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幕末あどれさん

ばくまつ あどれさん
2004年 PHP文庫
933円(税別)
ISBN4-569-66109-2


 黒船の来航から9年を経た文久2年。異国との戦いに備えて設けられた幕府の講武所に、剣の修業に励む旗本の二男、久保田宗八郎の姿があった。武士の行く末に疑問を感じた宗八郎は、かぶき芝居に惹かれ、立作者・河竹新七に弟子入りを果たす。世の中が大きな渦を描くなかで、芝居という虚構の世界だけが、渦に巻き込まれずにすむ場のように思われたためでもあった。かたや貧しい旗本の二男である片瀬源之介は、身を立てるために、幕府が新たに作った陸軍に志願する。西から起こった維新の動乱は、やがて江戸の町に到達し、宗八郎も源之介も、激しい嵐のなかで翻弄されていくことになる。そうして、ひとつの時代が終わりを告げたとき、それらの出来事は、めくるめく筋書きの大芝居のようにも思われたのだった……。

キャラクターガイド

久保田宗八郎 くぼたそうはちろう

 小納戸役を務める旗本の二男だが、家を出て本所に一人住まい。河竹新七が描く“悪党”に惹かれて、芝居の世界へ。人に構われるのを厭う偏屈な面をもつ若者。

片瀬源之介 かたせげんのすけ

 奥右筆組頭から小普請組に没落した旗本・片瀬家の二男。兄・弥市郎の出奔のおかげで、許嫁である井岡千鶴との婚儀もままならず、悶々とした日々を送る。

河竹新七 かわたけしんしち

 『三人吉三』や『白浪五人男』などで一世を風靡している狂言作者。浅草寺正智院の寺内に住み、“寺内(じない)の師匠”と呼ばれる。のちに黙阿弥(もくあみ)と改名。

片瀬弥市郎 かたせやいちろう

 本所南割下水に屋敷を構える旗本・片瀬家の長男。囃子方をつとめて出入りする芝居町で、宗八郎と出会う。貧乏な家に嫌気がさし、暮らしはしだいにすさんでいく。

花紫 はなむらさき

 品川の妓楼・相模屋(さがみや)の娼妓。芝居仲間と出掛けた宗八郎の相手をしたのが縁で、なじみに。以来、この女のもとが、何かにつけ宗八郎が逃げ込む先となる。
井岡千鶴 いおかちづる 白山に住まう旗本・井岡清兵衛の一人娘。遠縁にあたる許嫁・源之介との婚礼を待ち望むが、動乱の世は、父や源之介、そして千鶴自身の運命を変えていくことに。

書評ピックアップ

 腰のものに嫌気がさした男と、腰のものは頼りにならないと踏んだ男、二人の部屋住みの青年、フランス語でいう〈アドレサン〉の交錯しそうで微妙に出会わない人生をぐいぐいと描いていく。それぞれに知力も武芸の腕もありながら、ものにぴたっとめぐりあわぬ運命とでもいおうか、その運命の逸れ方が、いわゆる時代劇的なご都合主義、大仰なパターンにならない。現代人の心の揺れを思わせ、登校拒否や母子密着、OAに乗り遅れるサラリーマンなどまで彷彿とさせるところがあって、江戸の風俗や芝居の世界が抜け目なく書き込まれているだけに、心に惻々と迫る。(森まゆみ氏評・朝日新聞・1998年○月15日付朝刊より)

 ここには、目標に向かって一直線に進む尊王派などの、幕末ものにありがちな英雄は出てこない。だが、時にステレオタイプに堕してしまう英雄とは異なる等身大の青年を活写することで、一つの時代=壁を前に葛藤する若者という、いつの時代にも存在する人間像を描き出し、時代を越えた普遍性を持つ青春小説としても抜群の完成度を見せている。(末國善己氏評・朝日新聞・1998年10月12日付夕刊より)