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2016年05月01日

チョレギサラダ、参鶏湯、海鮮チヂミ、サムギョプサル、チャプチェ他

早くも夏日の今週末も新緑に賑わう乗馬クラブで2鞍騎乗。1鞍目は久々にハフアラブMIX尾花栗毛のウラ嬢に騎乗して、そのサクサク感と反動の少ない駈歩を満喫。1 8 歳のベテラン馬だけに、リスキーさも皆無で本当に安心して乗れる馬なのだけれど、とうとうオーナーがついてしまい、私が騎乗できるのは今週が最後と相成った。このクラブで最初に試乗した時から駈歩がスムーズに行って、要するに私のようなヘタクソでも安心して乗れるし、それでいて県大会クラスの競技会でも出れば必ず入賞するというスーパーホースながら、年齢的にはもうあんまり色んな人を乗せると怪我をしやすくなって健康寿命を縮めかねないから、出来れば一人の専属になったほうがいいものの、さりとて会友馬としても当クラブとしては貴重な存在だから手放せないような話を聞かされていたが、「功労馬だけに、色々と考えた結果いい余生を送らせたい」というわけで望まれた会員さんの手に委ねられることになったのだった。ところで私がウラ嬢に馬装をしていたら、たまたま洗い場の横にいたデカ鹿毛サラ10歳のオー君が「ねえ、今日は僕に乗るんじゃないの」と言いたげな目線をちらちら私によこすのがおかしくて、ここのクラブは会員数が少ないせいもあるのだろうし、またとても大切に扱われているせいか、馬たちはみんな人間にとてもフレンドリーで、構ってほしくて仕方が無いような素振りを見せるのが可愛らしいのだった。2鞍目はそのオー君にもしっかり乗ってダイナミックな駈歩をさせられたし、駈歩のスピードを落とさずに巻乗りするコツをS先生から教えてもらって、「今日はいい練習が出来ました」と先生にも評価され自分でも少しは進歩した感じをつかめたのが何よりでした。
乗馬の帰りはバリキャリのOさんのお誘いで大宮東口のクオンズで食事。Oさんは2月の創立20周年イベントの後にも今のクラブに遊びにお越しになって、入会したい旨をオーナーに伝えられたそうなのだが「今は満杯状態なんで、もう少し待ってくださいと断られたんですよ」とのこと。確かに馬は12頭でインストラクター2名という現状ではそう無闇に会員を増やすわけにはいかないにしろ、馬は1日にせいぜい1鞍か2鞍騎乗されるくらいだし、会員も概ねマンツーマンでみっちり練習させてもらえるという贅沢な環境を維持してもらっているのはお互い有り難い話であろう。
Oさんとは社会経済に関する色んな話が出たが、その中で「もう日経の電子版を取るのも止めたんですよ。ニュースも情報も今やネットで十分なんですよね」と言われたのはちょっと驚きで、男女雇均法第一世代であるOさんのような方でさえそんなふうに思われるようになったのか!!と、今後の情報の需給のあり方を考えさせられたものである。




2016年05月02日

塩だらとカリフラワーの蒸し煮

前にQPで見た料理。レシピは今年の1/5のブログを参照。
昨夜バリキャリOさんと岸田外相VS王毅外相の会談が話題になり、「中国のほうはバックに女性の外交官がずらっと並んでたのに、日本は一人もいなかったんですよ〜」と言われたところから女性活躍社会が叫ばれる日本の企業における実態というか現状について色々とお聞かせを願った。Oさんの会社は女性の活用が相当盛んなほうでも、諸外国に比べたらまだ十分でないのかもしれないのだとか。日本はこの件に関して今後はアジアの中でもどんどん立ち後れて「ひょっとしたらイスラム国よりちょいまし程度になるのかもしれませんねえ。だって雇均法から30年経ってもまだこの程度なんですから〜」てな話を聞いて、「根っこは一つだと思うんだよね」と私。「はあ?」とOさん。「要するに日本の組織の中で女性が活躍しにくい理由は、自分とあきらかに違う人に対してきちんとコミュニケーションが取れない日本人の民族性に由来するんだと思うワケよ。他人に対して堂々とはっきり自分の意見を主張できる人が少ないのと根は一緒なんだと思うんだよね。でもって、どんな業界でも、典型的なのが永田町の常識は世間の非常識みたいな感じで、その業界なり組織なりに属している人の間でしか通用しないコミュニケーションがまかり通ったり、イチバン楽にコミュニケーションが取れる方法として安易な血族世襲が横行したりするのも全部つながってる気がするんだな〜」と私。「そういうと、会議をしてても会議の中では意見が出なくて、みんなその後でなんだかんだいったりしますもんね」「でしょう。人の日常会話を聞いてても、まともに話してる人って滅多にいなくて、よくもこんなどうでもいいことを延々と話し続けてられるもんだと感心しちゃうわけよ〜」と私。「自分なんか結構はっきり言うほうなんだけど、あんまり言い過ぎちゃいけないって、年上の人には言われたりしますもんね」「そう。私なんかも昔よく言われたわよ。損するからって。でもこの歳になると、あそこでもし本当のことを正直に言わなかったら、私は一体どこで何をどれほど得したんだろう?って訊いてみたくなるわよ。多少の上下があってもそう変わらない人生というか、少なくとも気持ちの上ではやっぱ同じような人間になってた気がするんだよね〜」てな具合にあんまり年を取った甲斐のない青臭い話になったのでしたf(^ー^;


コメント(1)

青臭い話がとても楽しく思いました。加えて何故そこまで捻じ曲げるの?という受け取り方も俎上に上げて欲しく思いました。
 何となくこちら以外でたまにコメントを入れるとあまりにも思っていることと別の受け取られ方をしていて目を瞠ります。
 議論と言うのは相手の言う事を正しく受け取り相手に自分の考えを返す事だと私は思うのですが、何故か言ってもいないことをあなたはこう考えていると断定され議論になっていませんがな?と思うことが多々ありました(このブログでは無いのですが)。
 日本人の民族性から私は外れていると確信できるところと影響されているところがあるので議論に関しては日本人は議論できないと言う言葉に大きく肯いてしまいます。
 イスラム国に関してはチョイまし程度も肯けるのですが、数日前外出した折に電車で十三歳で結婚十四歳で出産という寄付の広告を見ました。中東の女性は、色々ではあると思うのですが、中には家畜より下等に扱われている印象を受けています。
 そして今本当のことを正直に言わなかったらどうなってたのかな?と女性が言える社会が抑圧されないで欲しいです。このまま行くとまた女性の発言は無視する社会になる可能性はゼロではないと思い怖いです。

投稿者 nao : 2016年05月02日 23:23



2016年05月03日

カボチャの鶏そぼろあんかけ、蛸と胡瓜ともずくの酢の物、ミョウガ豆腐

胆石の爆発を恐れて、こんなメニューに(^^ゞ
ところでさすがに民意の爆発を恐れてか、与党は参院選の争点にすることを日和った感じの改憲論議だが、アベボンだけはまだまだ同日選は無理でも年内の衆議院解散に持ち込むよう粘り抜く魂胆であってもフシギはないほど、改憲に政治生命を賭けているらしい。冷静に考えたら、戦後70年ものあいだ同じ状態が続いている憲法だから、別に改憲することにも何らフシギはないのだけれど、現行憲法を70年も維持していながら今さら「押しつけられたもの」だなんて言うバカ!!!な改憲論者がいるからこそ、当然改憲に反対したくなる人も出て来るわけである。それにしても、この「押しつけられた」などという、ある意味で無責任極まりない、しかも被害者意識的な発想をしてしまう民族性をいまだに有する限りにおいて、軍備や派兵を後ろめたい気分なく出来る国になったら、内外共にそのリスキーさをさらけ出すことは受け合いで、原発も始めちゃったがさいご数に歯止めがかからなくなったのと同じようなことが繰り返されて、結果だれも責任を取ろうとしないのは目に見えているというべきか。とにかくこの国の何が問題かといって、責任の所在が不明確だったり、責任を取るべきはずのポストに世襲の無能力者が就いても糾弾する姿勢に乏しいことや、近年では原発絶対安全神話に代表されるように、カミカゼが吹くから大丈夫的な意味ナシ楽観論が横行することで、たぶんそれは人事を超えて天災の多い国土に関連するものとおぼしいが、一応はそうした民族性をしっかりと認識した上で、自分たちに最もふさわしい国の体制は未来にどうあるべきかをきちんと考える憲法論議はもっともっと盛んであってしかるべきかと思われます(-.-;)y-゜゜




2016年05月04日

アサリと高野豆腐の煮物、トマトとレタスのサラダ

煮物はネットで見たレシピを参考に作る。アサリと高野豆腐を酒砂糖塩味醂醤油で調味して煮るだけ。仕上げワカメを加えた。サラダは自家製フレドレで食す。近所のマルエツで熊本産のアサリとトマトを見てこのメニューにしたのだが、今日の生鮮食料品売り場でもっと目を惹かれていささか驚いたのは、卵や加工食品売り場のコーナーの横に置いてあるマガジンラックで本屋大賞の『羊と鋼の森』が売られていたことでした(◎-◎;) こういう現象を当の本屋さんたちはどう思われるんでしょうか?
驚いたといえば、クルーズ上院議員が早くも撤退を表明し、トランプ氏が間違いなく共和党を代表する大統領候補になっちゃったらしいことで、アメリカ滞在の長い旧友のモリが去年の今頃はまだ「あれは単なるジョークよ!」と言ってたんじゃなかったけ?と思えば、これはひょっとしたら大統領にもなっちゃうんだろうか(◎-◎;)とそぞろ不安にもなるのだった。トランプブームは単にナショナリズムが強まっていることの反映だけでもなさそうで、今や先進諸国は色んな点でキレイゴトを要求されること、たとえば人権やサベツといったものに対して常に相当な配慮をしなくてはならない社会への反発やストレスが根っこにあるのかもしれない気がする。それと同時に、今や金融資本にがんじがらめになって出口の見えない経済状況下において、一向に報われる兆しも見えず見通しも立たない層の人たちがドラスティックな社会転換を闇雲に求めていることの現れでもあろうし、その点ではサンダース氏の支持層ともかぶるところがありそうだから、ますます予断は許さないようである。ともあれ他国ながらに今年は自国の選挙よりも注目を集めるかもしれません(-.-;)y-゜゜




2016年05月05日

ホースショー2016

例年世田谷の馬事公苑で開催されるホースショーに、今年はお馴染みの馬友バリキャリのOさん、人事部のSさん、ミセス副編の福光さんに加えて、馬事公苑がどこにあるのかも知らなかった!と仰言る元米朝事務所の大島さんをお誘いしての観覧と相成って、12時半に現地集合したら、まず会場が今までに無くとんでもないコミコミ状態なのでビックリ(!_+)これって賑わし神が揃っちゃったせいだろうか?いや、やっぱりオリンピックの改修工事で来年からしばらく見られないからだよね〜と思いながら、取り敢えず五人揃って座る場所を探すのも大変で、最後方の高い場所に立ったり、通路に座り込んだりして見始めたのだった。で、最終日のお目当てはフィナーレを飾る六段飛越競技ながら、その前に意外と面白かったのが障害物を高さでそれぞれ60〜120の点数に分け、時間内に跳んだ障害の点数を加算してトップスコアを競うという競技で、中にジョーカーと記された障害が点数をイチバン稼げるらしく、出場者が次々とチャレンジするも、よほど難しいのか成功率がメチャ低いのである。ところが可愛らしい女性騎手が登場し、彼女はこのジョーカーをなんと二度も跳んで、他の障害もほとんどクリアし、最後に挑んだ障害で失敗したものの、それまではスピードも結構早くて相当に優秀な騎手であるのが誰の目にも明らかだった。それにしても、みんなの拍手喝采がなかなか鳴り止まず、そのせいか彼女はついにヴィクトリーランよろしく手を振りながら場内を一周して私たちの目の前を通り過ぎたのはちょっと驚きで、「いくらなんでも、えらい人気だよね。ふつうあんなことまでするかなあ?」と私。「きっと地元の人なんだよ。だからみんな近所の人たちが応援してんじゃないの」と大島さん。「でも、この会場は近所の人って人数じゃないよねえ」と福光さん。「何なんでしょうねえ?」とOさん。4人が4人とも全く気づかずにいて、後ろで立って見ていたSさんに「あれ、朋ちゃんですよ。可愛かったじゃないですか〜それに会場の音楽だって変わったじゃないですか〜Im Proudに」といわれて呆然(@_@;)この前「炎の体育会TV」で馬術選手だった過去を証明してみせたばかりの華原朋美が出場したのか!そうだよね〜シロウトさんがふつうあんな真似はできないし、喝采もふつうじゃなかったよね〜と納得し、超コミコミ状態の一因にもようやく合点が行ったのでした(^^ゞ
眼目の六段飛越では、「炎の体育会TV」で朋ちゃんが騎乗した最高記録199センチ超えの芦毛が登場し、順当に最後まで勝ち進んだものの、決勝では場内がし〜んと静まり返って異様なほど緊迫した雰囲気になったせいか、馬もさすがにプレッシャーでおかしくなってバーを二度拒否して失格となったのはちょっと気の毒で、それまではバーの前半を余裕で軽く流して、最後のバーを思いっきり豪快に跳んでみせるなかなかの名馬でした。下の動画は六段飛越競技のもの。二段目の写真は熟練の調教師が両頭の白馬に足をのせて立ち上がったトリックホースの1シーン。




2016年05月06日

塩だらとカリフラワーの蒸し煮、キュウリとワカメとミョウガの酢の物

つい4日前にした料理を珍しくリフレインしたのは近所のマルエツで埼玉産の新鮮そうなカリフラワーが滅茶リーズナブルに販売されて、塩だらも特売品だったからであります(^^ゞ
今日はまず右のお知らせ欄に『歌舞伎の中の日本』英語版の購入サイトを載せましたのでご興味のある方はアクセスください。なお電子版に関しては後日またお知らせ致します。
昨日ホースショーの帰りに以前胆石の手術もされている大島さんから爆発的な痛みに襲われるまでの症状をいろいろと伺ったところ、私は紛れもない胆石の症状を胃炎の一種のように勘違いしていたらしく、とても簡単な手術なのでやはり痛くなる前に切ったほうがいいと勧められ、自身もまた喉の奥のほうがひきつるような違和感や、鳩尾の鈍痛が気になり始めたので、この夏にでも手術に臨む覚悟を決めた次第。で、人間ドックの先生から、いくらでも良い病院を紹介しますよと言われているので、結果報告書が来しだい頼んでみるつもりなのだけれど、「そんなのとか、かかりつけのお医者さんとかがいない場合には、自分が入ってる生命保険会社に紹介を頼むっていう手があるんだよね」と大島さん。「なるほど、そしたらきっとゼッタイ間違いないお医者さんを紹介してくれるわ。へたな藪医者を紹介して保険金の支払い額が増える一方じゃたまらんもんね」と私。「ところで保険金を貰う場合は、いつ、どうしたらいいの?」と訊いたら「貰うのはもう合併症とか引き起こさないと決まった待にしたほうがいいわよ。なぜなら治療費とかの証明書を貰うのに何千円ものお金がかかるからね。まとめて書いてもらったほうがいいのよ」てなことでいろいろ教わった上で、手術に立ち合いを頼むつもりの妹に電話でその話をしたところ、「そやねん。今何でも証明書もらうのにごっつうお金がかかんねん。たとえば『クスリやってますか?』て訊かれて『やってません』て答えただけで何にもせんと証明書を出して、高い高いお金を取られるケースもサギとかと違て実際あるからホンマ笑うしかないのよ〜」てな話を聞いて「その手の証明書は大概各省庁の外郭団体が発行してて、結局は天下りの人たちを養うための資金源になってんだろうな〜と思われたのでした(-.-;)y-゜゜


コメント(3)

痛くなる前に手術するなら腹腔鏡手術の可能性が高そうですね。傷も小さく回復も早いのですが、もしも何かのトラブルがあった場合すぐに開腹手術の対応がとれる病院とそうではない病院とありそうです。多分、人間ドッグの先生は信用できる病院を勧めるとは思いますが、万一があってもこの医師なら仕方がないと思える医師に出会って欲しいです。
 なんとなく今まで言った事と矛盾しているかもしれませんが、胆石手術なら受けてもその後の不具合は余り実感しないかもしれないと思っていました。決断されたのなら、それは今朝子様にとってベストの方法だと思います(偉そうに言っているように感じられたら大変に申し訳ありません)。実際は年上ではありませんが、近所のしょうもない世話焼きおばちゃんの戯言と思っていただけるとありがたいです。
 昨日の?の感じの朋ちゃんエピソードはなんとなくにやにやしてしまいました。何か?の感じが想像されて妙に面白かったです。

 

投稿者 nao : 2016年05月06日 23:44

そう。証明書の他に紹介状もばかばかしいですよ~。なんだか状とか証という語感がイカンのかも。
前~に阪大病院の眼科のなんだか物腰けったいな先生に開業医への紹介状を書いて貰いました。
もちろん有料です。「書くには時間がかかる」と言われて結構待たされ、封印された薄ぺらい封筒を渡されました。開封厳禁とありましたがそんなの守らへんのが我が心情座右の銘。
あんなに待ったのでさぞかし何十行と症状の説明やらが書いてあるかと思いきや。
ボールペンの擦れ具合も美しく~○○様です、よろしくお願い致します~と一行だけでしたわ(笑)
そんなために数千円。もったいぶりやがって、ゴラッ(今風にマンガ仕立にしてみた)
良心的な医者は症状によってはまぁ顔つなぎの意味合いの場合、名刺にチョコ書きしてくれますわ。

悪いセンセばかりではないですから胆石くらいは最新技術で治すのがええですよ。
最後になっちゃいましたが、お久し振りです、この頃忙しかったのでご無沙汰してます。
またピタっときたら書きこさせてもらいまっさ、そん時はよろしゅうに。

投稿者 毎晩晩酌 : 2016年05月07日 22:10

毎回、レシピが楽しみで拝読しております。酢の物の碧い器
が嬉しかったのでコメントしていまいました。40年近く前
六本木の和食器のお店で気に入り、まだ20代前半でちょっと背伸びして6個求めた思い出の器です。以来ずっと四季折々普段使いに愛用しております。
こんな事で一人盛りあがってすみません。これからも楽しみにしております。

投稿者 飯盛 雪子 : 2016年05月08日 21:36



2016年05月07日

8月の家族たち

渋谷のシアターコクーンで上演されているこの翻訳劇の映画版を私は一昨年に見て、某誌で映画評まで書いているにもかかわらず、芝居を見始めてしばらくはそれに全く気づかなかったくらい、また見終わっても全く違う印象を持つに至ったくらい、良い意味で違うテイストに仕上がっている。それは日本での上演台本と演出を手がけたケラの功績なのか、あるいはもともと舞台劇として書かれた原作とその映画化の相違によるものかは知らず、とにかくストーリーそのものは無惨で救いがないわりに、何故か全編笑いが絶えない舞台であり、そのことがホームドラマとしての現代性を獲得しているともいえる。世代や環境による感覚の違いによって今や家族っていいもんだよね〜なんてキレイゴトは全世界的に通用しない時代において、各人が露悪的にまで本音を追求すれば自ずとそこにはブラックな笑いも生まれるし、一方でまたそれでも生き抜く人間のしたたかさにも心打たれるのであった。そうした家族の赤裸々な本音や生と死の対比をコミカルに描いた「お葬式」という名画もかつて日本にあったが、これはいわばアメリカ版の「お葬式」であり、ただし死者はアル中で不審死、その妻はヤク中、彼らの間に出来た長女は母親に似て辛辣かつ独善的で夫を傷つけ離婚に至り、母の犠牲になっている四十過ぎの地味な次女は未婚の果てにとんでもなく道ならぬ恋に踏み込んでしまい、享楽的な三女はろくでもない男とばかりくっついたり離れたりしていて挙げ句の果ては……というようなエグイ出来事が目白押しなのもアメリカ的?いや、もはや普遍的な現代性の表れと見るべきだろう。映画はヤク中の母親役メリル・ストリープと母親似の独善的な長女役ジュリア・ロバーツが往年の美貌をかなぐり捨てた迫真の演技でぶつかるのがウリだったが、この二役に限ること無く女優陣にとっては非常にしどころの多い、いずれも女優心をそそる役に描かれていて、このコクーンの舞台でも母親役を麻実れい、長女役を秋山菜津子といった芸達者が好演し、悲劇的な結末に至る次女を常盤貴子、その悲劇の源となる母親の妹役はケラの笑いには欠かせない犬山イヌコが演じており、ラストで意外にもブラックな存在感を発揮するところがミソだろう。長女の娘でマリファナ漬けの少女を演じた小野花梨も現代っ子ぶりを遺憾なく発揮し、上演台本全体が別にアメリカでなく現代の日本でも聞かれそうなセリフに翻訳?翻案?されていることもまた、いかにもアメリカらしい自我ゆえの孤独を描いた映画とは違って、もっと普遍的な現代劇に仕上げているといえそうだ。久々に面白く見た翻訳物のストレートプレーだった。




2016年05月08日

豆キュウリの柚酢漬け、小松菜と桜エビの煮物、ひじき入り高野豆腐の煮物、平目のエンガワ巻き

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
連休の打ち上げとなる今週末も緑豊かな乗馬クラブの20×60の広い馬場でデカ鹿毛オー君に2鞍騎乗し、1鞍目は輪乗りの駈歩をした後すぐに蹄跡へ出たら、発進の合図が強すぎたのか、脚扶助で拍車が当たったせいか、デカイわりに敏感なオー君が爆走したため蹄跡は1周でおしまいとなり、後は巻乗りと肩内の繰り返しでレッスンを終えるはめに。2鞍目はさすがに爆走させないよう注意して蹄跡を何周か駈歩した上で、斜め手前変換における駈歩→速歩→常歩→駈歩の移行を何度か繰り返し「これはA2課目でイチバン点が稼げるパートですから、カラダにみっちり叩き込んでください」とS先生に言われるも、私には何だか猫に小判のようで、どうもまだまだオー君が手の内に入っているという実感はない。やはりオー君は私の柄にはデカ過ぎて、速歩ならまだ何とかこちらの腰の動きで緩急がつけられても、駈歩になればダイナミックな動きにこちらの腰が弾かれて、ともすればカラダごと持って行かれてしまう感じが抜けないし、またこちらが疲れて来ると脚で彼を抱えきれなくなって不安定この上ないのであった。それでも速歩でスピードコントロールが可能なら駈歩でも出来なくは無いはずなので、今後とも大いにチャレンジしてみたいものである。
今週はまた旧クラブからのお客様が相次いで、そのお一人に私の騎乗シーンをiPadの動画で撮ってもらい「松井さんは前よりずっと座りが良くなったし、腕も上がらなくなったじゃありませんか」と言われたものの、自分で動画を見れば手綱を持つ手と手の間が明らかに開き過ぎで、先生によく注意される点を改めて納得した次第。先生は自分の悪いクセや成長の度合いを知るためにも必ずどこかの時点で動画を撮っておいたほうがいいというご意見なので、恥ずかしながら今はまだオー君に持って行かれちゃった場合の動画を下にアップしておきます。で、この動画を撮ってくださった方は自身でもビジターレッスンを受けて大満足でお帰りになったものの、次ぎにお越しになったのは既にビジターレッスンを2回分消化して、もうウチの馬たちには乗れないにもかかわらず、クラブの雰囲気がお好きになられた自馬持ちのAさんで、Aさんは私のレッスンを見ながら「やっぱり馬に持って行かれちゃってる感じだわねえ」と評された一方で、S先生に何かと馬場馬術の心得を聞いて「ああ、良いこと聞いた。来た甲斐があったわ〜」と歓んでお帰りになったのでした。
ところで明日は父の転院に伴う手続きのため早朝から京都に行って日帰りか一泊して帰宅するつもりですのでブログはお休みします。連休明けで何かと仕事の連絡が入りやすい日なのですが、この日に決まったので仕方なく留守にします。連絡がつかなくても、どうか捜さないでください(笑)。




2016年05月10日

京都行

5/9は早朝に出発し京都郊外の亀岡病院で父の入院手続き。この病院に附属する老健には孫が理学療法士として勤務するところから、自らここに転院を希望しつつも、会えば意外なほど元気な様子で笑いながら開口イチバン「なかなか死ねまへんわ」とはご本人の弁。妹のダンナの親友でもある理事長先生と、担当医になられた院長先生ともお目にかかって何かとお話を伺いながら一通りの事務手続きを済ませたが、去年創立50周年を迎えたものの病棟はつい三年前に移転新築されたばかりとあってシティホテルみたい雰囲気だし、看護師さんも多くてお会いした皆さんイイ感じの方ばかりだったので、ここなら安心してお任せできる気がした。何より甥っ子が関連施設に勤務していることの安心感もあります。亀岡は京都駅からJR嵯峨線で20分ほどだから、私にとっては京都市内の端々よりもはるかに行きやすい上に、車窓から保津川上流域の絶景が眺められるのもウレシイ。新緑に恵まれた亀岡盆地から京都市内へは甥っ子のマイカーに乗せてもらい、修学院にある父の借家に一泊し、翌日は母の墓参りをする前に京の新緑を求めて南禅寺周辺を散策。連休明けで且つ小雨が降っていたせいか、珍しく人混みのない京都の初夏を満喫しました。




2016年05月11日

新玉ネギと鰹の刺身サラダ、アスパラガスのレンジ蒸し

サラダはQPで見た料理。酢砂糖醤油オリーブ油を混ぜたタレに新玉ネギの薄切りと生姜のみじん切り、鰹の刺身を漬け込んで、サニーレタス、プチトマト、クレソンと併せたもの。生姜は皮ごと潰してからみじん切りにすると香りが立ってベター。クレソンの刺激も意外に効果的なアクセントになって非常に美味しく食べられた。アスパラガスは京都の小笠原さんから北信州産のをどっさり頂戴しm(__)m何しろ新鮮なので超シンプルなレンジ蒸しにして、これまた集英社の伊礼さんから頂戴した沖縄産のパウダーソルトを振って大変おいしく戴きました∈^0^∋
連休明けで昨日今日は他にもいろいろと頂戴物をし、予想されたことではあるが、方々から仕事の連絡が入るなどして結構アセアセでした(^_^;今は一時のように物凄く忙しいというわけではないのだが、持病の癪ならぬ胆石を抱えて手術を予定しているために、仕事に支障を来さないよう、日程のやりくりをするのにいささか神経を使うハメになる。というのも六月は出張仕事を二つも抱えており、手術をその前にするか後にするかで、一昨日まではすぐにでもしちゃいたいくらい胃が圧迫されてるような不快感があったのだけれど、人間ドックの検査報告書がまだ来てないから病院を紹介してもらう段取りもつかず、おまけにどうやら頼んですぐ手術の運びになるわけでもなさそうで、昨日整体のジモン先生に伺ったところでは「六月の末だったら早いほうじゃないですかねえ」とのことだから、後ひと月半以上なんとか爆発をさせないよう、取り敢えずは食生活に気を配ることにした。もっとも最近は油を使った肉料理などガッツリ系の食事をすると眠れなくなるほど胃が重くなって鳩尾に鈍痛を感じるので、必然的に避けるようにしていて、たまたま今日のQPは今の私にも食べられそうな献立だったのが幸いでした(*^^)v




2016年05月12日

訃報

ショックを受けたなぞと私が書くのはおこがましい気がするくらい蜷川さんの訃報に接して愕然とし、呆然とし、悄然とし、焦惑し、慨嘆し、疲労困憊なさっている方々の顔をあれこれと想い浮かべながら、このブログを書いている。今年になって、持ち直されてもう大丈夫と聞いた覚えがあるだけに、関係者の衝撃は計り知れない気がする。
蜷川さんと初めてお目にかかったのは文化出版局発行の「ミマン」という女性誌で、翻訳家の松岡和子さんがシェイクスピア作品を、私が近松作品を隔号でそれぞれ1本ずつ取りあげて解説的なエッセイを試み、それの連載一周年記念か何かでゲストにお招きして鼎談が催された時である。当時まだ私は本当に駆けだしの作家で、それでも蜷川さんはきちんと『仲藏狂乱』を読んでお会いくださったものと記憶する。
私のほうは蜷川さんが手がけた商業演劇の舞台を初期の作品から、正確には松本幸四郎(当時市川染五郎)主演の『リア王』からほぼ欠かさず観ていて、時にはすっかり感心させられたが、視覚的には優れた舞台でも役者のセリフ等には聴覚的な難があるといった批判的な目を向けることも多く、どこまで正直にそうした感想を述べていいものやら迷う気持ちもあったので、元「ぴあ」の演劇記者で蜷川さんと懇意だった進藤さんに鼎談の立ち合いをお願いした憶えもある。蜷川さんは進藤さんを「この人は時々コワイこと言うんだよね」と評して彼女の辛辣な感想をもちゃんと受け止める度量のある人だというのがわかったので、私も初対面で正直に話せたし、また蜷川さんが武智鉄二先師を演出家として尊敬なさっていたこともあって、以来、大変なご厚誼を戴くようになった。当時まだ今の私の年齢くらいだった蜷川さんから、進藤さんと私は「老害にはなりたくないから、俺の演出がもうダメになったと思ったら、必ずそう言ってくれよ。二人にお願いしますよ」というようなことを何度か頼まれた憶えもあり、以来こちらも率直な感想を述べるのが義務のような感じでシアターコクーンやさいたま芸術劇場の舞台を見続けたのだった。ところがお会いして以来、蜷川さんはダメになるどころかどんどんスゴイ演出家になっていって、最晩年に至るまで私がその義務を果たすことなく見送れたのは幸いというべきなのかもしれない。こちらもできるだけ舞台を初日に観るようにして、終演後に楽屋をお訪ねするといつも「あっ、コワイ人が来た」と笑って歓迎くださり、近年は車椅子からわざわざ立ち上がってご挨拶くださったのも忘れがたい想い出だ。このブログもよくご覧になっていて、楽屋にはブログの拙劇評がプリントアウトして貼られているというような話などを聞くと、どうしてそこまでの厚誼が得られたのか自分でもふしぎな気がするほどで、本来およそ仕事上の接点といえそうなものはほとんど無い関係だったのである。
ただ一度だけ直木賞受賞後にさいたま芸術劇場主催の公開対談「NINAGAWA千の目」のゲストに招かれた際、対談前に「ねえ、僕に芝居の本を書いてよ」と言われ、私が「もう芝居のほうはちょっと。今は独りで完結できるから、役者のわがままには付き合いきれなくて」とあっさり袖にしたのがよほどアタマに来られたらしく「小説家はわがままなんだよな〜」と珍しく棘のある言い方をなさったことがあった。考えてみれば世界のニナガワを袖にしたのは今にして惜しい気もする反面、あの時へたに芝居と関わる機会を得なくて良かったという思いもある。昔から芝居は血を荒らすといって、関わったがさいご足抜けするのが難しいのを既に経験済みだったからこそあっさり断れたので、もし関わっていれば今夜の嘆きはこんなものでは済まなかったはずだ。その手の喪失感は武智先生の時で私にはもう十分なのである。
それゆえ芝居の現場で蜷川さんと関わっていた方々の喪失感を思うと本当に胸が痛む。現在稽古中の舞台もあるはずだが、とにかくそれは無事に初日が明いて、こういう時こそ素晴らしい舞台になることも、かつて芝居に携わった身として確信する。
ただし長い目で見た時は、やはり蜷川さんの不在が演劇界にもたらすダメッジの大きさを思わずにはいられない。まず大きな劇場を機能的に使いこなせて、且つ大きな劇場がペイする興行収益をあげられるだけの旬の俳優を呼び寄せられる演出家が他にどれほどいるのかについては、以前より懸念されていた問題のはずで、これまで高齢の演出家に寄りかかり過ぎていたことの歪みがいっきに表面化するのではないか。
そうした興行面の心配ばかりでなく、ゴールドシアターやネクストシアターといった蜷川さんが一から育成した俳優たちが今後の活動範囲を狭めることや、彼らによる実験的な舞台を観ることが出来なくなくなるのは非常に惜しまれるのだった。なぜなら晩年の蜷川さんの仕事はスターシステムの公演よりも、むしろゴールドやネクストの公演にこそ見るべきものが多かったからで、そこに多大な情熱を注いでいた姿こそ蜷川さんが終生現役だったことの証に他ならない。政治的にもまた当時正統的と見られた演劇界に対しても反体制的なアングラから出発し、演者や観客を挑発する舞台を作り続けた人が最後に私を心底感動させたのはネクストシアターの「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」で、こまどり姉妹が出現したシーンであった。とかくハイブロウになりがちな演劇に芸能の底辺から揺さぶりをかけようとするアングラ精神がみごとに活かされた舞台で、ここに蜷川幸雄が老子のいう「帰根」した姿を見た思いがしたものだ。もう二度と現れることがないであろう日本が誇る世界のニナガワと少しでもお話ができたのを今は良き想い出として、謹んでご冥福をお祈り申しあげます。


コメント(2)

本当に残念です。
初めて観たのは35年以上前で
ずいぶん夢中になったものですが
最近ではこのブルグの劇評で心惹かれ拝見したものもあります。
丁度1年前のリチャード二世もそうでした。
その時のパンフレットを見ながら
ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 天 : 2016年05月13日 07:34

まさに、私もネクストシアターの「ハムレット」、こまどり姉妹登場の場面を思い出しながら、昨日は各局の訃報をザッピングしてました。今年1月の「元禄港歌」が最後でしたが、観た芝居は多くなかったものの、全身で舞台に引き込まれて、芝居の面白さを満喫するのが毎回でした。特に印象的だったのは「NINAGAWA十二夜」、大震災直後の「たいこどんどん」、昔読んだ原作を実現化してくれた「ジュリアス・シーザー」等々。最後まで現役で通し、最高峰の舞台を提供し続けた蜷川氏の舞台を堪能できたのは幸せでしたし、もっと見ておくのだった、と悔やまれますが、このブログで劇評を読んで切符を買った舞台も多く、教えて頂いたのを感謝して、ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 ウサコの母 : 2016年05月13日 22:21



2016年05月13日

東海道四谷怪談

国立劇場で前進座が『東海道四谷怪談』を上演するのが34年ぶりだというのを知ってショックを受けたのは、その34年前の公演の際、私は当時ぴあ誌の嘱託ライターとして先代の河原崎國太郎さんにインタビュー取材をした覚えがあるからだった。人生ホントあっという間で悲しくなるが、1時間のお約束が2時間半にも及んだそのロングインタビューの内容を、私は既にほとんど忘れているのだから、これ以上長生きをしてもどんなもんだろう(¨;)という気がしている。ともあれ先代はインタビューで明解な理論武装をした主義者であるのが如実に判明したにもかかわらず、演じられたお岩様は歌右衛門の近代的なそれよりもはるかに古風な味わいがあって、可愛らしさが哀れさにつながるといった印象を受けたものだ。今回は孫に当たる二代目が演じて、こちらは古風というよりも現代風の可愛らしさを持ったお岩様で、嵐芳三郎の伊右衛門ともども現代の家庭崩壊劇を重ね合わせられるような等身大的な新鮮味があった。等身大的だからそれなりの哀れさはあっても、しかし怖さやおどろおどろしさはない。今回の上演台本では髪梳きが済んでから「もうこの上は気を揉み死に」のセリフになるが、せめてその件りからはもう少し手強い調子でやってもらいたい気がした。芳三郎は広也の頃から達者な人だったが、達者なだけに本来は伊右衛門のニンではなさそうで、見かけももう少しタッパが欲しいところ。退座した瀬川菊之丞が佐藤与茂七役で客演しているが、今回かなり若返ったメンバーでの公演だけに、この人が加わったことで舞台にに安定感が出た。さらに先輩格の藤川矢之輔が直助権兵衛に扮してコミカルな味わいを醸しつつ随所で高麗屋流の束見得を披露するなどして年季のほどを発揮。お袖やお梅を演じた若女形も結構な有望株として育ってきている。台本は全体的にスピーディ且つコンパクトに、それでいて端役のセリフからも筋がきっちり通るようにわかりやすくまとめられているのがいかにも前進座流であった。

ところで明日から岐阜県に出張のため、土日のブログ更新は休止し、16日(月)から再開します。岐阜出張は新幹線情報誌『ひととき』で美濃歌舞伎を取材するためで、詳細は帰宅後にお知らせ致しますので悪しからず<(_ _)>




2016年05月16日

蜷川さんのお葬式

今日は正午から青山斎場で執り行われた故・蜷川幸雄氏の告別式に文春の内山さんと参列。式場には読経のみならず蜷川演出の舞台でよく用いられたBGMが流れ、さまざまな名舞台を回想させられた一方で、平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎、小栗旬、藤原竜也の五人による、それぞれ本人にしか読めない弔辞に強く胸を打たれた。中でも涙声に終始した藤原竜也の弔辞に貰い泣きで滂沱を禁じ得なかったのは、蜷川さんに対する哀惜の念というよりも、師弟の別れとして、武智先生を喪った時のことが否応なく想い出されたからだ。それまでの弔辞にも、かつて舞台を共にした人の葛藤や、先々の舞台を約束していた人の喪失感が如実に窺えて、演劇人が亡くなった悲しみにはやはり格別のものがあるのを改めて思い知らされた感じである。演出家の資質には紛れもなく情愛の深さが極めて大きな比重を占めるのが、五人の弔辞ばかりでなく参列した数多くの俳優、関係者の表情や態度に見て取れた告別式であり、そのことは葬儀委員長の埼玉県知事が会葬御礼の挨拶の際にちょっと驚くような貰い泣きを洩らしていたのが証左ともなろう。出棺の際には急に不穏な風が吹き荒れて周囲を彩る青葉が騒然とし、それら全体がいかにも故人の退場にふさわしいダイナミックな地球規模の舞台装置のように見えたものだ。それにしても80歳の高齢にして、多くの人にここまでホンキで死を惜しまれる人(無論だからこそ本当の意味での終生現役なのだが)は希有なはずで、それはまた世の多くの人に羨まれてしかるべきことに違いないと思いながら、合掌してお見送りをしたのだった。
さすがに葬儀の写真は撮らなかったので代わりに昨日訪れた岐阜のローカル芸能である美濃歌舞伎の舞台写真をアップしておきます。


コメント(1)

私が死んだときこのように悼んで貰いたいと思うお葬式です。
本人は覚悟していたのでしょうが、周りが引き止めたくて堪らない優れた方だと思います。
 そして寿命があればまだまだやりたい事を叶えたかったのではないかと思います。
 名前は聞いた事がある人なのですがその人となりは亡くなった時に一番分かるような気がします。とても尊敬しご冥福を心よりお祈りいたします。
 蛇足ですがこの方に私は足元にも及ばない普通の主婦(主人にはとんでもない主婦と日頃から蔑まれた発言をされますが)なので、高望みな気もしますがこのように死んだとき人に悼んで貰いたいと思います。

投稿者 nao : 2016年05月16日 23:00



2016年05月17日

焼き魚定食

整体治療の前に大宮ルミネ内の寅福で食事。
胆石の手術を決意したものの、人間ドックの報告書が届かないので病院の紹介もまだ頼めぬままで、どう急いでも6月の下旬以降になるのは必至だから何とかそれまで保たせなくてはならない。で、イチバン心配なのは6月下旬に予定されている青森講演旅行の件で、同行される集英社の伊藤さんにちらっとその話をしたところ、今日さっそく薩摩の黒酢とリンゴ酢を頂戴した。というのも胆石を爆発させないために整体のジモン先生から酢を勧められた話もしたからで、先日来、朝晩には目下クエン酸を溶かして飲んでおり、そのせいか鳩尾の鈍痛が治まって夜は比較的よく眠れるようになっている。面白いのは先生にいわれる前から何となく酢の物が食べたくなっていたことで、つまり自然とカラダが要求するらしい。岐阜旅行の際もたまたま食事が朝から晩まで鮨責めになったのだけれど、ふつうなら嫌になりそうなのに意外なほど食が進んだのも同様の現象かと思われる。油物や肉類も自然と余り食べたくなくなっていて、こういう点はわがカラダの適応力を認めてやりたい。てなわけで、これからはQP一辺倒の晩ご飯ではなくなりそうです(^^ゞ


コメント(2)

青森講演はいつ・どこでですか?
又 先生にお目にかかれます事 楽しみにしております。
お大事に・お大事にしてくださいませ。

投稿者 小山雅子 : 2016年05月18日 07:44

青森の講演、今回は八戸と五戸の高校生を対象としたものなので、ご聴講戴けますかどうか。

投稿者 今朝子 : 2016年05月18日 08:37



2016年05月18日

豚しゃぶサラダ

胡麻ドレッシングは自家製。練り胡麻、砂糖、酢、醤油、味醂、おろしニンニクを混ぜ合わせて作る。フルーツトマト、新玉ネギのスライス、京都の小笠原さんから頂戴したアスパラガスを茹でてたっぷり添える。整体治療が効いたのか、毎日飲んでるクエン酸がいいのか、やはりこのところずっと油物を控えているのも功を奏したのだろう、胆石の鈍痛が治まり、食欲が戻って、写真の量をいっきに食べ尽くしました∈^0^∋
てなわけで、とにかくカラダを正常に戻すなり、これ以上の悪化を避けるためには、人間ある程度禁欲的にならざるを得ないのだけれど、借金1000兆円の大台に乗ったとされる日本財政の体質改善は一体いつ図られるんだろうか?野党の党首が消費税増税見送り論をはっきりと口にして、アベボンは見送りがますます容易になり、結果、国債の格付けと円の信用度を下落させて、円安の流れに変わるのを期待する思惑があるんだろうか?岡田党首も今の時期は見送るのが妥当とするが、果たしてこの先は日本経済がだんだん良くなる可能性よりも、さらなる天災の続発でどんどん悪くなる一方だと予感する人たちが多いからこそ、一般消費が伸び悩んでいるのではなかろうか? とかく選挙前の政治家は有権者に甘言を弄するばかりだから、保育士や介護士の待遇改善を求める与党提言もそれ自体は適切だと思いながらも、時期が時期だけに、高齢者へのバラマキと等しい選挙対策としか受け取れないのは私の僻目というやつでしょうか(-.-;)y-゜゜


コメント(1)

ふふふ・・。僻目に関しては私も全くそう思う!と頼もしく思います。
 食欲が戻ったのもなにより。根拠は無いのですが体が欲するものをつい選ぶと思います。食欲が無いのは、体力気力が低下していると自分に当てはめると思いますので、少し上昇傾向なのでは?と思います。爆発するのが何時なのかお医者さんでも予言できないと思いますので、しまったと思う可能性はあるかも知れませんが、食べたいものを食べて良いのではないかと思います(何となくですが、最近は爆発が怖くて食べたいものを選んでいないようなメニューのような気がします)。余程の脂っこい料理以外は選んでも問題ないのではないかと思います。前にも言ったかもしれませんが、何も体に悪い事は全くしなかった人が胆石手術を受け、何が悪かったの?と嘆いたときに居合わせたことがあります。しかしその方も検診で見つかり腹腔鏡の手術を受けた方でした。多分食べるものや体質、ストレスなどの色々な要因が複雑に絡んでいるような気がしてはっきりこれが悪いと私は指摘できません。なるべく良くない事は選択しないけれど体が欲しているときは我慢しすぎないのも大切なのではないかな?と思います。
 東京都都知事のおカネの遣い方についてあれこれ見かけますがそうでしょうねとだけしか思いません。選びたい人ではなかったけれども他の候補や私が当選して欲しい人よりこの方が当選するだろうとあの当時思っていました。信用できないけれど小泉タッグよりはましかな?でも好かんと思っていたので、辞任しようがどうでも良いけどまた都知事選?(当選して欲しい人は確実に当選しないと約三週間前に分かる)。うんざり。

 大体国会議員を辞めたとき色々な事をごまかして辞めている人を信用できないのですが、何故この人が当選するの?とずっと狐に化かされたように思っております。

投稿者 nao : 2016年05月20日 01:41



2016年05月19日

豆腐、湯葉、海ぶどうとホタルイカの酢の物、豚の角煮、和風アクアパッツア

元米朝事務所の大島さん宅で快気祝いの会食。3月に開腹手術をした大島さんは完全復活で来週は海外旅行もなさるそうだが、今度は私のほうが胆石の手術を余儀なくされていて、今日は大島宅を訪れる前に人間ドックを受けたクリニックに赴き、改めて超音波の画像を見せられて胆嚢いっぱいにデンと居座った大きな石を目にすると、こりゃもう胆嚢ごと取るっきゃない!のが納得されて、執刀医宛ての紹介状を書いて貰いました!とにかく仕事との兼ね合いもあって手術日を早く決めてほしいので、明日にでも病院に連絡を取ってみようと思う。人間ドックの検査結果待ちで紹介状の依頼が遅くなったのだけれど、今日やっと届いた検査報告書を見たら、胆石以外は前回とほぼ同じか数値の改善されている点が多いのは何よりでした(*^^)v




2016年05月20日

帆立とアスパラガスの卵とじ麺、ミョウガとワカメとちりめんじゃこの酢の物

塩酒醤油で調味した鶏ガラ出汁に玉ネギの薄切り、アスパラガス、生帆立貝を入れて煮立て、カタクリ粉でとろみをつけてから溶き卵を加える。これを中華麺にかけて下ろしニンニクをトッピングし胡椒を振って仕上げる。なるべく油を使わない調理法は心がけいるものの、必ず酢の物が食べたくなるのはフシギ。今日で小笠原さんから頂戴したアスパラガス一箱を全部独りで食べ尽くしてしまいました\(^O^)/
今週のTVは、まだこんなことやってんだ!というしかないマンネリ報道に尽きて、清原しかり、ベッキーしかり、最たるものは「精査」と「第三者の目」が早くも流行語大賞にノミネートされそうな勢いの舛添公私混同疑惑だろうか。今やTVはかつての井戸端会議のような存在意義を見いだしたのが実感される一週間で、要するに誰でもが気楽に口を挟めて同様の感想を述べるようなネタばかりを追いかけており、それは従来のジャーナリズムとはかけ離れたマスメディアのありようだし、また人類がついに情報と知性の平等化を達成できたことの証左なのかもしれないけれど、みんなが同レベルに語れるような話題は結局のところ恐ろしく語るに落ちるハナシでしかないのもつくづく実感されたのだった。一方で、まだこんなことが!という憤りを共有するには余りにも現地の実感とは乖離しているのにふだん無自覚なのを恥じざるを得ない沖縄問題であり、日米安保のありようだが、これについては遠からず内外共に本格的な見直しが迫られざるを得ない感じだから、もはや誰もが無自覚で過ごすわけにもいかないはずで、自身いずれきちんとした考えを表明すべく努めたいものだと思う。




2016年05月20日

鯵のカルパチョ粒マスタードソース

前に見た久々の QP 料理。いくら「川上」の娘でも鯵を三枚におろすのは面倒なので、サクで買って薄い削ぎ切りにし、塩を馴染ませて皿に並べ、これに粗みじんにしたセロリ、八つ切りにしたミニトマト、小口切りにしたチャイブの代わりに万能ネギをちらして、粒マスタード生姜とニンニクのすり下ろしレモン汁オリーブ油を混ぜ合わせたソースをかけて仕上げた次第。
これを作りながらテレビの報道番組をちらちら見てたら、今や「看取り士」という職種があるのを知り、文字通り人生の終末期を看取ってくれるこの仕事を既にご存じの方が勿論いらっしゃるのだろうが、初めて聞いた私はいささか驚きつつも、昔の大家族制度や地域社会が消滅した今は確かにこういう仕事が必要になって来たどころか、自身イチバンお世話になりそうな気がしたものである。いずれは国家資格にでもなるのかもしれない。
ところで伊勢志摩サミットも早や三日後に開催が迫るなか、警備強化されて何かと煩わしい事に遭遇しがちな都内はなるべく避けたほうがいいにもかかわらず、その件が全く頭から飛んでいたせいで、よりにもよって開催日に都内で友人と会う約束をしたのは我ながらウッカリポンでした。それでも京都に帰る予定を立てたよりはましかもしれず、妹は開催期間中に京都でテロが起きるのを以前えらく心配していて、その心配を聞いた時はまだまだ先の話だと思っていたのに、ホント一年なんかあっという間だから、きっとオリンピックもすぐに来ちゃって、その後の大不況が目前に迫っているのかと思うとコワイもんがあります(-.-;)y-゜゜




2016年05月21日

星川京児さんの音楽葬

先日、温水ゆかりさんから久々に電話をもらって星川さんの訃報を受け、今日のお通夜に参列した。民族音楽のエキスパートとして活躍された音楽プロデューサー故・星川京児さんは早稲田大学の同級生だった。当時は1、2年が語学別のクラスで、私たちは3年以降に演劇科か文芸科に進むことを前提とした P クラスに所属していた。世代的にはオイルショックによる就職難世代だったこともあって、まともな会社勤めをした人は少なく、その分いわゆるギョーカイ人として活躍したり、パイオニア的な活動をする人が多く、フリーライターの走りだった温水さんや作詞家の康珍化やドラクエ作者の堀井雄二やテレビマンユニオンの合津直枝といった多士済々が揃うクラスでもあり、昔からふしぎなほど仲良しのクラスで、卒業後も延々と付き合いの続いている人たちが多いのである。私自身はもう全くといっていいくらいにこのところ早稲田時代の付き合いは絶えていたのだけれど、星川さんとは卒業後も何度かお会いしているし、同級生が早くも逝ってしまったことに深い感慨を覚えたこともあってお通夜に駆けつけ、無宗教ながら声明と口琴のコラボやガムランの生演奏が流れる中で、棺に納まった故人に合掌してお見送りした次第。今週は蜷川さんのお葬式に始まって、星川さんのお通夜に終わるという、何とも無常感の募る一週間でした。嗚呼。


コメント(4)

下記はご本人ご提出のプロフィールです。ここにはかかれていませんが、奥様と中国茶の専門喫茶店「アノマ」を開業していらした時期もありました。居心地の良いお店で、当時のご常連もお通夜に参列していらっしゃいました。ご葬儀の会場は毎年花まつりには音楽イベントをなさるお寺で、星川さんが奥様と出会ったお寺とのことでご葬儀の会場になったそうです。

星川京児(ほしかわ・きょうじ)
1953年香川県生まれ、。音楽プロデューサー。民族音楽を中心に様々なジャンルで音楽作品の制作に携わるほか、雑誌、ラジオ番組などにおける音楽解説、記録映画、CM、演劇などの作編曲を手がける。主なプロデュース作品に「世界民俗音楽大集成」「日本の民族音楽」「World Roots Music Library」など。著書に「エスニック500選」「民族音楽おもしろ雑学事典」「粋酒粋音」、共編著に「邦楽ディスク・ガイド」「200CD邦楽」、編集誌に「包(ぱお)」など。

投稿者 田坂州代 : 2016年05月23日 01:39

星川京児さんの訃報
http://www.hogaku.com/oshirase/20160517hoshikawa.html
亡くなる直前まで連載を執筆していらっしゃいました。

投稿者 田坂州代 : 2016年05月23日 01:44

今年の3月、数年ぶりに連絡があり「録音するなら協力できるよ」と言っていただき、先月、電話した時に、「今、忘備録のようなものを書いているのですが、体調が悪いので...。もう少し暖かくなったら会いましょう」と話したのが最後でした。無念です。

投稿者 彈眞空 : 2016年05月25日 10:40

6月25日(土)朝日新聞の夕刊を見ていて、「あっ、え?」と驚きました。星川君は、自分が早稲田大学2文在学中、「赤色劇場」(主宰:ひもり君)に関わり、劇中歌の作曲をしておりました。星川君も「幕切れ」などの独特の彼の歌、楽曲を提供していました。当時、1973年~76年ごろでしたか。康珍化君の作詞で自分が作曲した歌を、浅草木馬館レビューで披露したことも思い出です。その後、トラストというバンドでレコードを出したり、「LADY G」という歌が映画(題名忘れましたが、岡田嘉子主演)に使われたり、「セイレーン」という楽曲中心にコンサートも観に行きました。当時、世田谷三宿にあった彼の下宿にも何度か行ったこともあります。ギルドという最高のギター、彼が持っていて、いい音がしました。~小生も1977年に会社に入ってから、数年は「赤色劇場」を観に行きましたが、多忙に追われ、いつしかもう37年間音信不通となっておりましたが、あの時代の魂はまだ生きています。星川君が亡くなり、ほんとうに、ふっと時代が欠けてしまったような喪失感がこころを吹き抜けました。もっと活躍してほしかった!生前に一度ことばをかわしたかった!こころからご冥福をお祈りしたいと思います。(現在67才/早稲田2文入学時は22歳)

投稿者 栁本 雅久 : 2016年06月26日 21:50



2016年05月22日

焼き野菜サラダ、豆キュウリの酢漬け、ひじき詰め高野豆腐、穴子鮨

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
百花繚乱の馬場で今週も2鞍騎乗。1鞍目は小柄な優等生鹿毛ボー君で、以前は小柄なわりに馬力があって反動も大きいように思っていたボー君だが、今回久々に乗ってみたら、別にさほど反動が大きいように感じなかったのは、四肢をしっかり持ちあげた馬場馬術的な駈歩をする今度のクラブの馬たちに、私のカラダがようやく馴れてきたせいだろう。2鞍目のお馴染みデカ鹿毛オー君でも、馬に持って行かれちゃうのではなく、こちらの合図で駈歩を加速させることがやっとできるようになった感じで、とにかく大柄なオー君の駈歩はダイナミックだから20×40mの馬場だと窮屈に感じるくらい、あっという間に駈け抜けて一周してしまう。1分間で3周するくらいが尋常駈歩の標準スピードなのだそうで、それくらいのスピードで3周くらいはなんとかバランスを崩さずに乗れるようになったものの、バランスを崩すと馬体に拍車を強く当ててしまう悪癖を克服するように注意された。「それでも大分まっすぐ乗れるようになりましたね。ようやく馬乗りらしい体型になりましたよ」というS先生の賞め言葉をワタシ的に解釈すると「腰を立てて乗れる」ようになって体幹の筋肉が整ったということだろうか。「松井さんもこの秋11月の馬術大会に出てみませんか」と勧められたものの、「それがこの夏、胆石の手術する予定なんで、いくらなんでもちょっと」とお断りした理由に嘘は無く、実際せっかく体幹の筋肉がイイ感じについたのに、手術でしばらく腹筋が使えなくなるのは乗馬にとって痛すぎる話であった。
もっとも馬にやさしい今度のクラブでは、盛夏は馬たちに駈歩をさせないのだそうで、すでに今週も暑かったから馬たちは木陰を求めてそこからなかなか出たがらないのである。で、ドサンコのパピ君が放牧されているあたりには桑の木が実をいっぱいつけていて、桑の実すなわちマルベリーを馬も人間も食べ放題で、私もしっかりご馳走になりました。桑の実の次は杏の実が食べ放題になるのだそうで、どうぞ持って帰ってジャムにでもしてくださいとオーナーからは言われております∈^0^∋写真は色とりどりの花に囲まれた放牧場と、農業用水が小川のように流れる向こうに植わった桑の木陰にいるパピ君と、パピ君の頭上に生ったマルベリーです。


コメント(2)

蜷川さんの訃報に自分でも意外なほど衝撃を受け、今後、どれだけ心躍らされる演劇が見れるのか、と気落ちしていた所に、噺家の柳家喜多八さんの訃報が飛び込み、二重のショックです。やる気なさそうに高座に上がって「虚弱体質なもので…」と始めても、次第にエネルギッシュになり、最後は大爆笑で終わる「柳宮喜多八殿下」は私の一番贔屓でした。昨年の謝楽祭(ファン感謝デー)では、顔色の悪さと激痩せぶりが心配だったものの、先月も笑わせてもらったばかりだったのに…。手元の6月と8月の切符が追悼落語会になってしまいました。
末筆ながら、どうぞ早く手術ができて、お元気になりますよう、お祈りしております。

投稿者 ウサコの母 : 2016年05月22日 22:45

桑の実懐かしい。とはいっても結構都会でも目撃はしています。真っ黒なのが美味しいのですよね。もう少し明るい色のほうが葡萄を連想して食べた事があるのですが・・ありゃ?っという味でした。
今日本では養蚕家の農家は食べていけないので全く見なくなりなりました。親戚も子どもの頃していたし、今住んでいるところもニュータウンの前は盛んだったのだろうと彷彿させるように、時たまこんなところにと思う桑の木を見つけ小学校に行くと大抵どこかに桑の木があります。
 だから皇室や美智子様に文句があるわけでは無いのですがなんだか少しの蚕を育てている皇室ニュースに遭遇すると何か趣味っぽいのに何故このように素晴らしい「スンバラシイ」と絶賛するような記事なのかはとても疑問に思っています。稲も同様に米農家が生活出来る収入を上げるのがとても難しくなっているのに、政府や行政の無策が全く聞こえてこないのはとても嫌な感じを受けます。

投稿者 nao : 2016年05月22日 22:48



2016年05月24日

鯵のカルパチョ粒マスタードソース

これは5/23のブログで、なぜかこの日にアップできなかったものです!

前に見た久々の QP 料理。いくら「川上」の娘でも鯵を三枚におろすのは面倒なので、サクで買って薄い削ぎ切りにし、塩を馴染ませて皿に並べ、これに粗みじんにしたセロリ、八つ切りにしたミニトマト、小口切りにしたチャイブの代わりに万能ネギをちらして、粒マスタード生姜とニンニクのすり下ろしレモン汁オリーブ油を混ぜ合わせたソースをかけて仕上げた次第。
これを作りながらテレビの報道番組をちらちら見てたら、今や「看取り士」という職種があるのを知り、文字通り人生の終末期を看取ってくれるこの仕事を既にご存じの方が勿論いらっしゃるのだろうが、初めて聞いた私はいささか驚きつつも、昔の大家族制度や地域社会が消滅した今は確かにこういう仕事が必要になって来たどころか、自身イチバンお世話になりそうな気がしたものである。いずれは国家資格にでもなるのかもしれない。
ところで伊勢志摩サミットも早や三日後に開催が迫るなか、警備強化されて何かと煩わしい事に遭遇しがちな都内はなるべく避けたほうがいいにもかかわらず、その件が全く頭から飛んでいたせいで、よりにもよって開催日に都内で友人と会う約束をしたのは我ながらウッカリポンでした。それでも京都に帰る予定を立てたよりはましかもしれず、妹は開催期間中に京都でテロが起きるのを以前えらく心配していて、その心配を聞いた時はまだまだ先の話だと思っていたのに、ホント一年なんかあっという間だから、きっとオリンピックもすぐに来ちゃって、その後の大不況が目前に迫っているのかと思うとコワイもんがあります(-.-;)y-゜゜


コメント(1)

土曜日から駅はもとより、勤め先のデパートのゴミ箱と飲み水とロッカーが封鎖されました!おかげで電車の中にペットボトルがゴロゴロ。うっかり拾ってしまって始末に困ってしまいました。いっそ駅の自動販売機も封鎖してほしい!だってゴミ箱より自動販売機に爆弾しかけられたほうが怖くないですか?(新手のパイナップル爆弾!)

投稿者 岩本昌子 : 2016年05月24日 08:36



2016年05月24日

ぬた、大根のそぼろ煮、だし巻き玉子、高野豆腐

大宮ルミネの総菜売り場でゲット。
今日は早朝に新宿のJR東京総合病院に行って消化器外科のM先生と面談の上、入院と手術の予約を済ませ、そのあと様々な検査を受けてから代々木の整体治療院へ。そこからさらに四谷へ向かって左門町の於岩稲荷と陽運寺にお参りをした次第。於岩稲荷にお詣りしたのは、小説すばる誌で「四谷怪談」に関するエッセイを依頼されて、その〆切りがたまたま手術の直後ぐらいだったのでいささか気になって、今日は代々木まで行ったから少し足を延ばして立ち寄り、用事がすべて新宿区で片づいた半日でした。東京総合病院のM先生は人間ドックの先生のご紹介だったのだが、病院自体もテキパキしていて検査にそう暇取らないのには感心しきり。新宿駅から徒歩3分くらいだから行くのも超ベンリだし、ここと麻布十番の病院を推薦されて、私がこちらのほうを選択したのはやはり立地の利便性が大きい。利便性に加えて、新宿周辺は都内でも地盤が固くて関東大震災の際に比較的被害が少なくて済んだという歴史的事実に頼るところもある。手術中に地震が起きたらどうしよう、なんてことを私は常に考えてしまうほど昔から地震フォビアみたいなところがあって、大宮に引っ越す時も、東日本大震災の前年だったのに、わざわざネットで埼玉県の地層図を取り出して台地であること確認してから決断するような真似をしている。それはひとえに半世紀ほど前の当時まずめったに地震で揺れるようなことのなかった京都から東京に出て来て、余りにもしょっちゅうグラグラするのに泡を喰ったからにほかならない。ところが今や南海トラフの危険性が声高に語られて、京都といえど昔ほど安穏とはしていられないモードに入っちゃったようだから、もはや日本全国逃げ場のない感じでさすがに開き直るしかないとは思いつつも、手術中に地震(@_@;)なんてことをつい考えちゃうあたりは我ながら杞憂ここに極まれりといった感じでしょうか。で、その手術日は与市兵衛の命日といってわかる方はそこそこの歌舞伎通だと思われます(^o^)


コメント(2)

若い頃から、東京周辺は地震の起き易い所だと思います。私も今の住居を選ぶとき岩盤や津波(川の近くか否か)地盤の整備やがけ崩れや山津波のような事が起きないか気にしました(調べきれず大体大丈夫そうという根拠の無い勘で選んでいる気がします)。
 手術日をはっきり予感する事が出来ませんが、六月か七月あたりのような気がします。とても素早い事の運びにさすが!と思います(事務処理が的確で素早い感じで)。

投稿者 nao : 2016年05月24日 21:47

以前、私も通院したことのある病院で、会計を待つ間、地下鉄サリン事件の速報を告げるTVを不安な気持ちで見ていたのを思い出しました。簡単な手術と言われた家族の時も、万一地震が起きたら…と考えたので、私も地震フォビアかもしれません。与市兵衛の日は無事に手術が終わるように願っております。

投稿者 ウサコの母 : 2016年05月25日 17:17



2016年05月25日

尺には尺を

今日はさいたま芸術劇場で故・蜷川幸雄の遺作演出となったシェイクスピア作品「尺には尺を」のオープニングで、満員の客席には大竹しのぶや藤原竜也ら俳優を含めた関係者の姿も多く、カーテンコールで舞台に巨大な遺影が降りてくると目頭を押さえる姿があちこちで見られ、私もまた思わず涙ぐんでしまったほど、とにかく俳優陣みな緊張感に溢れて熱のこもった舞台を披露し、遺作の名に恥じない初日を迎えたのは何よりだったかと思う。
この作品は一応喜劇の体裁を取りながらもいささか苦みのある幕切れで「問題劇」とされるらしいが、シェイクスピア作品はなまじコンテンポラリーに読めてしまうセリフが多いために、ここに見られるような時代劇ならではの設定、たとえば婚前交渉が淫行罪に問われるだとか、生娘が身内の命を救うことよりも自らの純潔を尊ぶとか、支配者が一種のいたずら心で水戸黄門的な隠密行動を取って悪事を暴くとかいった展開に何だかついていけない感じを抱く向きがあったりするのかもしれない。いずれも歌舞伎だったら別段そんなにひっかからないような、むしろありがちな設定であるため、登場人物の一人が幕切れ近くで「異常な展開に開いた口が塞がりませんなあ」と楽屋落ちめいたセリフをつぶやくほどには私は驚かなかったし、むしろこうした極端な設定だからこそ人間の本質がくっきりと見えてくる面白さを十二分に楽しめる戯曲として受け取れた。中でも良く出来た人として自他共に認めていた人物アンジェロが一時的に権力を委譲されたことで「ひとたび正道を踏み外すと何もかも巧く行かなくなる」状態に陥り、自らの人間性を破綻させていく過程は非常に面白いだけに、この役を演じる藤木直人には故人の目がもっと細かく厳しく注がれていたらという、無いものねだりをついしてしまうのだった。この種の役は場面毎にがらっと変わるようなあざとい演技術が案外と有効であり、そういう点では古典劇的な素養が必要となることを故人なら指摘できたのではなかろうか。一方、権力を笠に着たアンジェロの心を大いに惑わしながら純潔を貫くために断固相手を拒絶するイザベラ役の多部未華子は直球勝負の演技で聖女の残酷さを遺憾なく表現し、出色のデキといえそうだ。アンジェロとイザベラが丁々発止とやりあう場面は紗幕を隔てたやりとりとなって、最後に紗幕を切って落とすことでアンジェロが自らの人間性に気づく瞬間とする演出は買うが、その前に両者が何度も紗幕を出たり入ったりするため、折角の振り落としが有効に働かないのはちょっとザンネン。幕切れでイザベラが舞台奥に引っ込むシーンなどもきっかけをもっとキッパリとすればさらに際立つはずで、そうした細かい点を練りあげるのが故人不在の中での課題であろう。一時的に権力を委譲して隠密行動を取るヴィンセンショー公爵を演じるのはベテラン辻萬長で、この人の存在が舞台全体の重石となり且つ軽妙な演技でリードしている。他にも大石継太ら蜷川チームのベテラン勢が気の入った演技で初日の舞台を盛りあげていた。




2016年05月26日

刺身の持ち合わせ。山芋と烏賊真丈焼き、桜豆腐、とろろそば他

渋谷の「春秋」で中村京蔵丈、元松竹の前川さんと会食。武智鉄二師門下の3人が顔を揃えたのは久々で、この間に武智師の義子に当たる二代目川口流家元小枝さんが亡くなり、つい先日は蜷川幸雄さんが亡くなったこともあって、他の方々も含めて何かと追慕追悼の話題に終始した。京蔵さんには「 NINAGAWAマクベス」で魔女の役が振られた経緯を伺い、「何せ初演で徳三郎さんがなさった役が来るなんてホント嬉しくて感激したんですよ〜」とのこと。去年の八月に稽古が始まって、その時は車椅子で鼻にチューブを付けた状態でも「蜷川先生はとってもお元気だったんですよ〜市村さんや田中裕子さんとかスターさんにも聞いててびっくりするほど厳しいダメ出しが出てて、ああ、これが蜷川流なんだ〜ってすっかり感心してたんですけどね〜」まさかこんなに早く逝かれるとは思わなかったそうである。来年には海外公演を経てさいたま芸術劇場で再演の予定だったそうだから、何とか予定通り進行してほしいものだ。予定といえば国立劇場もオリンピック後に建て替えの話があるそうで、いずこも先々まで色んな予定が組まれているわけだけれど、人間誰しも明日のことさえ全くわからないのが本当で、たとえば私たちが若い頃に見ていた役者さんも、まさかあの人があんなに立派な役者になるとは!と驚いたケースもあれば、もっと良くなると思ってたんだけどね〜というザンネンなケースもあって、中でもショックなのはやはり同世代の勘三郞と三津五郎の早世に尽きるという話になりました。




2016年05月27日

鯵の南蛮漬け、アスパラガスのピーナッツ和え

南蛮漬けは今日見たQPのやり方通りに作ってみた。塩して粉をまぶした鯵を揚げずに胡麻油で焼きつけるようにして火を通すことと、薄切りにした玉ネギをさっと湯通しして味が浸みやすくするのがポイント。生姜の千切りと輪切りした鷹の爪と砂糖醤油を加えた合わせ酢に漬け込んで、仕上げに貝割れ菜を散らした。ピーナッツ和えは茹でたアスパラガスに市販のピーナッツ和えの素をまぶしただけ。
米国滞在が長かった旧友のモリに言わせると「スピーチの巧さで大統領になった」オバマ氏が、任期切れが視野に入ったレームダックに近い状態とはいえ、やはり現職の地位で広島を訪れたことや、意外なくらいホンキ度の感じられたロングスピーチにも意味深いものがあったように、リアルタイムで映像を見て素直に思えた。内容自体は謝罪うんぬんとかを超越した、人類全体とその歴史や文明に関わる壮大なテーマを示唆したもので、これが米国大統領のスピーチでなければ単なる誇大妄想発言と一蹴されるかもしれないほど大上段に振りかぶった印象を受けつつも、最後までそれをちゃんと聞かせられるだけの話術は確かにお持ちで、それはコトバに気持ちを乗せられる天性の才能みたいなものなのだろうと思う。スピーチでは人類が暴力を正当化する戦争や科学技術の進歩が生んだ鬼子としての核兵器を徹底的に否定しながらも、ついこないだは中国の海洋進出を念頭にベトナムへの武器輸出を拡大する約束をしたというような実際的には自家撞着しちゃってるオバマ大統領ではあるが、スピーチで人を動かすのが政治家の才能であり本義でもあるからして、大統領職を退いた後も核廃絶に向けてのパワーはそれなりに発揮するのかもしれない。彼の後に続いたアベスピーチがなんとも空疎に響いたのは内容的にほとんどかぶってしまっていたからで、ある程度わざと合わせたにしても、人類全体を包含したオバマ氏のスピーチを日米同盟の強調のみに矮小化した印象が拭えないのはスピーチライターの腕のなさが響いているに違いない。それにもまして憶えるのと滑舌の悪さを隠すので精一杯といった感じの話し手にも問題があるのだろう。この人がコトバに気持ちを乗せられるのは嫌な質問をされて怒った時くらいじゃないかと思うくらいで、どんなスピーチをしてもフシギと空疎に響くのは、これも一種の才能というべきかもであります(-.-;)y-゜゜


コメント(1)

私もたまたま家族がテレビをつけたらリアルタイムで延々としていたのでしっかり見ました。スピーチに関しては全くその通りと思うけれど、私は日本の総理のスピーチの時「けっ」とか「チッ」とか思わず言っていて家族に何で嫌いなの?と聞かれたので、綺麗ごとばかり言って、全くそう思っている行動はないし、核爆弾にしても原発にしても全く止める気は気は無いから嫌いなんだよと吐き捨てるように言ってしまいました。
 オバマ大統領の言う事はもっと素直に聞けたのですが、立場上謝罪をする事は許されないにしても何となく物足りなく思いました。あえて言えば綺麗ごとばかりで核を使うことは慎むべきだとか、暴力に対抗するには暴力(軍隊)は必要だけれども最終手段でとか今は戦争と言うよりテロと言う形に変わってきて暴力で解決する事は必要悪になっているけれども対話で解決していけるよう努力したいと言うような言葉(全体的にはあるけど自身の決意は希薄なような・・)が聞きたかったような気がします(考えが甘いかもしれませんが)。

投稿者 nao : 2016年05月28日 00:39



2016年05月28日

豚しゃぶサラダ

胆石の爆発に用心して豚肉を炒め物でなく食べようとすると毎度コレになってしまいます(^^ゞ今回の付け野菜はサッパリ系の水菜、ミョウガ、貝割れ菜。
今回に限らずG7って今や一体どれくらい有効なものなんだろう?という気が近年はどうしてもしてしまうのだけれど、今回は特に任期切れ目前の米大統領を筆頭に、キャメロン英首相はパナマ文書問題で、メルケル独首相は難民受け容れすぎ問題で、オランド仏大統領は労働法改正問題で、いずれも国内人気が最悪になってるタイミングの開催だけに、皆さん気もそぞろだったんじゃないかと思うこと頻りである。でもって開催国の首相は、消費税増税を先送りするため現在はメチャメチャ世界経済が悪い状態なんだ!という共通認識を得る目的と、中国の海洋進出を牽制する目的とが達せられて大満足なんだろうか?でもって自分はこんなに世界の首脳を集めて、日本語じゃないとちゃんと話が出来るんだよ!てなところを国民に見せつけて、本音はやっぱり両議院選挙に持ち込む肚なんだろうか?それにしても、この人の「見てくれ政治」にいい加減アキアキさせられてるのは私だけなんだろうか?なんだか米経済学者の後追い学者みたいなブレーンの掲げる経済活性化案をこの人はいまだに疑うこと知らずに、消費税を先送りすれば日本の経済は今後ナントカなるとホンキで信じてるんだろうか?でもって日本人の多くは、東京都民の多くがあんな人を選ぶしかなかったように、他に選択肢がないということで「見てくれ政治」の続行を許すことになるんだろうか?てなことを考えさせられた一週間でした(-.-;)y-゜゜


コメント(1)

全て全く私もそう思います(多数派では多分無いですが)。
 G7って確実に精通していませんが、有効性は疑問すぎます。と思います。
 もう選挙には期待していません。
 見てくれ政治なんて大多数の庶民はほぼ望んでいませんが、それを阻止する手段が全く思い浮かばないので・・・。
 たらりと冷や汗が出そうなことは何となくトランプ大統領?。政策自体はして欲しい事が無いわけではありませんが人間性に疑問符が付きすぎて、もう日本の政府関係の洞察力と交渉力や考察力を知らしめるために反ってもうトランプでも良いんでは?とやさぐれて居ます
 

投稿者 nao : 2016年05月29日 01:33



2016年05月29日

焼き野菜の胡麻酢和え、ひじき詰め高野豆腐、ぴり辛こんにゃく、帆立貝の鮨

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。日本ダービーの今週末も馬は見るより乗りたいワタシ(^^ゞは2鞍騎乗。2鞍ともお相手はお馴染みデカ鹿毛オー君。さすがにお互いだんだん息が合ってきた感じで、1鞍目は S 先生に駈歩で隅角をぎりぎり攻めながらなおかつスピードをそれほど落とさずに曲がれるよう手綱の持ち方を細かく教えてもらった甲斐あって、自分でもかなりイイ感じに乗れた気がしたものである。前のクラブは何せ大人数の部班レッスンがほとんどで、馬が前の馬について動いちゃうため、こちらもきちんとした誘導をしないまま乗っていて、今度のクラブでようやく手綱の持ち方の基礎をマスターさせてもらったという感じだろうか。かくして2鞍目は最後にいきなりS先生から「じゃ仕上げにA1課目踏んでみてください」といわれても、どんな径路なのかさっぱりわからぬまま先生の声に従ってとにかく発進したところ、オー君がなんと径路をバッチリ憶えていて、速歩と駈歩や尋常速歩と中間速歩の切り換えがそれぞれのポイントでパーフェクトに決められるのにビックリ\(◎o◎)/「その馬はA3まではちょっと無理なんだけどA2まではラクラク行けて径路も憶えてるんですよ」ということらしいが、ワタシがちょっと驚いたのはオー君が径路レッスンしている姿を今まで一度も見たことがなかったからだ。元は障害馬だそうで、障害を跳んでる姿かビギナーの方を乗せて速歩している姿を見ることが多く、馬場馬術専門のS先生はいつも評価が低めだったので、まさかいきなりのA1をすいすいこなせるとは夢にも思わなかったのである。で、無事に径路を回り終わると「ね、ボクやったでしょ!やったでしょ!」と言わんばかりに何度もこちらを振り返って見るのがチョー可愛いかったのでした(^ニ^)オー君はブラッシングしてやると、グルーミング返しのつもりでこちらの肩をハミハミしようとするし、蹄の裏掘りをしていると首を下に伸ばしてこちらの匂いを嗅ごうとするような人懐っこい子だけに、久々に人を乗せて径路を回れたのがよほど嬉しかったのか下馬したあとの手入れでもご機嫌の様子でした。せっかくここまでコンビの息が合って来たのに、手術で中断するのはとてもザンネンだけれど、S先生には「A2課目の図を渡しとくんで、入院中にしっかりアタマに入れといてください」と言われております。ところで百花繚乱果実鈴生のクラブでは先週に増して美味しくなっていたマルベリーに加えて、今週はアセロラにそっくり味のジューンベリー(写真下)も熟して食べ頃に。ワイルドにむしゃむしゃ食べてたらいつの間にか手の指と爪は暗紫色に染まり、完熟して落下したマルベリーが一面にちらばる樹下で寝転がってしまった白いポニーはブチ毛に変わっておりました(^◇^;)




2016年05月30日

豚肉とゴボウとニンジンとインゲンのさっと煮、胡瓜と蛸の酢の物

さっと煮はQPで見た料理。フライパン湯を沸かして豚肉を茹で、アクをしっかり取ってから同量の酒、醤油、味醂、砂糖少々で調味し、拍子木切りしたゴボウとニンジンを入れて10分ほど煮込み、さらにインゲンを加えて火を通すだけ。超シンプルな調理法だけどこの時期ならではの新ゴボウが結構おいしく食べられました∈^0^∋
2019年の10月まで消費税増税を延期するってことは、要するにオリンピック景気だけをあてにしてるってことなんだろうか?それってもうブラジルレベルじゃん(^◇^;) てなわけで、昔から恐らく何かとガッカリ君だった人はこうした肩すかしが屁でもなく出来ちゃうんだろうか?とか、 本人は案外とG7やオバマ広島訪問で自分がいいとこ見せられた今こそ、二階堂氏や菅氏の心配を振り切って、ホンキで衆参同日選をやろうと思ってんだろうか?とか、考えれば考えるほど、何だか大昔に、ああ勘違い男に言い寄られて悩まされた気持ちの悪さに似たものを感じてしまったワタシであります(-。-;)
そもそもFRBのバーナンキ議長がQE(量的金融緩和)を始めた時期はちょうどシェールガスという画期的なイノベーションの誕生と軌を一にしたため米国の景気回復はある程度順調に進んだわけで、とにかくその真似っこをしたら必ず日本も同じように画期的なイノベーションが生まれるに違いないと考えた超楽天的なお年寄りアベボンブレーン自体いかがなものかという疑問が湧く。バブル後の日本がいかにリスクを取りたがらない企業風土に変質したかということや、目立つのを厭い且つ想像力の乏しい若者を輩出し続けたかを計算に入れないまま、闇雲にいわば富国強兵的な理想を掲げたところで、それは妄想に等しい結果になるのは目に見えていたにもかかわらず、これまたバブルに心を冒された人たちが目先の株高に引きずられて大いに支持してしまったのだから仕方がありません。他に選択肢がないということでさらに支持し続ける人たちもいるのでしょうけど、これで衆議院解散されたら国民はどんだけ舐められてるのか!ってことなんですよね(-_^:)




2016年05月31日

五目冷麺

整体治療に行く前に大宮ルミネ内の「石庫門」で食事。
で、結局すんなり消費税増税が見送られちゃったのは、ひょっとしたら、というよりかなりの確率で、コレが福祉目的税化されて経済の活性化に直接役立たない、と、政権与党の人びとに認識されてるせいなのだろう。彼らにとっての経済活性化とは、目に見えて株が騰がり企業収益が増した結果として勤労者の賃金がわずかにでも上がることに他ならないのである。ところで消費税を上げると、ただでさえ冷え込んでる消費がさらに落ち込むということは確かにあるだろうけど、人口の高齢化も多分に関係してて、人間年を取れば健康維持に金がかかるくらいのもんで、誰しもそうそう色んなもんを沢山消費する欲求は必然的に鈍るんじゃなかろうか。でもって、昔のように誰もがどうしても欲しがるような商品が世界的にもそんなに生まれていないという、根本的な問題のせいでもあろうと思う。本当はそういうことを前提とした社会のありようを改めて考える時代に入っているにもかかわらず、相変わらず成長型資本主義の発想に留まるのは、まあ保守党なんだから仕方ないのだろうし、高齢者がその発想からなかなか脱却できないのもやむなしなのかもしれず、早い話、人類の60代以上がさっさと死んじゃえば地球はどんなに素晴らしい星になるか!と考える若者が出て来てもちっともおかしくないわけなので、ワタシはなるべく殺されないうちに死んじゃいたいもんだと思う今日この頃である。ともあれ消費税の値上げとなれば消費の落ち込みもさることながら、消費税を払う立場の個人事業主が非常にシビアな状況になるわけで、ワタシみたいに年度収入にバラツキのある個人事業主(作家も税務上はそうみなされます)は課税が二年後に来るというシステムをクリアするのがいつも大変なので、多くの事業主がオリンピック後の景気がえらく後退するであろう時期になって、オリンピック直前のどっさり稼いだ分にかかる高額の消費税を取られちゃうことはホント本に痛いんじゃなかろうかと、つい余計な心配をしてしまうのでした(-.-;)y-゜゜
ところで明日はまた取材で岐阜県に行って一泊し、明後日遅くに帰宅しますのでブログの更新はお休みとし、3日に再開致しますので、悪しからずご了承くださいませ<(_ _)>