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2006年08月19日
豚シャブサラダ
中身はシャブシャブ用豚肉、アスパラガス、ベビーリーフ、玉ねぎスライス、キドニービーンズ。練り胡麻、酢、醤油、蜂蜜、砂糖、味醂、ニンニクのすり下ろし、ラー油を適当に混ぜて作った自家製胡麻ドレはGOOでした。NHKBS2で「男はつらいよ」を見ながら食す。マドンナは若き松坂慶子で舞台は大阪。冒頭夢のシーンで寅さんが浦島太郎になったのできっと出るだろうと大いに期待したが、着ぐるみでカメに扮した佐藤蛾次郎には笑えました。
ところで本編放映の前にシリーズの豆知識コーナーみたいなものがあるのだが、今日は啖呵売に使う「けっこう毛だらけ猫灰だらけ」とか「合点承知之助」の類を取りだし、わざわざ古典落語のレコードを引用して、これらは江戸時代から伝わる独特の言い方だというような解説をしたのでちょっと驚いてしまった。そうか、もう寅さんは古典芸能なんだ!って感じである。
「けっこう毛だらけ」なんてのが日常的に使われてたのを聞いてた世代ってどの辺までなんだろう?一方で渋谷にたむろってる今の若いコの言葉なんてほとんどチンプンカンプン(これも死語?)だし、高齢化と相俟って同じ国内で互いの言葉がどんどん通じなくなる「バベルの塔」状態に陥るのは確かなようだ。
その昔、「夕鶴」などの民話劇で知られる劇作家の木下順二先生とご一緒にお仕事をさせていただいたことがあって、シェイクスピア劇を多数翻訳なさった英文学者でもある先生から直に聞いたところによれば、シェイクスピア時代の英語と現代英語とではむろん違いはあるけれど、それは歌舞伎の言葉が現代に通じないのに比べれば微々たる相違に過ぎず、英文学の古典は日本の古典よりも同国人にとってはるかに読みやすいとのこと。裏を返すと要は日本語は昔からそれだけ風化が激しい言語ということになるのだろう。
原因のひとつには外国語の文物を摂取するたびに新たな翻訳言語に頼らざるを得ないからであり、近年ではパソコン用語がどっと増え、「立ち上げる」というこれまで無かった日本語が急に幅をきかせて独り歩きしだしたのが顕著な例だろう。
私がもうひとつの大きな原因と考えるのは、日本人のディスコミュニケーション志向であり、いわゆる「通語」の氾濫に象徴される問題だ。つまり業界内でしか通用しない語を使うのは業界外とのコミュニケートとをやんわりと拒むからにほかならず、世代によって言葉が違ってくるのも実はこれと同じ理屈なのだと思う。他者をはっきりと否定してそこからアウフヘーベンに至る道を歩まずに、次々と新たな言葉を作って無意識的に断絶を図っていくのが日本文化の本来的ありようではないか。
たとえば演劇では、能や狂言があり、歌舞伎があり、新派があり、新劇があり、アングラがあり、小劇場がありというふうになってしまっているが、そもそもこれは上の世代が作りあげた文化の中で下の世代が上と対決する面倒を避け、対決するだけのパワーがある者は新天地で一から始めるということの積み重ねから起きたことであり、地方の町村が若い人に見捨てられていった現象もまた同様の心的理由によるものと思われる。とにかく日本人が世代の違う人とコミュニケートして解決するのを面倒に感じるのは何も今に始まったことでもないような気がする。というわけで同国内ですら異文化コミュニケーションを面倒臭がる日本人が、英会話教室に通うだけで果たしてそれができるようになるのかどうか、私は甚だ疑問に思っておるのであります(笑)。
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