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2006年09月04日
鯖の味噌煮、アスパラガスの練り胡麻和え
QPで教えた作り方のポイントは、昆布出汁に砂糖と味噌を加えて煮立たせたあと一度火を止めてから鯖を入れて酒と味醂を足すこと。鯖はむろん湯通しで霜降りにして臭みを取る。別茹でしたゴボウを付け野菜として一緒に煮て、最後に香り出しとして追加の味噌とすりゴマを加え、生姜の千切りを添える。生姜の皮を出汁に入れておくとよい。
幻冬舎が出している「星星峡」という小冊子で一年半に渡って連載した『吉原手引草』の最終入稿をようやく終えたのと、新聞連載もそろそろお尻が見えてきたので、今日からいよいよ並木拍子郎シリーズ第3弾の執筆に取りかかったが、少し間があいたせいもあって、滑り出しは思いのほか難航した。
小説の書き方はもちろん人によって違うのかもしれないが、私見では降霊に近いような感じで、さまざまな人物があらわれて勝手にしゃべり出したり動きだしたりするのを、作家はただ書き留めているだけなのではないか。もちろんそれらは作家個人の頭脳が生みだす単なる妄想に過ぎないのだけれど、作家が支配する世界の中で彼らはしっかり生きている人間であり、現実で会ってる人よりもはるかにリアルに感じられるからこそ書き留めて小説にできるのだろうと思う。だから自分でこれは嘘だと思ったら書けなくなるはずだ。時代小説を書く場合、そんなことってあり得るんだろうか?と少しでも疑いが生じたら私は絶対に書けなくなるので、些細な調べ物に異常なくらい時間がかかるし、調べ物を編集者や校閲に任せっぱなしにするようなことはとても出来ない。これは別に知識を偏重しているわけではなくて、自分にとってのリアリティーにこだわっているので、リアリティーさえ感じられたらもちろん歴史的には嘘だと承知して書くことにもやぶさかではないし、またそうでなければ時代小説なんて一行も書けないはずで、まさしくそれは近松門左衛門がいうところの「実と嘘との皮膜の間にあるものなり」なのだった。
ところで私はその近松を研究対象にしていたころ、自分がまさか小説を書くなんて夢にも想ってなかった人間で、日本の大概の小説を読んで別に感心もせず、どちらかといえば馬鹿にすることのほうが多かったのだけれど、いざ自分が書いてみると、われながら幼稚で下手くそだと思う小説を書くのにも、難解な語彙をふんだんに使った論文や評論を書くことよりも遙かに頭脳的疲労を感じるので当初はビックリしたものである。乗馬デーの昨日より今日のほうがずっとお腹も空くのはエネルギー消費も肉体疲労より高いという証拠だろう。てなわけで鯖の味噌煮は写真の2倍の量を食べたのであります(笑)。
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コメント (2)
はじめまして。松井さんの数年来のファンですが、今回はじめてメールさせていただきました。細々とですが三味線を生業にしておりますので、『似せ者』の「心残して」は胸にぐっとくるものがありました。また、私の名前があさ子なので、『二枚目』のおあさに、もっといえば松井さんにこちらから一方的に親近感を覚えている次第です。(実は苗字に一字“松”がつくので)
ファンとしては数ヶ月前のNHKのラジオ放送を聴き逃したことがとても悔しいです。
これからもホームページと作品、楽しみにしています。
投稿者 あさ子 : 2006年09月05日 20:21
>三味線のプロの方にお読み頂いたとは恐縮です。私は30年以上前に稀音家浄観師の内弟子だったというお婆様に少し習っていた程度ですが、亡き杵屋花叟さんという恩人に何かと教わったり、ご本を頂戴したことや何かが「心残して」につながったように思います。
投稿者 今朝子 : 2006年09月06日 00:01
