているのか全く知らない。
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