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2006年08月01日

豚と冬瓜のスープ煮

 前にQPで見た料理。冬瓜は少し炒めてから、豚は30分以上塩漬けにしてからスープで20分ほど煮る。椎茸と春雨を入れて、塩胡椒、醤油で味付けし、仕上げに生姜の千切りをちらす。
 NHKBS2で高倉健・倍賞智恵子主演の「遙かなる山の呼び声」を見ながら食事。これはたしか私が松竹に勤めていたころに製作された映画だが、何を考えてこんな「シェーン」のパクリみたいな映画を作ったんだろう!と映画宣伝部部の若手社員が嘆いていたので全く無視した覚えがある。それなのに今日なんで見てしまったのかというと、北海道の牧場が舞台で馬がいっぱい出てきたからであります(笑)。根っからインドア派の自分が年を取ってまさかこんなに乗馬にハマるとは思いませんでした。
 で、映画には北海道で行われる挽曳競馬やポニー競馬やその他いろんなレースのシーンが出てきて、中でも驚いたのはトロットレースという、ずっと速歩でかなり長い距離を走り通す競技で、これは騎手の肉体に与えるダメージがかなりのものだと想像されるのだが、健さんはこれをみごとにこなした。颯爽とした駈歩を披露するシーンもあって、ああ、なんてカッコイイんだろう!と、「唐獅子牡丹」以来のコーフンを覚えてしまった私である。


コメント(3)

こんにちわ。初めてのコメントです。私(♀)は、作品はすべて読んだ松井ファンの一人です。HPの方は、思い出してはちらりほらり遊びにに来て、楽しんでおりました。・・・昨日は、私もBS映画を見ながらの食事をしており、そして(今まで高倉健さんは気もしたことがなかったのに)健さんと馬が馳せる場面に、なんてかっこいい、かっこよずぎるではないか!と思わず叫んでしまっていたからです。すごいもんだ、健さんって。そんな偶然のわずかな共感に、ミーハー的(この言葉は今、使うのだろうか)に喜んでしまい、何か伝えたくなってしまいました。
でも、北海道出身の私。健さんの食事に、でーーんとタラバガニ&ごはんが出てきた場面では、かなり笑っておりました。それはな〜〜い。製作サイドとして、あれはマジなシーンなのか、笑いを取るシーンなのかどっちなんでしょうか。

投稿者 月野 : 2006年08月02日 17:21

失礼します。35年前、学徒援護会援農アルバイトに参加し、北海道は別海町の酪農農家40日間お世話になったことがあります。朝5時からの仕事、傘並みにでかいふきのとう、夕方霧の彼方を駆けるキツネたち。休みの日に観光に連れて行ってもらい摩周湖の水際へ、5分登り20分でした。それで、カニのお話しですが、何度かカニをご馳走してくださいました。それこそ、でーんと金だらい一杯。以後、何十年かずっとあのチマチマとしたカニの食べ方にはどうも馴染めませんでした・・・テケテンテンテンテン・・・。

投稿者 夕焼けさん。 : 2006年08月02日 20:32

>カニご飯の問題はよくわからないのですが(笑)、私は学生のころ2週間くらいかけて北海道をまわり、大雪山の黒岳に無謀にもヒールの高い靴で登って途中から靴下だけで歩くはめになったり、知床で漁船に乗ったらシケで船酔いしたりと、いろいろ懐かしい想い出があります。で、その後まったく縁がなかったのに、去年の春、それこそミーハー的に旭山動物園へ行ってペンギンのお散歩を見て参りました。

投稿者 今朝子 : 2006年08月02日 23:01



2006年08月02日

茄子とピーマンのそぼろ煮

 QPで見た料理。玉ねぎ、ニンニク、生姜のみじん切りと豚挽肉をじっくり炒め、塩胡椒、カレー粉で味付けしたものに水を加えてさらに砂糖、醤油で調味。このスープで乱切りした茄子とピーマンをじっくり煮込む。ピーマンはあとから入れて色よく仕上げるのがポイント。最後に水溶きカタクリでまとめる。
 ボクシングWBA世界タイトルマッチを見ながら食事。亀田興毅の試合はいつもニュースバラエィー番組で見せられていたが、本チャンを見るのは初めてだった。で、やっぱり親子兄弟が一列になり亀マークの門を潜って入場するというイロモノ仕立てなので、一瞬これはひょっとすると私が知ってるボクシングとは全く別の新たな格闘技興行なのかと思ったほどだ。そもそもTBSはフジK1の向こうを張ってボクシングをショーアップ化する魂胆で、電通あたりと組んでこの亀田一族という存在を世に出したということなのだろうか?
 試合が始まって驚いたのは、なんと1Rで興毅がダウンしたときで、ええっ、これで負けちゃったらTBSはどうするわけ……とマジに心配してしまった。が、まあ、その後よく立ち直って、とにかく両選手とも非常にタフで、あまり退かずに最後まで真っ向から打ち合う試合だったから実に面白かったのだけれど、興毅が判定僅差で新チャンピオンになったのは、いかにもホームだから根回ししたって感じで、ちょっと残念な気がした。今回は敢えて見送ってもよかったのではないか。まだ若いし、実にタフだし、チャンスはいくらもあるだろう。いかにボクシングも興行であるとはいえ、この人がチャンピオンになるならKOでならないと、イロモノのイメージは払拭しづらいのではないか、そうだと折角の逸材が勿体なかろうと思ってしまったのである。それにしても、女性の黄色い声援がこんなに大きく聞こえるボクシングの試合を見たのは初めてだ。


コメント(2)

今朝子さん、こんばんは。

う〜ん、日本のボクシングの判定ってぇのは理解しがたいですね。都合3度もダウンしたのにチャンピオン?
マスコミが大々的に取り上げたスポーツは、一気に火が付き盛り上がりますが反動が出そうです。ボクシングも格闘ショーにならねば良いのですけど。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年08月02日 23:11

>やっぱりというべきか。えらい問題になりましたねえ。亀田本人が気の毒です。

投稿者 今朝子 : 2006年08月04日 08:18



2006年08月03日

昨日のおかずの残りとお茶漬け

 私は一度の料理でだいたい4人前分くらい作って、人と一緒に食べないときは翌日のお昼に残りを食べるようにしている。で、今日は幻冬舎のヒメがゲラの戻しを取りにあらわれて、一緒に近所のイタ飯「クッチーナ」のランチを食べたが、そのボリュームが凄くてお腹が空かず、晩ご飯は残り物で適当に済ませた。
 若い若いと思っていたヒメも今や中堅社員として若手の相談に乗ってあげるようだが、今日は先だって辞めたという社員の話を聞いて思わず笑ってしまった。その若い女性は「何か自分の都合を優先して働ける編集の仕事ってないんですかねえ。やっぱりフリーライターになったほうがいいのかなあ」というようなことを言ったらしく、ヒメは絶句しつつも「おいおい、ライターにだって取材相手の都合とかあるんじゃないの!」と思ったそうである(笑)。虫がいいとはこのことだろう。
 もっとも私も若いときはずいぶん虫のいいことばかり考えていた気がする。前にもこのブログに書いたが、学生のころは仕事の内容もよくは知らずに編集者になりたいと思っていて、その大きな理由はただ朝あまり早く起きなくてよさそうだということだったのだから、われながらバカだったとしかいいようがない。
 虫がいいことを考えて、それが他人に話せるのは若さの特権だろう。年を取るとさすがにそうはいかない。私たちも昔はきっとこんな風に年上の人たちに呆れられていたんだろうねえと、お互いに言い合ったものであります。




2006年08月04日

おこわ弁当

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 今日のTVは朝から安倍官房長官の靖国参拝を取りあげているのだが、安倍晋三という人は私より一歳下で、子どもの頃からずっと靖国神社にお詣りしてたのだろうか?これは小泉総理やほかの自民党議員にも一度ぜひ訊いてみたいことのひとつである。やはり自民党に入るくらいの人たちだから、子どもの頃からとはいわないまでも、高校や大学に入ったくらいからは当然信念を持ってお詣りしてたと考えたほうがいいのだろうし、そうあって欲しいと思う。もし自民党に入ってから詣りだしたのだとしたら、それは英霊にとってただ迷惑以外の何ものでもなかろうと私は思う。
 私は昔一度だけあるひとを連れて参拝している。そのひとは私の育ての母ともいうべき女性だ。多少フクザツな生い立ちで、幼児期に実の両親と別れて生活しており、長らく実の母親に代わってそのひとが私の面倒をみていた。子どもがいない女性で、私を本当の子ども以上に可愛がって育ててくれた。
 そのひとはいわゆる戦争未亡人で、小さな仏壇に軍服姿の遺影と白い布に包まれた骨箱が置かれていたのをよく憶えている。骨箱の中身はただの石ころだと教えてくれた。
 そのひとは生家が貧しくて尋常小学校にもまともに行かずに子守奉公に出されたので、字を書くことも読むこともほとんどできなかった。二十歳過ぎまで女中奉公で苦労して、やっと結婚したのに、子どもができないうちに夫は戦場にとられ、ただの石ころになって戻って来たのだった。私が東京の大学に入ったとき、そのひとはどうしても一度は靖国神社にお詣りしたいというので案内したのである。
 二十年以上も前に亡くなったそのひとのあまり幸福とはいえなかった人生を想うたびに、私は日本が二度と戦争を起こしてはいけないし、どこの国でも戦争は起きてほしくない気がする。これは観念的にではなく実感としてそう思うのである。そして今回のように靖国参拝問題を政争の道具にすることに対しては非常に腹立たしい気がするのである。




2006年08月05日

冷やし中華

 具は煮豚、トマト、キュウリ、レタス。煮豚は電子レンジで簡単にできる。タレは酢、砂糖、醤油、胡麻油、ラー油少々を適当に混ぜ合わせて作る。
 三軒茶屋は非常に物価が安くて暮らしやすい町なのであるが、ティッシュペーパー5箱まとめていくらというヤツで、今日はスコッティー5箱160円の表示を見てさすがに驚いてしまった。スコッティーといえば今話題の製紙業界NO2「日本製紙」の製品だが、何かこの会社に問題でも起きたんだろうかと思うような投げ売りであった。
 ともあれ銀行を筆頭に、最近はどの業界も合併による再編が着々と進んでいるが、果たして出版業界はこの先どうなるんだろう?講談社と小学館と集英社の大型生き残り合併、両角川と幻冬舎の元の鞘に納まりました合併、新潮と文春の文芸心中型合併(笑)なんてのがあったら面白そうだけれど、たぶんそんなふうにはならないのだろう。なぜなら出版社に関しては、合併するメリットというものがほとんど考えられないからである。むしろ今でもかなりそうなってるようだが、小さな出版社が増える方向に今後もどんどん進んでゆくのではないか。そして現在勢いがある出版社だからといって、今後もそうとは限らないことだけは確かなのだ。
 そもそも出版業は興行よりもっと水商売で、瀕死の状態から一発当ててなんとか持ち直したケースを、この業界にさほど詳しいわけでもない私なんかでもいくつか知ってるくらいである。いっぽうで一時代を画した出版社でもあっさり消えてしまう例がいくらもあって、今は日記しか出してないような博文館や春陽堂がかつて業界一二を争う大出版社だったなんて、今の若い編集者はほとんどご存知ないだろうと思う。
 今ちょうど十返舎一九を主人公にした時代小説を地方紙に連載してるので、江戸時代の出版状況について調べることも多いのだが、当時の人口は現在の四分の一、漢字も満足に読めない人が大勢いたわりに、出版兼書店の数が意外なほど多くて、且つ開廃業率が非常に高いのであった。なお、このことについて詳しくお知りになりたい方は拙著を上梓したあかつきにご高覧賜りたいと存じます(笑)




2006年08月06日

中華総菜

 乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
いやー、このくそ暑いのに今日も乗馬に出かけたところ、なんと落馬してしまった!落馬は前に一度経験があるが、そのときは速歩で馬が躓いて前に投げだされるというパターンで、あれ、これなあに?てな感じで立ち上がってまたすぐ馬に乗れたのだけれど、今日は全然ダメ。駈歩のレッスンで、実に動きが重い老馬をインストラクターが叱って箒か何かで追い回したら、昂奮していきなり柵に激突するような恰好で走りだして、投げだされた私は頭に軽い衝撃を感じ、お尻をしたたかに打って、天を仰いだまましばらく起きあがれなかった。で、周りのインストラクターや事務方が大慌ててで飛んできて、クラブハウスでお尻を冷やして、湿布薬をもらったりして、そのときはもう全く大丈夫ですといって引き揚げたのだが、バスや電車で座ってるあいだはともかく、歩いたり階段を昇るのがとても辛い。ふしぎに降りるのは平気。なのでこりゃ変なとこにヒビでもいったんじゃないかと気が気でなく、さっそく慶応馬術部出身の友人福光さんに電話で問い合わせてみたら、とにかく明日一度整形外科に行ってレントゲンを撮るべしとのこと。
乗馬は考えてみたら実に危険と隣り合わせのスポーツなのだが、それだからこそまた面白いわけであって、今日の落ちる刹那のスリリングはたまらんものがありました(笑)。てなわけで、ただの打撲ですぐ治るようだったらもちろん来週も出かけるつもりです(^ 。^)/




2006年08月08日

刺身盛り合わせ、高菜ご飯ほか

 紀伊国屋ホールで井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」を見た帰りに文春の内山さんと近所で食事。
井上ひさし近年の傑作とされているこの作品を私はうっかり見逃していて、なんと今回初めて拝見した次第。で、初演の豪華メンバーからすればかなり小粒な座組だろうが、出演陣は皆それなりに奮闘好演の部類だと思う。ことに「早稲新」時代から知ってる久保酎なんかは、老け役でこんなにとぼけた味が出せる役者になったのか!と感慨深いものがあった。
 戯曲自体は恐らく初演メンバーの豪華さを反映してのことだとは思うが、やや盛りだくさんの印象は否めない。巡業中に広島で原爆の犠牲になった新劇俳優丸山定夫と元宝塚女優の園井恵子の一座をめぐる話の中に、戦時中における日系アメリカ人が置かれた立場の問題、終戦の決定が遅れたことに対する天皇と周囲の責任問題など、一本でも大きく扱えるテーマが何本も立っているので、ちょっと拡散した感じの芝居である。ただ面白いのは素人を劇団員に仕立てた設定で行われる劇中稽古で、各人がしろうとの棒読み段階から徐々に演劇性に目覚めていくさまを見せながら、築地小劇場の様相に言及するメタシアター的要素をからめつつ、演劇に対するオマージュを全面に打ち出した点だろう。まさに新国立劇場のこけら落としにふさわしい御祝儀戯曲だったということを、今回初めて知った私である。




2006年08月09日

真子鰈の薄造り、スッポンの卵寄せ、冬瓜と茄子の冷やし鉢ほか

 旧友の古沢さんと「銀座  あさみ」で食事。
古沢さんは日芸の演劇科を出てフリーライターになり、その後外交官夫人になったという変わり種で、現在はワシントンDCで暮らし、夏休みの帰国中に一度は美味しい日本料理が食べたいというので銀座8丁目にある京風割烹「あさみ」に案内した。「あさみ」は初釜等の茶事で仕出し料理を何度か食べたことがあり、これがなかなか結構なお味で、かねてから一度訪れてみたいと思っていたのである。
 海胆をたっぷり載せた胡麻豆腐の付出に始まって、鴨ロース等の八寸、向付は鱧の洗い、椀物はスッポンの卵寄せ、これに真子鰈の薄造り、鮑と古代米の蒸し物、鮎の塩焼き、冬瓜と茄子の冷やし鉢、最後に鯛茶漬けで〆て、ええっ、これでいいの!と思うような、東京としてはリーズナブルなお値段に感心した。正直いって鱧の洗いや鮎の塩焼きは「祇園 川上」のほうが遙かに上だが(笑)、椀物、蒸し物、冷やし鉢は凝っていてお味もいける。「京あじ」等で修業なさったという若いご主人はとても二枚目で感じのいい方である。ネットに情報が出てるのでここに場所までは紹介しないが、オススメしておきたい店だ。
 古沢さんから聞くアメリカの情報は毎回さすがに面白く、今日は多国籍社会の具体的なありようについていろいろと教わる点が多かった。私たちはアメリカが人種のるつぼだというふうに認識しているが、実際のところは多人種のパッチワークといった感じで非常に棲み分けが進んでいて、サベツ意識も想像以上に深刻化しているらしい。いわゆるWASPが世界でダントツにえらいという意識は揺るがしがたく、日本人はどんなに威張ったところで所詮ファーイーストの田舎者としか認識されないことをひしひしと感じる毎日だという。まあ総理からしてアレだから、そうした認識もやむなしとしかいいようがあるまい。




2006年08月09日

おこわ弁当

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。 
 昨日、一昨日と予定したスケジュールをこなしたものの、実のところ落馬の後遺症は全然治ってなくて、歩くのもスローペースだし、階段の昇降や腰を屈めるのが相当に辛いため、やたらにタクシーを使うはめになった。近所の整形外科で撮ったレントゲンには大きな骨折は見あたらなかったが、今日整体の先生に診てもらったら仙骨に相当なダメージを受けてるらしく、ともかくこの手の治療は整体鍼治療に頼るほかない。
 帰りに駅のホームで例によってキヨスクのタブロイド紙売り場を覗いて「米朝倒れる」の見出しにビックリ!帰宅したらちょうどうまい具合に米朝事務所の大島さんから電話がかかってきて、どうなの?と訊いたところ、昨日から事務所は大騒ぎで、お躰そのものは大丈夫だけれど、何せ老齢だから気力の衰えが何より心配とのことでした。
 ところで大島さんが電話をかけてきたのは「アエラ」の今週号で藤十郎襲名に関する私の談話を読んだからである。「よくぞまあ仰言ったっていうか、渡辺保までえらいヨイショしてるのに、あなたがあそこまでホントのことを話すとはねえ。わたし読んでひっくり返りそうになっちゃった」と元中村鴈治郎のマネージャーだった彼女にいわれて「私だってまさか、まんま書かれちゃうとは思わなかったのよ。そのうち松竹と自民党に殺されちゃうかもね(笑)」とお答えした次第。
 このブログをお読み戴いている方は恐らく私が何事に対しても相当に辛辣に書くのをご存じだと思うが、けっして対象にさほどの悪意はないのであって、ただ関西弁でいうところの「言いたいこといい」、つまりなんでも思ってることを正直にいわないと気が済まない性分なだけなのである。そのことに関しては、かなりのスケールダウンはしても、武智鉄二師の正統な後継者だと自負している。
 で、その昔、早稲田の郡司正勝先生は「松井さんはあれで本当に京都の人なのかしら?」と陰でいっておられたそうだが(笑)、たしかに京都人の父親は思ってることを正直にいわないほうが賢明だと心得ているふしがあって、私にはそれがどうも自己保身と臆病さのあらわれだとしか思えなかったために、逆にこっちは意地になって露悪的なまでにズケズケものをいうようになったのかもしれない、と今にして思う。かくして自己保身とは比較的無縁に振る舞って今日に至り、この歳になればもう守るべき何ものもないから、怖いものもまたないのであります。


コメント(2)

落馬の後遺症について、早く快方に向かいますようにお見舞い申し上げます。
私も、ここ何ヶ月か「50肩」に悩まされております。怖がりと面倒くさがりとで、専門の治療を受けておりません。自然治癒力にも限界あり。
さて、京都での大学時代は、一生懸命勉学に励んだわけではなくかなりちゃらんぽらんでした。ただ、主任の教授の言葉で、今でも強く覚えていることがあります、何故か一つだけ。
「帰属意識を捨てよ」とおっしゃったのです、どういうわけか焼きついて離れず、人生生活上で秘かな「羅針盤」となっており、でも、その生き方で、大いに満足感を得たことは無かった、当然。
で、10年前ぐらいに西日本新聞の訃報欄にその先生の記事があった。九州は鹿児島出身の方だったからかなぁ。
「帰属意識を捨てよ」ってようするにつるむなってことなのだろうか。自分で生きろと。これはなかなか・・・。

投稿者 夕焼けさん。 : 2006年08月10日 00:53

>その先生は、日本人の帰属意識が強い、というよりも欧米的、近代的な個人主義が確立されていないことを憂いてらっしゃったのかもしれませんねえ。私の場合、低レベルの話になりますが、小学校の運動会で、自分が白組だとなぜ赤組を応援してはいけないのだろうか(笑)という疑問を口にして、同級生にヘンな顔をされた憶えがあります。当時はどうも変わった子だと思われていて、それでも現代とは違ってなのか、周りがいい子ばっかりだたのか、別にイジメには遭わずに超然としてられたのが仇となって(笑)、その後もずっと帰属意識が薄いまま大人になりました。むしろ出身校だったり勤務先だったり国家だったりに帰属意識が強い人を見ると、なぜそんなに自己の外にあるものに思い入れられるのかが正直言って理解できないところがあります。手紙の宛先の書き方で東京都世田谷区三軒茶屋〇〇〇松井今朝子と書く日本式とKESAKO MATSUI 〇〇〇SANGENJAYA SETAGAYAKU TOKYOと書く欧米式に喩えると、私は昔から断然欧米式の意識に支配されていて、それが何故なのかは自分でもよくわかりません。

投稿者 今朝子 : 2006年08月10日 09:00



2006年08月10日

いなり寿司、もっちり豆腐ほか

 落馬後遺症のため2日連続で整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 NHKBS2で「ウォレスとグルミット」を見ながら食事。タイトルだけだと何なの?と思われるかもしれないが、間抜けな発明家と利口な犬が主人公の英国製粘土アニメと書けばご存知の方も多いだろう。犬の表情があまりにもよく出来ているので思わず見入ってしまった。とにかく少しずつ表情を違えた人形を何体も作って数年がかりで実写するというのだからまさに根気の賜物!である。短編を何本か続けて放映したが、ひょっとしてピングーのアンチパロディ?といいたくなる「ペンギンに気をつけろ」なんてのはなかなか面白い作品だ。
 賢明で淡々とした犬のグルミットは英国ならではのキャラだろう。四半世紀前に私が初めてロンドンを訪れたときは、日本がまだ今のような一億総ペット状態ではなかっただけに、英国人はなんて犬好きなんだろうと呆れ果て、怖そうな過激パンクの連中まで犬を連れて歩いてるのでびっくりした憶えがある。
 当時はサッチャー政権の1年目で、英国経済はどん底状態、若者は地べたに座り込んで全くやる気ナシ、街はどこもかしこ荒みきって新聞紙が舞ってる感じの中で、私は「キャッツ」の初演を見たのだった。英国にはその後も何度か行ったが、経済回復を反映して街はどんどんきれいに、人はおしゃれなっていくのが如実に感じられた。今日はこのアニメを見てまたそろそろ行ってみたいなあと思っていたら、ニュース番組でヒースロー空港のテロ騒ぎが流れて、嗚呼!またしても……と溜息が出る。レバノン情勢の悪化も含めて、この先アラブVSアングロサクソン&ユダヤの問題はどうなるんだろう。
 




2006年08月12日

福光邸晩餐会

 文化出版局の福光さんは私が28歳でフリーライターになったころ最初に仕事をもらった相手で、当時はTODAYという雑誌の編集者、現在は「ミセス」の副編集長だ。4つ年下だが、実に落ち着いた人だと思っていたら、すぐに結婚なさって、たった1度か2度ライターとしてお付き合いしただけの私を何故か結婚式に招いて下さった。以来長ーいお付き合いになるが、知れば知るほど見かけと違ってメチャメチャひょうきんな人柄だとわかり、今では全く気の置けない友人である。で、長く女性誌を手がけてるだけに舌も肥えてるし、仕事がら珍しい食材や食器なども手に入りやすいというわけで、年に1度まるで火山に溜まったマグマが爆発したような勢いで、質、量ともに半端じゃない手料理を振る舞ってくださるのである。今日は一応イタリアンで、これも昔の仕事仲間だった光武さんと一緒におよばれした次第。写真は3点しか載せられないが、参考までに献立の全品をここに記しておく。
 前菜は生ハム載せメロン、バナナ載せゴロゴンゾーラ(これは美味しいお試しあれ)、桃載せクリームチーズ、アボガドのディップ、サーモンのディップ、茸のバルサミコマリネ、白インゲン豆のマリネ、カポナータ(ラタトイユに似てるが、ラタトイユほど煮込まずフレッシュに仕上げてあり、秀逸の味わいだった)、トマトとモッツァレラ、ビシソワーズ(これだけフレンチ)、ミートソースフジッリ、十穀米のリゾット、ポルチーニのパスタ(この2品は一流のリストランテに出せる味付けだった)、ラムチョップローズマリー風味、手作りジェラートとムース。午後5時から食べ始めて食べ終わったのが10時半。いやはや作りも作ったり、食べも食べたりである(笑)。




2006年08月12日

鉄板焼き

 今夜は天王洲にお住まいの岡野夫妻に東京湾花火大会のお誘いを受け、お土産にする枝豆を茹でていたら、一天にわかにかき曇って、稲光が走る、雷は鳴る、窓から凄まじい風雨が吹き込む、ベランダにいた2匹の亀が慌ててバタバタと部屋に這い登ってくるというような騒ぎで、花火は中止に!大量に茹でてしまった枝豆を何とかしなければと思い、急遽スラッシュの進藤さんと守部さんをわが家に呼んで会食と相成った。つまるところ連夜の飽食大会で、カロリー計算の心配どころか、寝られるかどうか心配なくらいお腹が張って苦しい。




2006年08月13日

茄子とピーマンの炒め煮、具だくさん冷や奴

 落馬後遺症が癒えず、今日はさすがに乗馬を断念(涙)。連日のカロリー過多を反省して、今夜の晩ご飯は粗食気味に。茄子とピーマンは胡麻油で炒めてシラスと一緒に砂糖、酒、醤油で味付けして煮込んだ。豆腐にはミョウガ、オクラ、納豆を載せた。
 NHKスペシャルの「日中戦争」を見ながら食事。例年、終戦記念日前後は戦争関連の番組が多くなるとはいえ、今やさすがにぎくしゃくしてる日中関係を無視できなくなったのか、これでは相当に突っ込んだかたちで南京大虐殺を扱い、蒋介石が当時いかに国際社会の耳目を意識した外交戦略を取っていたかという事実を明らかにして、大変に興味深い番組だった。番組が終わった直後、実家の母がすぐに電話をよこして、自分たちが当時いかに何も知らされなかったかということがこれでようやくわかったと喜んでいた。
 ところで、この手の番組を喜んで見るのは恐らく中高年主体で、私より若い人たちが見ても今ひとつぴんと来ないのではないか。例の靖国問題でも、中国人が日本人の文化になぜケチをつけるんだ!とか、現代の私たちと関係のない過去をいつまでも根に持たれては困る!というのが私よりも若い人たちの本音かもしれない。しかしながら中国は何も過去を根に持っているのではなく、むしろ未来をにらんで日本を非常に警戒しているにちがいない。米国はすでに来るべき対中戦争を想定してグァム島で大規模な軍事演習を行っており、そこに集う戦闘機は日本全土の基地から飛び立っている様子が今日の夕方東京12CHで放送されて、私にはNHKスペシャルよりもむしろこちらのほうが生々しくてショッキングな映像だったのである。
 


コメント(3)

盂蘭盆となりました、父と姉が近くに戻っております。さて、10年以上前に京都市出身の歌い手さんの20周年リサイタルが府立芸術会館であって、九州から出かけました。終了後がちょうど大文字の送り火でした。ご承知のとおり暑くて暑くて、私は大満足でしたが、一緒に来た娘と連れ合いには大不評の京都旅行でした。イヤイヤ・・・、13日(日)のテレビ鑑賞は、松井さんと同じですね。「反戦平和」・「差別を許さない」こういう課題は、日常に生活にどっぷりと浸かってしまうと、ともすれば、どうでもいいことになったりしかねません。それが私です、いつもスタートからです。あと、暇つぶしのはずのDVD、「リトル・ダンサー」が大変良かったで

投稿者 夕焼けさん。 : 2006年08月14日 16:58

>終了後がちょうど大文字の送り火でした。

このお話がどうしてもフシギでたまりません。13日に大文字の送り火をしたのでしょうか?

投稿者 今朝子 : 2006年08月17日 08:56

 すみません、中身がごっちゃになっておりました。
 整理しますと、今から12、3年前の8月に私の青春の地である京都へ家族三人で九州からお盆お休みを取って出かけました。一人娘が小学生の頃でした。学生の頃出会った歌い手さんの歌い始めて確か20年か25年のリサイタルが8月15日に広小路の府立文化芸術会館であったのです。コンサート主催者の粋な計らいで、終了して外に出ると、そろそろ大文字の送り火点火の頃だったのです。でも、暑いし延々と歩かされるしで、娘や妻には、不評の京都旅行でした。懐かしい思い出です。
 13日は、ついこないだの2006年8月13日のことであります。二つの番組、どとらも私も観ておりました次第です。

投稿者 夕焼け : 2006年08月17日 10:05



2006年08月14日

豚肉のバーベキューソース

 前にQPで見た料理。リンゴ、玉ねぎ、生姜、ニンニクのすり下ろしを混ぜてウスターソース、ケチャップ、醤油で味付けしてソースを作り、豚肉をそれに1時間以上漬け込んでから焼く。焼くときにはソースをしっかりこそげとって焦がさないようにするのがポイントある程度火が通った時点でふたたびソースを注いで煮詰める。付け野菜はアスパラガスとモヤシにした。
 今朝起きるといつも通りにまずパソコンの電源を入れてからトイレに行き、歯磨きと洗顔を済ませ、ゴミを出し、玄関の花瓶の水を換えようとしたら、なんと水が出ない!どこの蛇口をひねっても出ないので、大家さんのインタホンを押したが、これまたどういうわけか鳴らない!パソコンの電源もいつの間にか落ちてる!これって自民党の陰謀なの?と怯えながら(笑)表に出たら、近所の人たちが通りに出て停電だとガヤガヤ騒いでるのでひとまずホッとして家に戻った。なす術もなくぼんやりしてたらすぐに家中の蛇口からジャーと水が出始めて大慌てで締めてまわり、落ち着いたところでTVを見たら、東京の各地で原因不明の停電と報じている。すわっテロか!と一時は心配したが、なんのことはない、船のクレーンが送電線をかすっただけだということが判明したときは、都市の脆さを痛感して逆に恐ろしくなりました。




2006年08月15日

お茶漬け

 天罰てきめんというべきか、このところの過食が祟って体重が大台を1kgオーバーしたのと、昼ご飯を食べ過ぎたので、今晩はコレ。
 ああ、とうとう行っちゃったという感じで、今日のTVは朝からずっと小泉首相の靖国参拝問題を取りあげている。あの手の目立ちたがり屋さんを懲らしめるのは無視するのが一番なのを、マスコミもわかってはいるのだろうが、いいネタになるからつい騒いでしまうという悪循環で、結局してやられているのだから情けない話である。もっとも、そんなわけで、このブログでも再度触れないわけにはいかなくなった。
 靖国神社が戦没者の遺族にとって大切な祈りのトポスであることは私も十分認めていて、それは8月4日のエントリーで触れたからここでは繰り返さない。今日は小泉を初めとするさまざまな人が「日本の文化」という言葉をさかんに口にするので、時代小説を書く者の責任を大上段に振りかぶって、日本文化としての靖国神社とは何なのかという私なりの認識を書いておこうと思う。
 そもそも日本の神社は「氏神系」と「産土系」と「御霊系」とに大きく分けられると思うが、靖国神社は御霊系に属するようで、それは自らの祭礼を「みたま祭り」と称していることからも明らかであろう。御霊神は菅原道真が天神様になったのが典型的な例で、怨みをのんで死んだ者が尋常でない祟り(つまりは当時の人智を超えた自然災害や疫病)をもたらしたときに、その魂を鎮めるために祀って神とされたのである。日本の文化で御霊神として祀られるのは、体制に反抗したり犠牲となって怨みをのんで死んだ人に限るのが原則で、そうした原則に立ち帰れば、靖国神社がGHQに殺されたA級戦犯を祀りたいとするのはある意味で当然なのだろうと思う。むしろA級戦犯だけ祀っていれば一番自然な気がするくらいなのだが、問題はそうではないから厄介なのだ。
 ふつうの人が死ねば仏になるという考え方はあったとしても、神になるというような思想や文化は日本人には本来なかったといってもよい。明治維新の際に国事に奔走して志半ばに斃れた志士たちを慰霊する目的で「招魂場」なるものを発想したのは長州藩の人びとであり、それが次第に全国に広まって、東京ではかつて旗本屋敷が密集していた土地を焼き払って太政官政府が招魂社を築いた。これはたかだか130年ほど前の出来事に過ぎない。皇紀2600年とはいわないまでも、日本国の歴史は1500年前くらいにまでは遡れるのだから、断じて明治以降の浅い歴史だけで日本文化を語ってはなるまい。
 靖国神社に限らず、古くから存在する神社にしても、明治以降と以前とではまるで様相を異にすることもまたしっかり把握しておく必要がある。以前の神社は神仏混淆によって寺院の陰にある隠花植物のような存在だったのが、廃仏毀釈によって表舞台に躍り出た。廃仏毀釈は徳川政権と密着した仏教寺院のいわば既得権益を奪う構造改革だったわけだが、それまで日本人の拠り所だった仏教に代わって新たな国民宗教が必要とされるなかで、天皇家のいわば氏神を中心に置いた国家神道がでっちあげられていったのである。しかし国家神道は一気にできあがったわけではなくて、むろんそれ以前の国学による地ならしも無視できないが、それよりも天皇制と同様に徐々に堅固で揺るがしがたい雰囲気がつくり出されていったことの怖さを知っておく必要があるだろう。
 明治初期の神社がまだどんなにいい加減な存在と見られていたかという点について、私は東京日日新聞という比較的体制寄りの新聞を読んでいて、あるとき衝撃の記事に行き当たった。それは米国に留学している12歳の少女津田梅子(ご存じ津田塾女子大の創立者)が明治8年に親に宛てて書き送った手紙を末松謙澄が紹介するかたちを取ったものである。彼女は手紙の中でアメリカにおけるキリスト教の教会が如何に地域にとって重要な役割を果たしているかを説いた上で、日本には神社の土地がたくさん余っているからなんとそれを全部キリスト教の教会にすればよいと書いている!彼女が書いたことよりも、これを立派な考えとして紹介した末松謙澄(後に伊藤博文の女婿となる官僚)と、掲載した東京日日新聞の見識から推して、当時の日本において神社というものは所詮その程度にしか考えられていなかったのだという事実と、それがいつの間にか国民を戦争に駆りたてる道具として使われていった恐ろしさを、日本文化を語る上では見過ごすわけにはいかないのである。
 
 




2006年08月16日

おこわ寿司、もっちり豆腐

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 お昼は米朝事務所の大島さんと近所で食事をした。大島さんは胆石の手術を終えて昨日退院してきたばかりで、食欲がなくてもとにかく食べるように医者にいわれたそうである。王監督で有名になった腹腔鏡手術の痕を見せてもらったが、5カ所に小さな絆創膏がきれいに貼ってあって、まだ痛いのはおへその周りだけ、あとはもう痛みは全くないらしく、医療の進歩は確かにスゴイ!という気がした。
 ところで彼女は今年春に声帯ポリープの手術もしており、2度の入院で「日本も捨てたもんじゃないわねえ」と思ったそうである。「看護婦さんがみんな美人で、こんなきれいでカワイイ女の子たちが大変な労働を買って出てんだから、世の中いうほど悪くはないわよ」とのこと。私もときどき日本も捨てたもんじゃないと思うのは、財布やお金を落としたときである。そそっかしい性分で、東京に住むようになってから財布を5回も落としているが、いずれも警察に届けられて戻ってきた。最近でもよく駅などで小銭をばらまいてしまったりするが、若い人たちがみんな親切に拾って渡してくれる。そのつど、ああ、日本人はなんていい人たちばかりなんだろう!と感動しきりなのだ。
 しかしながら日本の国で断じて許せんのは右翼である。右翼の何が許せないといって、自分たちだけが国を愛しているかのような思い上がりがたまらない。私は昔から右翼ほど嫌いなものはないのであるが、前にもこのブログに書いたように、相手が犬猫であれ、馬であれカメであれ、腹が立つと相手のレベルにまで人格がダウンして噛みついてしまうので、加藤紘一の実家を焼き討ちした右翼のオッサンなんぞはいっそ日本刀で首を刎ねて四条大橋に晒してしまえ!といいたくなってしまった。
 そもそも右翼が思想的に一貫性を保っているなら、鬼畜米英に大和魂を売り渡し、天皇の判断なんかは関係ないと突っぱねて靖国参拝を強行した小泉邸をこそ焼き討ちするはずではないか。戦後の右翼は実はアメリカの手先だと書いていた本があったが、プレスリーの真似をした小泉の映像を見たときに、これを国辱と思わずに看過した右翼は本当にそうかもしれないと思ったほどである。
 右翼とは話が通じそうもないし、すぐ暴力に訴えるから、怖いなんて思ったらもうおしまいである。動物には噛みついてわからせるように、右翼には右翼にわかるような言葉を使って皆が一斉に責め立てないと、つけあがらせるだけだろう。さあ、殺せるもんなら殺してみろ。ただし殺したら七生までも祟りに祟って子々孫々親族一党根絶やしにし、お前の家とその近所にはぺんぺん草も生えないようにしてやる、というような言語しか通じない連中なのだ。


コメント(2)

今朝子さま
ほんとに毎回 そのとおり!と読ませていただいています。一人娘 22歳 4月から看護師として働き始めましたが、それはもう聞くのも辛くなる、時間的にも精神的にも激務です。確かに、周りは美人が多く、一生懸命でけなげな様子が娘の話からも、伝わります。あと 介護職いつく、若者も多い。「資格」にこだわる感が強くその結果とも思えますが、なんだか、おいしいものを散々食べ散らし、その後かたずけを、押し付けているような、妙な申し訳なさを感じます。

投稿者 tatsuko : 2006年08月17日 06:11

>なんだか、おいしいものを散々食べ散らし、その後かたずけを、押し付けているような、妙な申し訳なさを感じます。

ああ、私たちの世代はこの表現がぴったりですね。後かたづけをしてくれる子孫がいない私は余計に責任を感じてしまいます。ですからもう取り皿にいっぱい盛るのではなく、本当に食べたいものだけを慎重に選ぶようにしなくてはならない気がします。

投稿者 今朝子 : 2006年08月17日 08:49



2006年08月17日

牛肉とネギの焼きそば

 QPで見た料理。酒と醤油で下味した牛肉に片栗粉をつけて生姜の千切りを入れた油で炒め、そこに干し椎茸と、鶏ガラスープ、オイスターソース、砂糖、酒、醤油を加えて煮込み、最後に万能ネギと水溶きカタクリ、胡麻油少々を加えてタレとする。ひらべったくして両面を焼いた蒸し焼きそばにかければ出来上がり。
 今日は早朝から各局がアメリカのジョンベネちゃん報道に終始したのでポカンとしてしまった。以前この事件をワイドショーがさかんに取りあげていたときもちょっとフシギな気がしたのだけれど、今日のこのタイミングだとロシア海域の日本漁船拿捕及び乗員銃殺事件を大きく取りあげたくないからだとしか思えなかった。善意に解釈すると右翼的な人びとをあまり刺激したくないとも受け取れるが、今日に限らず、最近のTV報道のとにかく大事なことから目を逸らそう作戦は米国でも深刻だという話で、思えばそれはジョンベネちゃんあたりから始まっていたのかもしれない。で、日本のワイドショーも真似っこで、秋田の少女少年殺害事件に見られるような推理探偵ゴッコ的報道をずっと続けてたりするのだろう。マスコミはもう相当におかしくなってるし、むろん日本人もそうバカばかりじゃないからいい加減そのことに気づいている人も多いだろう思う。




2006年08月18日

雷豆腐

 近所のスーパーのパンフで見た料理。筍とつぶした木綿豆腐を胡麻油で炒め、そこに砂糖味醂醤油で味付けした出汁と椎茸とインゲン豆を加えて煮るだけ。夏ばてした胃腸に最適なシンプルかつマイルドな精進料理である。
 昨夜、妹と電話して、最初何か悪いことでも起きたのかと思うような不機嫌な声だったので心配したが、単に京都が暑過ぎる!といって怒ってるのだった(笑)。東京もここ何日は蒸し暑くて嫌になるが、今年の京都は暑さが半端じゃないそうで、こんなとこへ観光に来る人がいはるて信じられへん!と言ってましたので、もし出かけられるご予定があればお気をつけください。
 京都も暑いが例年もっと暑かろうという名古屋へ私は来週出かける予定で、今年まだ取っていない夏休みを過ごすことにしている。なぜ名古屋なのかの理由は後日のブログをご覧ください。
 
 




2006年08月19日

豚シャブサラダ

 中身はシャブシャブ用豚肉、アスパラガス、ベビーリーフ、玉ねぎスライス、キドニービーンズ。練り胡麻、酢、醤油、蜂蜜、砂糖、味醂、ニンニクのすり下ろし、ラー油を適当に混ぜて作った自家製胡麻ドレはGOOでした。NHKBS2で「男はつらいよ」を見ながら食す。マドンナは若き松坂慶子で舞台は大阪。冒頭夢のシーンで寅さんが浦島太郎になったのできっと出るだろうと大いに期待したが、着ぐるみでカメに扮した佐藤蛾次郎には笑えました。
 ところで本編放映の前にシリーズの豆知識コーナーみたいなものがあるのだが、今日は啖呵売に使う「けっこう毛だらけ猫灰だらけ」とか「合点承知之助」の類を取りだし、わざわざ古典落語のレコードを引用して、これらは江戸時代から伝わる独特の言い方だというような解説をしたのでちょっと驚いてしまった。そうか、もう寅さんは古典芸能なんだ!って感じである。
 「けっこう毛だらけ」なんてのが日常的に使われてたのを聞いてた世代ってどの辺までなんだろう?一方で渋谷にたむろってる今の若いコの言葉なんてほとんどチンプンカンプン(これも死語?)だし、高齢化と相俟って同じ国内で互いの言葉がどんどん通じなくなる「バベルの塔」状態に陥るのは確かなようだ。
 その昔、「夕鶴」などの民話劇で知られる劇作家の木下順二先生とご一緒にお仕事をさせていただいたことがあって、シェイクスピア劇を多数翻訳なさった英文学者でもある先生から直に聞いたところによれば、シェイクスピア時代の英語と現代英語とではむろん違いはあるけれど、それは歌舞伎の言葉が現代に通じないのに比べれば微々たる相違に過ぎず、英文学の古典は日本の古典よりも同国人にとってはるかに読みやすいとのこと。裏を返すと要は日本語は昔からそれだけ風化が激しい言語ということになるのだろう。
 原因のひとつには外国語の文物を摂取するたびに新たな翻訳言語に頼らざるを得ないからであり、近年ではパソコン用語がどっと増え、「立ち上げる」というこれまで無かった日本語が急に幅をきかせて独り歩きしだしたのが顕著な例だろう。
 私がもうひとつの大きな原因と考えるのは、日本人のディスコミュニケーション志向であり、いわゆる「通語」の氾濫に象徴される問題だ。つまり業界内でしか通用しない語を使うのは業界外とのコミュニケートとをやんわりと拒むからにほかならず、世代によって言葉が違ってくるのも実はこれと同じ理屈なのだと思う。他者をはっきりと否定してそこからアウフヘーベンに至る道を歩まずに、次々と新たな言葉を作って無意識的に断絶を図っていくのが日本文化の本来的ありようではないか。
 たとえば演劇では、能や狂言があり、歌舞伎があり、新派があり、新劇があり、アングラがあり、小劇場がありというふうになってしまっているが、そもそもこれは上の世代が作りあげた文化の中で下の世代が上と対決する面倒を避け、対決するだけのパワーがある者は新天地で一から始めるということの積み重ねから起きたことであり、地方の町村が若い人に見捨てられていった現象もまた同様の心的理由によるものと思われる。とにかく日本人が世代の違う人とコミュニケートして解決するのを面倒に感じるのは何も今に始まったことでもないような気がする。というわけで同国内ですら異文化コミュニケーションを面倒臭がる日本人が、英会話教室に通うだけで果たしてそれができるようになるのかどうか、私は甚だ疑問に思っておるのであります(笑)。




2006年08月20日

五穀米弁当、もっちり豆腐

 今日はこのクソ暑いなか、落馬で打ったお尻の痛みがまだ残っているにもかかわらず乗馬に出かけてしまい、無事2鞍の騎乗をこなした!バンバンザイである(笑)。ただ一つ残念なのは甲子園の壮絶な決勝戦が見られなかったことくらいかも。
 正反動という馬の上下振動をまともにお尻に受ける乗り方があって、それはさすがに無理かもしれないと思ってたら、意外と急所に響かなかった。馬によって相当に揺れの激しいのもいるが、クラブ側の配慮もあってか、当たったのが抜群に素直で乗り心地のいい牡馬だったので大いに助かった。
 無理を押して出かけたのは、間があくと却って恐怖心が出るように思われたのもあるが、もう一つ理由がある。
 実はこの1週間ずっと躰が不調で、手足の至るところにぴりっとした妙な痛みを感じ、それがあちこちに走るので、こりゃ神経痛が全身に広がったのだと恐怖していたのである。それ以前から顔面と首の軽い神経痛に悩まされ、左肩が痛くて手が後ろにまわらなくなったりしたので整体治療を続けていて、肩は完治し、首がまだちょっとというところまで来て、今度は打撲でお尻が痛くなり、さらに全身ぴりぴりなもんで、ともかく近所のドラッグストアに足を運んで神経痛に効く入浴剤を探していたら、親切な店員さんに、それは更年期障害による甲状腺異常のケースと脊椎異常のケースが考えられるので、一度またMRIを受けるなり血液検査なりをしたほうがいいですよといわれた。で、取り敢えず近所のクリニックで問診を受けたところ、顔面と首だけなら頸椎か脳神経の異常で説明がつくが、手足までとなると代謝異常が考えられるからといってひとまず血液検査を受け、明日月曜日にその結果がもらえるという状態だったのだ。
 で、自分でもこれは脊椎を傷つけたというほどの大げさなものではなかろうと思いつつ、このぴりっとした痛みはなんとなく憶えがある、大昔に体育会系のクラブ入っていて急にやめた直後と似てるかも、という気がした。考えてみれば左肩が痛くなったのも、実は去年の夏あまりの暑さに乗馬をふた月ほど止めたときからで、ひょっとしてスポーツで作られた筋肉はそれを止めると歪みが生じるのではないかと考えて、ならば迎え酒ならぬ迎え乗馬をしてみよう(笑)てなわけで出かけたのであった。結果、今のところ通常の筋肉痛はあるが、不快なぴりぴり感や顔面と首の神経痛っぽいものは消えている。要は毎日乗馬してろってことなの!といいたいくらいである(笑)。
 ともあれこの歳になると躰全体にガタがきてるのが如実にわかるのだが、躰をかばおうとすると弱っていくいっぽうのような気がして、私はあるときから「昨日の自分に負けてなるものか!」を合い言葉に頭脳と肉体を積極的に酷使するようになった。どうせ身をかばったって生きたって、あといいとこ二、三十年あるかどうかだし、せっかくこの世に生まれたからには自分を使い切って死んだほうが得じゃんという、ガメツイんだかなんだかよくわからない気持ちに支えられると精神がとても安定することを、これから更年期を迎えられる皆様のご参考までにお教えしておきます。 




2006年08月21日

生春巻き、トムヤムヌードルほか

 広尾の「バンコクキッチン」でスラッシュの進藤さんと食事。
 取り敢えず、早実優勝おめでとう!病床にある王監督の執念が実ったというところでしょうか。早大OGの私も久々に「紺碧の空」を歌いたくなったほど。といっても何せ昼間は仕事をしているので全部見たわけではありません。午前中ずっと執筆を続けて、昼食を食べながら前半少し見てまた仕事にかかり、ちょっと行き詰まったところでTVのスイッチを入れたら八回裏が終わってところで4対1。これで初優勝間違いなしと思ったら、9回表でなんと駒大苫小牧は2ランを放つというしぶとさにビックリ。さらになんとラストバッターがエースの田中君で、今にも泣きそうな顔をしていた彼が粘りに粘って三振したあと、自分もやるだけのことはやったという満足感と敵ながらアッパレという悟りの胸中を覗かせて、ふっと笑った顔をカメラが捕らえた瞬間、フィクションでもこれほどうまくは行くまいと思えるドラマチックな幕切れに感動して、私はついほろっとしてしまいました。
 それにしても早実エースの斎藤君は老舗の若旦那といった感じの古風な二枚目、西武の西口のような頼りなさそうな感じで淡々と投げながらスゴイ勝負度胸の持ち主であります。あの松坂大輔の童顔と凄腕のギャップに勝るとも劣らぬ大エースといえるでしょうか。とにかく今年はプロ野球がくすんでしまった中で、WBCと甲子園が野球というスポーツにとって救いの神だったといえます。
  ところで原稿の執筆が行き詰まったのは、どうしても調べがつかないと書き進められないことが出てきたためで、今日は先日の血液検査の結果が出る日だってのでまずクリニックに寄ってそこを出たのが七時半、慌ててタクシーを飛ばして広尾の中央図書館に駆けつけたところ、なんと休館日には絶句!で、仕方なく近所の進藤さんを呼びだして一緒にご飯を食べて帰って来たというわけです。血液検査の結果が頗る良好だったというのはまだ救いだったでしょうか。




2006年08月22日

中華弁当、もっちり豆腐

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 きのうの失敗で今日は2度に渡って外出するはめになった。
 まずは朝から広尾の中央図書館に出かけて、資料が出てくるのを待つあいだ、開架式の書棚を何げなく見ていたら『動物と人間の考古学』という魅力的なタイトルの本が目についた。私はいま人類が馬に乗り始めたのはいつ頃で何がきっかけだったのかというようなことに興味があるので、ひょっとしてその手のことが書いてあるかも、と期待しながら手にとって、パッと開いたところの章タイトルに目が釘付けとなってしまった。
「堂島のスッポン遺体について」なんじゃコレ???ってな感じでミステリアスなタイトルに魅了され、しかも大好きな亀の話でもあるし(笑)、私は思わずその章を最後まで読んでしまった。で、要は江戸時代に諸藩の蔵屋敷が密集していた堂島の跡地で大量にスッポンの骨が出てきて、どうやらスッポン鍋を食べていたらしいというのが判明し、その骨を事細かに調査してみると(本には骨の写真が満載)、江戸時代のスッポンの捌き方は現代のそれとほとんど変わらなかった!という事実がわかったそうなのである。だからどうよ!などと言ってはならない。うっかり全文を読んでしまった私がバカなのでした(涙)。
 まあ、人生、何をやっても死ぬまでの暇つぶしといえなくはないのだけれど、この前世田谷パブリックシアターでカブト虫のアフォーダンス映像を見せてくださった先生にしても、人文系の学者さんには究極の暇つぶしを発見して幸せになっておられる方が多いような気がする。スッポンの捌き方なんて昔からそう変わらないことくらい別に調べなくても常識で考えたらわかるんじゃないの?と思うのはシロウトで、それをマジに調べちゃうのが学者なのだということは一時大学院に籍を置いていた私にはよくわかるのであった。
  お勉強が好きでマジメな人の危険性については芥川龍之介が「常識」という短編寓話で端的に書いているが、人文系の学者さんなら比較的自己完結的だからまだいいのだけれど、これが官僚とかになるとそういった常識を欠いたマジメさが大いなる災いをもたらすのである。なぜ巨大な湖を干拓してまで農地を増やしておきながら、その後減反政策をしなくてはならなかったのか。なぜ車がめったに通らない道路や橋がどんどん出来てしまったのか。なぜ若年人口が減少してるのに大学がまだ増え続けているのか。すべては常識を欠いたマジメな官僚たちが、悪気もなく、ただマジメに計算をしていたらそうなってしまったのである。
 私より若い世代の人たちを見ていると、ある面で私たちよりずっと優秀なのだけれど、優秀な人に限ってマジメなのがちょっと困るなあと私はときどき思うことがある。私が昔大学院で見ていたマジメな学者さんは物事をけっして根本から疑ってかからない人が多かった。そして自らを正しいと思い込んでいるのが実に困りものだった。日本もここまでぐ人倫が乱れるとその反動としてマジメさが讃えられ、マジメで且つ自らを正しいと思い込む若い人が増えるだろう。それがちょっと怖いなあと、私は今から憂慮しているのである。




2006年08月24日

生ハムとルッコラのピザ、魚介のマリネほか

 国立劇場で市川流舞踊会「市川ぼたんお披露目」公演を観た帰りに伝統文化放送の前川さんと近所で食事。
 お茶の同門である堀越智恵子ちゃんは父君が市川団十郎、お兄ちゃんが海老蔵で、顔はふたりによく似ているが、性格は控え目でとても素直な、いかにも育ちがいいといった感じのお嬢さんで、お茶の稽古に最初に現れた日以来ふしぎと稽古場でよく会うから、何となく御縁のようなものを感じていた。その彼女が本格的に舞踊家として自立する覚悟で「市川ぼたん」を名乗るというので、これは応援かたがた駆けつけねばなるまいと思い、「鏡獅子」という大曲をどこまで無難にこなすか、まあ、若い女性のことでもあるし、鷹揚な目で観てあげようという気分で拝見したのである。
 ところがどっこい舐めてはいけない。これがなんと、ひいき目でなしに、近年になく素晴らしい舞台だったのだ。舞踊会に新たなスターが誕生した!と断言したいくらいである。
 まず、出からしていい。むろん当人が若いせいもあるが、御殿女中の処女らしい雰囲気がここまで出せる舞踊家はほかになかろうと思う。それでいて実に落ち着いた舞いぶりにびっくりさせられた。この若さと乏しい舞台経験で、これほどゆったりした間の取り方ができるのは、よほどの舞台度胸である。ひょっとすると度胸の点ではお兄ちゃんを凌ぐのかもしれないと思えるほどだ。2度ほど扇の扱いにミスが出たが、少しも動じることなく悠々と舞って見せた。しかも非常に表情が豊かで、そこはさすがただの舞踊家ではなく役者の血を引くというよりも、芝居や役者を身近に観ている利点であろう。素顔のつくりが派手なことも幸いしている。後ジテで隈を取った顔はさすがに団十郎の娘で、女性でこれほど隈の似合った顔を私は初めて見た。毛振りも腰から振れて数多くこなし、最後のキマリでは片足をしっかりとあげ、本当に彼女の今持てる力をすべて出し切ったパーフェクトの舞台だったように思う。甲子園の熱闘を観たような清々しい感動に包まれて劇場をあとにしたの私ばかりではあるまいと思う。




2006年08月24日

山芋と枝豆の揚げ煮ほか

 遅ればせながら明日から短い夏休みを頂戴して(別に独りでやってる仕事だから誰に遠慮する必要もないのだけれど)旅行に出るので、今日の晩ご飯は近所の総菜屋でゲット。
 前にも書いたが、旅行先は名古屋という渋さである。今年は仕事が立て込んでいて海外に出かけられないからといっても、なぜそんなに極端な近場にしたのか?理由は以前から名古屋港水族館に行きたかったからで、そこは日本一のウミガメ研究施設を一般公開してるのでした(笑)。実家の料理屋「祇園 川上」の後継者加藤君のご実家が名古屋にあって、母と妹ともどもご挨拶を兼ねて訪れるという目的もある。そのあと私は名古屋から電車で1時間ほどの恵那温泉に行ってそこで乗馬をするつもり。要は目下カメと馬しか楽しみがないのであります。できればさらに「夜明け前」で有名な馬籠のほうにまわるか、瑞浪の相生座で地芝居を観てこようかとか欲張りなことも考えていますが、暑いさなかなので無理は禁物。てなわけで、ケータイでアクセスするほどの根性はないために27日までこのブログもお休み。帰ってきたらまたすぐに写真満載で独り珍道中記を発表しますので、どうぞよろしく。


コメント(2)

ご旅行中、亀さんたちはどうなるのでしょう?
ちょこっと気になります。
私はウチの超内気な猫を預けることができず、最近の旅行はすべて1泊のみなんです。

ところで、馬関係の旅行といえば、外乗するのが一番愉しいですよ。山道の方が簡単ですが、海岸線を暴れん坊将軍のように疾走する(例えが古いですかね)のも一興です。東京から近場だと、山道なら軽井沢や小淵沢や富士五湖あたり、海なら千葉。北海道だと山坂越えて浅瀬を渡るながーい外乗コースがあるところもありますし、ハワイにはがけのようなところを登っていくのがありました。どれもお勧めです。

投稿者 猫並 : 2006年08月24日 22:49

>ご心配戴いて恐縮です。リクガメは1週間やそこら放置しても全く平気だそうですが、私は2日以上旅行するときは必ず近所の友人にみてもらうようにしております。
 もう少し巧くなったら、もちろんぜひ外乗旅行をしようと思ってます。実は乗馬を始めたきっかけは、独りで騎乗した経験がないにもかかわらずハワイで間違って外乗に参加し、馬が山道で動かなくなって、インストラクターが強く笞で打ったら突然駈歩をしだして、一瞬死ぬかと思ったほどの強烈にスリリングな体験でありました。

投稿者 今朝子 : 2006年08月25日 01:23



2006年08月27日

夏休みの旅行

 8/25は実家「川上」の後継者である加藤君のご案内で、まず彼のお兄様がオーナー兼シェフの中華料理店でご馳走になってから名古屋港水族館でウミガメ繁殖施設を見学(写真はアカウミガメの接写)。そのあとセリエAのトッツィーファンである妹に付き合う格好で隣接するイタリア村へ。ここは比較的新しくできたテーマパークで、この手の中では一番当たったという話である。テーマパークというよりもお台場のアウトレット街に似た感じかもしれない。乗り物の類はゴンドラと馬車くらいで、狭い空間にちまちまとイタ物ショップを並べたあたりがきっと羽振りのいい名古屋お嬢のハートを射止めたってとこだろうなあ……なんてバカにしたようにいってる私自身、カメマーク入りの人気ブランドCARPISAのバーゲンを見てバッグと財布をゲットしたのだから世話がありません(笑)。で、とにかく水族館とテーマパークを非常に慌ただしく見てまわった末に、夕方5時には家族と別れて私は独り中央線で恵那に向かった。
 名古屋では1時間足らずで行ける身近なリゾート地として知られる恵那も、東京や関西人にとってはそれどこ?と言う人のほうが多いだろうと思うが、私がこの地名を知ったのは所属する乗馬クラブの系列馬場があったからである。例の落馬後に神経痛っぽい症状が強く出たとき、名古屋近辺の温泉をネットで探したらたまたま「恵那ラヂウム温泉館」というのがヒットしたので、ならここでいいや、と安易に決めてしまった。ネーミングからしてあまり多くは望めない鄙びた温泉旅館だと思っていたのだが、意外や意外、そこはかなり風変わりな宿で、なかなか面白い体験ができたのである。
 ネットで見たら本館の部屋と離れがあって、離れの料金は多少割高になっているものの、一般的な宿代を基準にすると決して高いわけではないので私は離れを予約したのだが、それがまず離れという響きから想像するイメージとはおよそかけはなれていて、むしろ和風ロッジと呼びたいような平屋建てが広大な敷地に何軒かあり、私はそのうちの一軒8畳2間の家(写真)の鍵を渡されてそこに独りで泊まることになった。むろん風呂場に行くには外を延々と歩くのだが、その間だれにも会わず、滾々と湧き出るかけ流しの広いお風呂が貸切状態という飛びきりの贅沢さ。さらに驚いたのは一応は旅館なので、食事は遠いところからしっかり運んでくれる。それもきっとありきたりの冷めたマズイ旅館料理だろうと思っていたのがまたみごとにハズれて、何度かに渡っていずれも熱いうちに運んでくるのがありがたく、品数を、えっ、コレだけなの?いいたいくらいに絞りきって、下手な刺身なぞは出さずに、飛騨牛の陶板焼き、合鴨ロースの叩き、鮎の塩焼き、土瓶蒸しと、地の物だけで揃えているから、いずれもけっこう美味しく戴けたのである。
 チェックインからお運びまで忙しく立ち働く若い女性はきりっとした美人で、私が料理を賞めたら「お客様にそう仰言って戴くのが何よりうれしいです」と実にしっかりした受け答えをなさるから、「こちらのお嬢さんですか?」と訊いたらやはりそうだとのこと。「兄が厨房におりますので、お客様のことを伝えたら歓ぶと存じます」との話で、「ひょっとしてこんな広いところをご家族だけでやってらっしゃるの?」とさらに訊いてしまい、「お手伝いに4,5人来てもらってますが……」とのことで、やはり小規模な家族経営の旅館なのだった。
 界隈は昔そこそこ栄えた温泉街だったのだけれど、奥のほうに大規模なホテルが進出してその煽りで櫛の歯が欠けるように消えた旅館が多く、「うちも少人数で出来ることは限られているので、できることだけきちんとやっていこうと思ってます」という彼女のしっかりした発言には感動してしまった。立派な岩組で造られたお風呂は流行りの露天ではなく、しかも換気扇もわざと付けていないのは、ラジウムが鼻から蒸気を吸い込むと一番躰にいいからだという話を聞いて、そのことも料理の品数を絞っているのも「できることだけきちんとやっていこう」というこの旅館のポリシーだと納得できたのである。
 ネットで探したらたまたまHPが目についたのでここに決めたのだと話したら、彼女は嬉しそうな且つ面映ゆげな表情で「今はやはり情報も大切だと思って、あれは私が人に教えてもらって、下手くそでもなんとか自分で作りました」と仰言ったので、ああ、こういう地に足が着いて前向きでいられる若い人は本当にステキだなあという気がした。老いも若きも世の中の情報に躍らされて余計な羨望に駆りたてられ、却って失意をこうむることも多いなかで、こうして情報も大切だと口にしながら身の丈にあった生き方を選び取るタフな精神力と豊かな心を持つ若い人だってまだいるのだから、やはり世の中けっして捨てたもんじゃないなのであります(つづく)。




2006年08月27日

続 夏休みの旅行

 8/26は朝から恵那の山中にある人里離れた馬場で乗馬。幸い人が少ないのでマンツーマンのレッスンをお願いできたのがありがたかった。眺めはバッチリ、空気も爽やかながら、日射しの強さは想像以上で焼けつくようなという表現があながち誇張ではない感じのなかで2鞍騎乗したあと、恵那からJRで中津川に出て、さらにそこから馬籠に向かう。馬籠はご存じ「夜明け前」の舞台となった中山道の宿場町だが、中津川からタクシーでどんどん山道を登りながら、かの有名な「木曽路はすべて山の中にある」という書きだしが実感できた。
 「木曽路だからお客さんは皆さん涼しいと思われるけど……」と運転手さんが曖昧な笑顔を浮かべたのでなんとなく嫌な予感はしつつタクシーを降りると、案の定またまた強い日射しと全然涼しくないのに閉口。名古屋の暑さは予想していたが、中部地方全体がこんなに日射しが強くて暑いというのは計算外で、考えてみれば緯度の違いにもよるのだろうけれど、今年の東京はとくに五月からずっと曇り空が続いているから、こちらが強い日射しに馴れていないせいもあったかもしれない。
 想像以上だったのは暑さばかりでなく馬籠宿の沿道も同様、とにかく慌てて下ると転げ落ちそうなほどの急坂で、さらにそこがまるで清水寺の参道のようにすっかり観光化されているのにはびっくりした(掲載した写真は人込み避けて撮った麓に近い緩やかな坂道である)。観光の目玉はむろん馬籠宿の本陣であり且つ島崎藤村の生家である建物だが、明治28年の大火で大部分は失われ、江戸期から残っているのはかろうじて隠居所(写真)のみ。かくして藤村記念館は自筆の原稿等の展示がメインとなっている。藤村の原稿は意外に読みやすく、頗る達筆でもなく、どちらかといえば幼い字なのがいささか意外だった。
 馬籠からふたたび中津川に戻り、そこからJRで今度は瑞浪(みずなみ)に向かう。瑞浪なんて地名は初耳だと仰言る方も多かろうと思うが、恵那より名古屋寄りになる土地で、たまたま先日会った伝統文化放送の前川さんが、この日そこで地芝居の映像を撮ることになっていると聞いて、私もそれをちょっと覗かせてもらいたくなったのである(つづく)。




2006年08月27日

続々 夏休みの旅行

 地方の農村などで土地の人びとによって伝承されている歌舞伎を地芝居と呼んでいるが、美濃地方は松本団升という良き指導者がいたこともあって、今でも地芝居が盛んな土地であり、古い芝居小屋も何軒か残されている。この日8/26の夜は瑞浪にある相生座で地芝居の興行があると聞いて、ちょうどたまたま付近に居合わせた者としては見なけりゃ損だという気になった。地芝居にも色んなレベルがあって、ここのはかなり水準が高いほうだという評価を前川さんから伺っていたことも私がそそられた理由のひとつである。
 瑞浪駅からまたタクシーで延々と山奥に入ったところにあるその芝居小屋は有名な四国の金丸座よりもやや小規模ではあるが、屋根の下には一本造りの巨大な梁が何本も見え、堅牢さにおいては金丸座を凌ぐ立派な建物であるのにまず驚かされた。前川さんが指摘された通り、さすがに材木の豊富な土地柄が生んだ芝居小屋だというべきなのかもしれない。
 演目はまず子どもたちによる『蟇妖術滝夜叉姫』で、タイトルだけ見ると歌舞伎舞踊の『忍夜恋曲者』を子ども向きに上演するだけかと思ったが、ドッコイこれがとんでもない掘り出し物で、山東京伝の読本『善知安方(うとうやすかた)忠義伝』にの筋に近いところを見れば、本家のほうではとっくに伝承が絶えた『世善知相馬旧殿(よにうとうそうまのふるごしょ)』が何らかの経緯でこの土地の松本団升に伝わって、丸本仕立てにされたのではないかと想像される台本なのであった。女性が中心となる軍記物という珍しいパターンの演目だけに、市川亀治郎あたりが本興行で復活したら非常に面白いのではないかと思った次第。今回は客席で歌舞伎の制作者や研究者をだれも見かけなかったが、松本団升系の地芝居はやはりそのつどしっかり目を行き届かせるようにオススメしたいところである。
 子どもだけでなく大人もちゃんと演じて、これにはむろん下手な人も巧い人もいるが、竹本の語りや三味線は素人の域を完全に脱した巧さで、それもそのはず地元の各座をかけもちするいわば半プロのような人たちらしい。で、舞台には本格的に回り舞台もあって「俊寛」を立派に上演した。素人役者がみごとにきめると五円玉を紙に包んだおひねりが客席から雨あられと降り注ぐのもこうした舞台ならではの面白さであった。
 夕方5時半から夜の9時半までしっかりと見届け、なんとか多治見までたどり着いて一泊し、きょう27日は名古屋にもどってもう少し何か見ておこうかと思ったが、デパートの中でも暑いのに恐れをなし、とにかく味噌煮込みうどんパックと味噌カツ弁当だけはゲットして早々に退散し、東京駅に降り立ったとたん、ああ、ここはなんて涼しい街なんだろうと思った私であります(笑)。
 なお写真はどれもクリックで拡大できます。




2006年08月28日

牛肉とピーマンのガーリックオイル炒め

 QPで見た料理。チンジャオロースーのイタリアンバージョンという感じで、牛肉とピーマンの細切りをオリーブ油で炒め合わせる。オリーブ油にはまずニンニクのスライスと鷹の爪を入れてじっくりとカリカリになるまで炒め、それを取りだしてからピーマンの細切りを塩炒めにしてまた取りだし、次に塩、黒胡椒、酒で下味して片栗粉を振った肉を炒め、ピーマンを再度入れてケッパーのみじん切りを加えて味付けする。最後に黒胡椒で調味して出来上がり。多少面倒でも別炒めしてから混ぜ合わせるのがベター。ケッパーがポイントで味付けは簡単だし、あっさりとしてなかなか美味な炒め物である。
 思えば久々の手料理で、何だか妙にオイシイじゃない!と自画自賛モードに突入し、作った分を全部食べてしまった。このブログの料理を見て年齢の割に油物が多すぎるという人がいるが、血液検査はパーフェクトでコレステロール値も中性脂肪も低いのでかなりいい気になっております。 




2006年08月29日

鉄火丼、アスパラガスの練り胡麻和え

 鉄火丼は前にQPで見たのを想いだしながら作る。ご飯には海苔と万能ネギの小口切りを載せる。鮪には少し胡麻油を振りかけるのがポイント。タレは鰹出汁、酒、味醂を加えて作った土佐醤油。温泉卵をトッピング。
 いやー、東京もまだまだ暑いのである。先週の土曜日に泊まった多治見という町はときどき真夏の最高気温が日本一を記録して話題になるが、たまたま乗ったタクシーの運転手さんはそのことを大いに嘆き、大体クルマが増えたのもいかんのですよと自己否定にもつながりかねないことを仰言ったので、私はなんとお応えしていいものやら困ってしまった。私とほぼ同世代か少し年上くらいに見えるその運転手さんは地球温暖化について深刻に憂いておられたが、「でもうちの女房なんかは、若い人たちがあとは好きなようにすればいいんじゃないのって言ってんですよ。私はさっさと死ぬからって。あと10年はともかく、20年30年先はもう見たくないから長生きはしませんて言うんですよ」と今度はやけに陽気な調子で仰言るもんだから、私はますます何も言えなくなってしまった。
 40代半ばのわが妹もよく同じような発言を洩らすので、私はそれを軽いウツ症状だと判断していたのだが、その運転手さんの話でひょっとしたら今や中高年の大部分がこうした投げやり族なのかもしれないと思われて、ちょっと怖くなったのであります。




2006年08月30日

五穀米弁当、もっちり豆腐

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 10年後のオリンピック招致先候補が東京に決まったところで、どうも喜んでるのは石原だけのような気がするのは、まず第一に北京の次の次が日本になる公算はどのみち低いからだけれど、今の若い人に「世界中のアスリートが東京に集結するんだよ」なんて言って聞かせても、だからどうよ!だろうし、過去の東京オリンピックを知ってる世代だと「ああ、ホント日本も変わったし、自分も年取っちゃったよなあ」とチョイ憂鬱になる人もあろうかと思う。
 かつて東京でオリンピックが開催された年、私は小学5年生で、今もNHKのプロ野球中継で流れるテーマミュージックを聞くとその当時のことが鮮明に想いだされる。私の中ではちょうど小学校の5年くらいから今日に至る自我が形成され始めたという感じで、ほかの記憶もそれ以前に比べてぐっと鮮明になるし、演劇に目覚めて早稲田の演劇科に進学したいと思い立ったのもちょうどこの年であった。
 演劇に目覚めたのは担任の先生が宇野重吉を崇拝する演劇青年だったからで、私が学校の先生の影響を強く受けたのは後にも先にもこのときだけだった気がする。それ以前は自閉的でぼんやりしてたし、以降はずっと先生というものを心のどこかでバカにしていた実にクソ生意気でたちの悪いゴーマンな優等生だったので、自分は先生には絶対になりたくないと思っていて、むろん教職は取らなかったし、大学院をやめたのも教員になりたくないのが最大の理由だった。
 子どもが事件を起こすとよく周囲が「あんなに良い子が、とても信じられません」というようなコメントを寄せるが、おざなりで言ってるならともかく、本当にそんな風に感じてる人がいるとは信じられなくて、表面的に良い子に見えるのは大概ワルとはいわないまでも、どちらかといえば大人を警戒し嫌っている子どもだと判断したほうがよさそうに自らの過去に照らして私は思うのである。ただしそういう子どもでも、年を取るに従ってだんだんと自分の欠点や限界に目を開き、他人に寛容になっていくはずだという逆性善説を信じていて、だから周囲がそういうタイプの子に鈍感なのが残念に思われてならないのだ。
 ともあれ昔の東京オリンピックの当時と今とでは本当に色んなことが変わってしまったと改めて感じてしまう。10年後はもっと変わってるどころか、まだ人類がいるの?といいたいくらいだけれど、わが家は42年前のマラソンと閉会式のチケットを入手し、私もそれが見られるはずだった。しかし平日だったからなのか、日帰りが無理だったのか、とにかく1日学校を休まなくてはならないために、親にいわれて一応その演劇好きの担任にお伺いをたてたところ、学校は休んじゃダメだ!と一蹴されて、結局見られなかったのがいまだに悔しい(笑)。今どきの親なら黙って学校を休ませるにちがいない。思えば当時はそれほどまだ学校や先生というものを親たちが尊重していたのである。




2006年08月31日

豚肉と茄子の揚げ浸し

 素揚げした茄子と下味して片栗粉をまぶして揚げた豚肉をネギのみじん切りを入れた自家製ポン酢(カボス、砂糖、酢、醤油を混ぜ合わせる)に漬け込むだけ。茄子は色づくまで、豚肉はカリッとなるまでじっくり揚げるのがポイント。
 夕方ベランダにいた亀♂がサッシを開けようとしてしつこくガリガリするので仕方なく中に入れて、洗面所で足を洗って拭いていたら、急に下からズンと突きあげるように揺れたので、一瞬、ああ、もうダメかと思ってしまった。果たして亀には地震予知能力があるのかどうか(笑)。前に強い揺れを感じたときはやたらにギュッギュッと鳴いていた。阪神大震災のときは水槽で飼われていたミドリガメが硝子の壁をつたって立ちあがったという話である。たぶん電磁波とか磁場の乱れとかを感知するに違いないので、私はわが家のリクガメたちを大いに期待しているのである。大地震のときはたいがい前日から予兆があるらしいから、亀がもし極端な異常行動を示したときはこのブログに書き込むつもりであります。ともあれ明日は関東大震災が起きた日でもあった。